2013年11月25日月曜日

リンダ・グリーンロウ『女船長 ロブスターの島に帰る』

女船長、ロブスターの島に帰る

ずっとむかしに読書メモを書いておいた本だが、メモがどっかに行ってしまった。別ブログにまぎれ込んでいたので、再録。

著者は話題になった大迫力映画「パーフェクト ストーム 」の主人公船長のライバル女船長のモデル。アメリカではベストセラーとなった。メカジキ漁を17年間続けた辣腕女船長が出身地の島(メイン州オ・ホウ島)に帰りロブスター漁をはじめる。目的は島に定住し結婚して子供を作ること。美人(写真を見よ)でユーモア精神にあふれる女性だが、なかなかうまく行かない。なにせ島には三人しか独身男性はおらず、そのうち二人はゲイ、残る一人は自分の従兄とくる。島には定住者・季節滞在者ともにいかれたアホが多くていらいらする。ロブスター漁は仕掛けの準備と設置と回収にとても労力が掛かる。文句を言わない定年退職した父親をクルー(スターンマン)としてこき使うがなかなか儲からない。しょちゅう悪態をつきながら女船長は頑張る。

オ・ホウ島の場所はここ(↓)。ニューヨークからそれほど離れているわけでもないが、完全な過疎地。島民は40名しかいない。それでも補助金なんか当てにせずにロブスターの揚がりだけで生活している。自分の食い扶持は自分で稼ぐというアメリカ資本主義の精神はまだまだ健全である。




蛇足。女船長がデイト相手をやっと見つけ自宅の夕食に招待するが、慣れない食事の準備にアプセットして、プロパンのボンベを替えようとネジを左に回すが外れずネジを潰してしまうくだりがあった。プロパンガスのボンベは右に回すと外れる構造になっている。おいらでも知っているのに、辣腕女船長は知らなかったみたい。たぶんアメリカの漁船はプロパンガスなんか積んでいないのだろう。それとも久しぶりのデートによほど舞い上がってしまったのか。

感心したこと。この島の漁船はみんな沖係留(沖留め)しているのだ。乗り込むためにはテンダー(足船)で漁船まで出向く。荷物の積み込みは公共岸壁まで船を移動させてやる。日本ではどんな辺鄙な漁港に行っても漁船は岸壁係留されている。農村・漁村に莫大な公共事業が行われたからだ。そのくせガラガラに空いている岸壁にプレジャーボートが係留しようとすると拒否する漁港が多い。日米バラマキ公共事業の差。これが自然が守られているアメリカの海岸とコンクリートだらけのニッポンの海岸線の違いを生み出した。


追記。著者リンダ・グリーンロウの公式ホームページを見つけた。ここ:

http://www.lindagreenlawbooks.com/

まだ旦那は見つかっていないみたい。

2013年11月24日日曜日

ウォルター・バジョット『ロンバード街 金融市場の解説』

この本の驚くべき点は、これが19世紀に書かれたということと、それに加えてこれほど「金融市場」についてその本質を易しく解説した本はないだろうと云うこと。小生も昔は企業の調査部でマクロ経済分析などはやらされたことがあるが、その際先輩から釘を刺されたことに「金融問題については深入りするな」という注意点があった。足し算引き算微分積分で分析できてしまうGDPとかのマクロ経済分析とは全く性質が異なるというのだ。曰く言いがたい「ヌエ」的存在とも言おうか。実際金融についてはよくわからず、ずっと金融市場は鵺(ヌエ)という印象を持っていた(同じ印象を持つ人が多いので、マネーゲームに走る悪い奴らだとか、金融業界はイメージが悪いのかも知れない)。そういう人はぜひこの本を読むべきだと思う。一言で言えば「ローマは一日にしてならず。金融も然り。金融市場は過去の経緯の地層的積み上げとして見なければならない」と言うことか。裨益するところ多大の古典的名著である。

内容を説明するのは省く。この本を読みながら箴言を少し抜き書きして twitter に書き散らしていたので、それをご紹介するに留めます。

2013年11月16日(土)1 tweetsource





@kafusanjin
「自己資本だけを運用している事業家は仕事に忙殺されることはまずない(もし非常に多忙であれば、それは何かが上手く行っていない印である)。イングランド銀行の理事は何世代にもわたってそうした人々によって構成されてきた」(ウォルター・バジョット)。……「貧乏暇なし」ではやっぱり駄目か。
posted at 14:42:04

2013年11月13日(水)1 tweetsource





@kafusanjin
「新たに必要とされるものは、何かを創造・創設することではなく、何かに適応することを通じて提供される。英国の銀行は良貨の供給のための銀行券発行と送金のための為替手形で信用を高め、徐々に預金銀行に発展してきたもの。他国が制度だけ真似しても成功しない理由」(ウォルター・バジョット
posted at 16:40:34

2013年11月10日(日)2 tweetssource





@kafusanjin
「実業界の人々は、目前のビジネスの潮流に敢えて働きかけない。その流れが通り過ぎるまでに、彼らは金を稼ぐか、稼ごうと努力をするものの、その流れがどこに向かうかを考えようとはしない」(ウォルター・バジョット)。……中国ブームと聞けば誰も彼も中国、エコブームと聞けば誰も彼もがエコ。
posted at 18:44:57
@kafusanjin
「イングランドでは借入資本に頼る進歩的な零細商人が(小利益率で同じ自己資本利益率が得られるので)自己資本に頼る保守的な大商人を駆逐する。これが英国経済覇権の秘密」(ウォルター・バジョット)。……資本を労働と読み替えてみると愕然とする。日本企業の自己資本(労働)比率は高すぎるのだ。
posted at 18:14:15

ロンバード街 (日経BPクラシックス)

2013年10月14日月曜日

ハインリッヒ・シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』(La Chine et le Japon au temps présent)

トロイの発掘で知られるシュリーマンだが、トロイ発掘を思い立つ前に日本にもやって来たことは案外知られていない。ロシア貿易(クリミヤ戦争での武器密輸など)で巨万の富を築いたシュリーマンは19世紀半ば一度行ってみたかった清国と日本を見物するためはるばる極東までやってくるのだ。時は1865年6月。鳥羽伏見の戦いに先立つこと3年の幕末動乱期。シュリーマンの日本滞在はわずか1ヶ月ほどだったが、鋭い偏見のない観察眼でシュリーマンは日本について多くのことを学ぶ。それをフランス語で書き表したのがシュリーマンの処女作となるこの本であるが、日本の「本質」を見抜くすぐれた分析となっている。その国のことを理解するのに必ずしも長くその国に住む必要はない。これは短期間のアメリカ滞在だけで不滅の名著『アメリカの民主政治』を書き表したトクヴィルの例を挙げるまでもない。ビジネスマンならではの具体的な観察にも富む。面白かったです。二三印象に残ったこと(順不同):

  1. 日本の清潔さにシュリーマンは大いに感動している。不潔で有名だった当時の清国に先に訪問していたから特に印象深かったのかも知れないが、日本人は労働者でも毎日入浴しきっちり整理整頓するとべた褒め。
  2. 日本家屋の簡素な美しさにも感動している。特に家具がほとんど無い簡素な生活ぶりについては『家の中に家具をゴテゴテ揃える我々西欧人は世間体を気にしすぎているのではないか』と自分たちの生活習慣を反省しているぐらい。
  3. 日本人の律儀さと規律。シュリーマンの江戸での行動には幕府から護衛(下級武士)が10人ほど付いてくるのであるが、彼らはお礼とか贈り物を一切受け取らない。横浜税関の役人も賄賂は断固として拒絶する。役所での仕事ぶりもきわめてきっちりしていると感心している。
  4. 物価。労働者の手間賃や工芸品や書籍はきわめて安いと驚いている。その一方で昼メシ代に15フラン(現在価値で1万5千円ぐらい)を請求され、ちょっと不満気味。幕府の案内役としては外国人を一杯メシ屋なぞに連れて行くわけにも行かず料亭みたいなところに連れて行ったのであろうが(ちゃんと本人にカネを払わせメシ屋に領収書を出させるなど、まことにきっちりしているが)日本の料亭で出される料理の実質価値と名目価格の比率(費用・効果比)は今も昔も同じなのであるなあと、今度はおいらが感心。また古美術屋の陶磁器の値段には驚倒している。
  5. 日本の自然と江戸の都市景観の美しさに感動している。何処でも樹木が一杯で公園の中に都市があるようだと、またどの民家にも小さな庭があり植栽が美しいと感動。まあ、当時の江戸の人口は250万人、全国人口は3000万人程度。これなら自然と共存できるわけだ。
  6. 売春婦(花魁、芸者)の社会的地位の高さに驚いている。これは文化の違いか。
  7. 当時の国内政治動向について、シュリーマンは「イナカの有力大名たちが、財力にものを言わせ、自分たちの既得権益を守るため、外国人嫌いの庶民を扇動し、保守的な朝廷勢力を担ぎ出し、開国文明開化に積極的な江戸幕府を追い詰めている」と分析。妥当な見方だろう。
  8. 面白いことにシュリーマンは貨幣交換比率について幕府に文句を言っていること。当時の日本では、金(小判)と銀(一分銀)の価値比率が国際基準と違っていた。一分銀が名目だけの価値しかない定位貨幣(補助貨幣)であったためだが、一分銀3枚=一ドルという平価をアメリカと約束したため大量の小判国外流出を招くことになる。幕府は急遽貿易用の小判と一分銀の改鋳を行いそれを防止したが今度は西欧諸国が条約違反だと文句を言い出し結局元に戻した(と歴史の教科書には書いてある)。外国人にとってめでたしめでたしの筈だったが、シュリーマンによるとこの特権は在日外国大使館・領事館の公務員にのみ適用され一般外国人には適用されなかったようだ(それで儲け損なったシュリーマンは文句を言っている)。ハリスやオールコックなぞはこれで個人的に大儲けしたはず。これは自分たちだけ特権を貰って後は『お目こぼし』という意味で一種の収賄に当たるのではないかと思う。古今東西、役人というものは(江戸幕府の真面目な下級役人をのぞき)どうしようもないな。

シュリーマンは商店の見習いから身を起こし、国際貿易で巨額の財を築いたビジネスマン。学校にも行ってないので独学で勉強した。巨万の富を稼ぐやいなやビジネスからは引退し自分の好きなことをはじめる。諸国漫遊の旅を続けるうちにトロイの発掘を思い立ったようだ(トロイ発掘は小さい頃からの夢でそのために仕事を辞めたというのはウソ)。当時の冒険商人特有の押しの強さもあり、遺跡発掘でも列強の圧力を利用してかなり強引なことをやった。そのため現代のインテリには今ひとつ評判がよくない人ではあるが、彼なんかにこそブローデル流の資本主義の精神を見ることが出来るとは、言い過ぎか。


シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

2013年10月13日日曜日

フェルナン・ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15 - 18世紀 日常性の構造、交換のはたらき、世界時間』(全6冊)

この1ヶ月、ブローデル三昧だった。この本はフランス歴史学アナル(年報)学派の巨頭が25年の歳月をかけて書き上げた彼の代表作。膨大で、詳細で、具体的で、箴言にあふれる。圧縮された文体は難解。普通の本を読むのに較べ時間は3倍以上掛かるが、でもとにかく面白いのである。知らなかったこと、あっと驚くことがいっぱい。自分が如何に無知で既成の『イデオロギー』の奴隷と化していたのか、マルクス、スミス、ウェーバーなどのえらい経済学者と言われる人たちも如何に皮相的で一面的であったのかなどなど、嫌と言うほど覚らせてくれる。「国際政治を勉強するための必読書は『トゥキュディーデス(ツキジデス)』。歴史を勉強するための必読書はブローデル」と言われる。加えて経済を勉強するためにもこの本は必読書だと付け加えたい。資本主義の本質がこれほどわかるものはない。

ここでこの本の内容を解説紹介するつもりはない(どれだけ理解できたかもよくわかっていない僕には無理である)。ブローデルの解説書はいろいろあるので、そっちの方が役に立つだろう。しかし、おいらなりの下世話な表現で「資本主義」というもののブローデル的解釈を整理すると以下のようなものだ:

  1. 資本主義とは、巷に言われるように、19世紀にあって急に出現したものではない。中世のイタリアでは華麗な資本主義が花開いていたし、更にもっと古くまで遡ることが出来る。資本主義は、時代時代の状況(重合的循環)に応じて其の形を変え、活動分野の変化させながらどんどん成長してきたものだ(長期的持続)。
  2. 資本主義と市場主義とは異なる概念である。資本主義はむしろ反市場的で、独占を好み、国家権力と結びつき、地道な経済活動よりは利益率が高い投機的取引を好む。資本主義はむしろ曖昧な定義であるところの『重商主義』に似ている。資本主義は経済社会の上層部による活動であり、市場主義が支配する通常の市場取引はまじめで専門性の高い中層階級がその活動を担う。さらにその下には資本主義とは全く無縁な膨大な数の下層大衆が存在する。資本主義は自分が属する社会内部ではもちろん、しかし主に周辺地域から可能な限り搾取する。国内取引が規制されがちであるのに較べ、遠隔地との取引は遙かに自由度が高いので(すなわち利益率が高く大きな搾取が出来るので)原始資本の蓄積はもっぱらここから搾取して築く(植民地香辛料貿易、奴隷貿易など)。
  3. 資本主義は長年に渡る私有財産の継承(世襲)を前提とする。最高権力者が資産保有者を胡散臭い存在と敵視しことあれば私有財産を没収したり、公平に選抜された高級役人による蓄財も「一代限り」であった中国(科挙制度)やトルコ(封土制)の大帝国などでは、資本の存在にも拘わらず資本主義は発展しなかった。
  4. 資本主義には都市が決定的な条件となる。農村周辺部には資本主義は生まれない。世界=経済(経済圏)の中心はあくまでも都市。それも一極に集中する。中心都市は一つしか存続できない。都市間競争に敗れると世界=経済(経済圏)の中心地はそこから離れる。都市の周辺部および世界=経済(経済圏)の周辺部は必然的に窮乏する。ただしその都市が世界制覇に成功する場合、その特定都市が属する地域(国家)は、更に外側の周辺国家を搾取することで、国民全体が覇権的資本主義の恩恵を被り豊かになる。資本主義世界では自国の資本主義が強くなければ国民は貧しくなる。
  5. こういう(不道徳な)資本主義は生き延びられるのか。将来とも、多少変化することはあり得ても、基本的に生き残る。資本主義とは経済的活動と言うよりは、社会の階層に根ざした社会的な現象であるからだ。

まあこういうことか。たいへんな大部であり、6冊全部を読むに当たってはブローデル自身の自本解説講演録(これは日本語でも文庫本で出版されている。『歴史入門 (中公文庫)』と言う陳腐なタイトルで)を読んでからの方がいいかも知れない。

この本からはいろいろの教訓と政策示唆を引き出すことが出来る。EU形成なんかもブローデルに影響されたのではないか。EUという世界=経済の中心地にうまく潜り込んでしまったフランスなどは、国民はバカンスで遊んでばかりで働いているようには見えないけれど、周辺外縁諸国から搾取することで、豊かな生活を享受している。中国もフランス帰りの鄧小平の改革開放路線以来、資本主義の国家育成に向けてまっしぐらだ。日本も(ちなみにブローデルは世界で資本主義が内因的に生まれたのは西欧諸国と日本だけだと日本を高く評価しているが)考えないといけないな。米国の世界覇権体制にうまく潜り込むことが賢いやり方なのだが、もたもたしているうちにタイミングを逸した感じがある。国内的にも資本主義の「角を矯めすぎて牛を殺してしまった」感もある。

おまけ:読みながら twitter で抜き書きをしてみた。後半部分だけだがブローデル関係のおいらの抜き書きカードは以下の通り:
twilog "kafusanjin" 『ブローデルの検索結果』

日常性の構造1 物質文明・経済・資本主義―15-18世紀
物質文明・経済・資本主義―15-18世紀 (I-2 日常性の構造2)
交換のはたらき (物質文明・経済・資本主義15-18世紀)
交換のはたらき (物質文明・経済・資本主義15‐18世紀)
物質文明・経済・資本主義―15-18世紀 (3-1)
世界時間〈2〉物質文明・経済・資本主義 15‐18世紀(3‐2)

2013年9月2日月曜日

ジャレド・ダイヤモンド『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫) 』

ジャレド・ダイヤモンドの本はいずれもたいへん面白いのだが、時々へんに「エコロ・リベラル」みたいなところがあり、そういう人なんだなあと思っていたんだけれど、この本で認識を改めた。きわめて公平な立場から、現実的で具体的な議論が繰り広げられている。この本で著者が取りあげる「文明崩壊」事例は、モンタナ、イースター島、ポリネシアの島々、北米インディアン、マヤ、ヴァイキング(特にノルウェー領グリーンランド)、ハイチ・ドミニカ、アフリカ、中国、豪州などだが、いずれも具体的で非常に面白い。

文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)


文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)

個人的にすごく印象深かったのは、今までよく知らなかったこともあるが、グリーンランドに移住したヴァイキング5000人の全員消滅の悲劇。彼らは11世紀から15世紀にかけて450年にわたりグリーンランドでかなり高度な「文明」を維持し続けたのであるが、最後は全員餓死したらしい(最後は牛の蹄まで煮て食ったというのだから悲惨だ)。寒冷地には格段の適応力を発揮する北欧人ではあるが、彼らの滅亡の理由としてジャレド・ダイヤモンドは次の5点を挙げる:
  1. 意図しない資源枯渇(森林減少、土壌エロージョン)
  2. 気候変動(当時の地球寒冷化)
  3. 近隣敵対勢力の出現(寒冷化に伴いイヌイットが南下してきた)
  4. 友好勢力からの支援を受けられなかった(母国ノルウェーからあまりに遠かった)
  5. 保守的かつ頑迷。状況変化への対応姿勢に欠けていた(極寒地にも拘わらず、風俗習慣すべて、母国人以上に「ヨーロッパ的」であろうとした)
著者は、この5点は、グリーンランドに限らず、すべての「文明崩壊」に部分的もしくは全面的に共通する問題だとする。あたかも人間の知恵で崩壊が避けられるかのように。確かにそういう面はある。同意。

しかし、である。著者も本当は知っていると思うけれど(なぜなら所々で、あの悪名高きイギリス人経済学者の引用があるから)「文明崩壊」の本当の理由とは、人口過剰なのである。グリーンランドにせよ、たまたま移住をはじめたときに気候が温暖化していたから5000人も連れてやって来たのであるが(それだけの人数が食べて行けるだけの自然状況にあった)、寒冷化してしまうと「収納可能能力」が小さくなってしまったのだ。これはイースター島などのほかの例でも同じこと。最終的には、地球上ではあの悪名高イギリス人経済学者の「マルサスの原理」が貫徹するのである。

著者は比較的上手く行った例として江戸時代の日本を挙げているが、これも、人口の間引きや木材・食料資源取得を蝦夷地に広げることでアイヌ人の犠牲のもとに達成されたことも忘れないでちゃんと書いている。

現代日本も資源を海外から輸入することで、森林資源などの国内資源の温存に成功しているが、それがいつまで続くものなのか、興味深い。少なくとも野放図にマグロや鰻蒲焼きを食い散らして「ニッポン人が地球の資源を食い尽くしてしまった」などと後世の歴史家に書かれないようにしたいものである。

2013年8月30日金曜日

ケネス・ポメランツ/スティーヴン・トピック『グローバル経済の誕生: 貿易が作り変えたこの世界 』

たいへん怖ろしい本である。アメリカ歴史学会の会長を務めるポメランツ氏(中国近代史の研究で名高い)とカリフォルニア大学歴史学部教授のトピック氏(植民地支配下のラテンアメリカの研究者)の共著。15世紀以降、悪辣なヨーロッパ商人が世界に進出し、他国を植民地化し、世界がグローバル化する中で、海賊行為、略奪、奴隷貿易、植民地の搾取、農業の商業化によるモノカルチャー、そして暴力的戦争などが繰り返され、如何に巨大な貧富の格差を生み、如何に悲惨な出来事を引き起こしたかということを、これでもかこれでもかと示してくれる。これはすべてあらゆるものを商品化する「グローバル貿易」がもたらしたものであるという。記述が具体的であり、きっちりドキュメンテーション化されているので、とても説得力がある。「TPPハンターイ」派がこれを読めば、身を捩らせて喜ぶこと請け合い。

グローバル経済の誕生: 貿易が作り変えたこの世界 (単行本)

確かにあの時代の搾取には目を背けたくなるものが多く、マルクスならずとも資本主義・市場主義を弾劾したくなることは事実。上記は表紙の写真だが、ついこないだまでのブラジル金鉱山で奴隷労働を強いられていた労働者の群れだ。気持ちが悪くなる。

いちいち例を挙げないが、始めから終わりまで、この手のお話しでいっぱい。西欧の資本主義の発展もこうした植民地搾取による原始的資本蓄積があってはじめて可能になったという。ヨーロッパ人は本当にワルイ奴らだという気がしてきた。

しかし、である。話を15世紀以降に限定するのではなく、もっと長いスパンで歴史を振り返ってみるとどうだろう。例えば「栄光の時代」といまだに崇められているギリシャ・ローマ時代でもいい。当時の奴隷制度はどんなものであったのか。人口の半分が奴隷であったのだ。奴隷の中には家事労働に従事するめぐまれた奴隷もいたことはいたが、大部分は上記の写真のような凄惨な状況で働かされていた。戦争は勝者による敗者の略奪と奴隷化であった。アテネの将軍はミーロス島に行って、アテネはあなたたちより強いのだから、あなたたちはみんなアテネの奴隷にならねばならない。それはものの道理であると言い切った(ミーロス島住人は抵抗したため老若男女を問わず全員虐殺された)。シーザーがガリアでいかほどの大量虐殺をやったかはシーザーが自分で書いているとおり(ガリア戦記)。アッシリア、エジプト時代まで遡るともっとひどいし、植民地化された方の歴史を見てみても新大陸のアステカ帝国は狂気の殺戮を日夜儀式化して繰り返した。中国においても日本に於いてもいくらでもこの手の例を挙げることが出来る。狂信と暴力はグローバル貿易とは関係のない人間の本性なのではないか。大航海時代はたまたま航海術と造船技術がヨーロッパで飛躍的に進歩したおかげで、いままでは西欧ローカルスタイルのこの種の略奪と暴力が世界に広がりグローバル化して、今までのそれぞれの地域固有のローカルスタイルの略奪と暴力の伝統に置き変わっただけの話ではないのか。

もちろん、彼ら(ヨーロッパ人)の残虐行為を正当化するつもりなぞさらさらないけれど、ヒトという動物は放っておけば必ずこうした行為に走るものであるとの印象を今さらながら強くした。だからこそ牽制機能が必要なのである。個人の暴走は法律で牽制する。国家の暴走は憲法で牽制する。企業の暴走は独占禁止法で牽制する。人類はヒトのこのような性向を知った上で、数々の牽制システムを完成させてきた。それが文明というものであろう。ヒトの知恵もまんざら見捨てたものでもないのである。

2013年8月26日月曜日

ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』(講談社学術文庫)

タイトルが面白そうだったので読んだら、きわめて真面目な本であった。貴族社会の放蕩息子たちの女性誘惑のために行った際限ない浪費と、カッコヅケと見栄と顕示欲に基ずくアホらしい贅沢消費パターンが、徐々に大衆化(ブルジョワ化)していったことこそが、現代資本主義を発展させる鍵となったという分析。具体的詳細なデータが散りばめてあって、その意味では楽しいけれど、マックス・ウェーバーの言うプロテスタンティズムの勤勉さこそが資本主義を発展させたという「正しい」理論とはまるで逆ではないか。著者はウェーバーと同時代のドイツ人だというのだから恐れ入ります。でも言っていることが一理も二理もある。資本主義というものが急に胡散臭いものに見えてきてしまった。考えさせられる一冊である。

恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)

贅沢消費が経済を発展させると言うことは事実。安倍のボクちゃんも同じことを目指している。ヴェブレンがいうように中世から近代にかけて急増した経済的生産物とはそのほとんどが衒示的消費のための贅沢品だったから、現代社会で言う「消費」とは当時の「贅沢消費」と変わらない。それが経済全般を引っ張ったことも事実だろう。贅沢品の製造には手間暇が掛かる。雇用も生みだした。しかし逆に河上肇が言うように、それは経済全体の生産資源の配分を歪な形にしてしまったことも事実。でも結果オーライだったこともまた事実。頭が混乱してくる。

しかし重要な点が残されている。いくら贅沢をやろうとしてもおカネがないと贅沢は出来ない。原資となるおカネはどこから来たのかと言うこと。著者によれば当時の贅沢消費の担い手は、1)王侯貴族、2)地代収入を得ている地主階級、3)税金を回して貰っている公務員階級(僧侶、司法関係者なども含め)、3)国債金利収入を得ている資産家・金利生活者、4)香辛料・砂糖などの贅沢品貿易と奴隷貿易で儲ける貿易業者、5)最後に(意外と小さい割合で)製造業者、商人ということ。国の借金が膨らめば膨らむほど贅沢消費が活発になり経済が発展するという理屈だ。まるで現代ニッポンを見ているようではないか。しかし一般庶民におこぼれが回るのは遙か先のこととなる。そのくせ、一般国民は、税金と地代の支払いに追い立てられ、宣伝に惑わされ必要以上に高い物を買わされ、必要あればお偉方の海外利権を守るための戦争にかり出されるのだから、たまったものではない。なんだか胡散臭いシステムである。

経済学とはまことに陰鬱な学問なのでありました。

2013年8月22日木曜日

ニコラス・ウェイド『宗教を生み出す本能 進化論からみたヒトと信仰』

とても真面目な本。こんな本を読むのは普通真面目な人に限られるので、おいらみたいないい加減なオッサンが読むのは場違いだが、最近この世の中に蔓延する合理性のない集団心理や「空気」、それに他集団に対する攻撃性なんかに辟易することが多く、この集団心理はひょっとしてホモサピエンスに生まれつき遺伝的に備わっている思考回路じゃないかと思ったのがこの本を読み始めたきっかけ。読んでまさにその通りだと言うことがわかりました。ヒトはもともと集団的で狂信的なのだ。

下にあげた表紙の写真をご覧あれ。これこそホモサピエンス〔ヒト)の集団の姿。その勇敢さと強さと野蛮さを雄弁に物語っているではないか。「宗教は人類生存のために(このように)進化してきた」ことを、著者は生物学、社会科学、宗教史を縦横に駆使しながら説明する。科学ジャーナリストが書いた本だけあって、一つの分野に閉じこもることがなく、異論が存在する学説〔仮説〕も公平に客観的にそれぞれ紹介して行く。裨益するところ多大。
宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰
印象深かった点は多々ある。例えばアフリカを少人数で脱出したホモサピエンスは身体能力的に同等以上の力を持ち圧倒的多数でヨーロッパに君臨していたネアンデルタール人を如何にして食い尽くすことに成功したのかなど。考古学の成果。35000年前のホモサピエンスの遺跡〔ドイツ〕から角笛が発見されたのだ。当時のホモサピエンスは既に音楽を持っていた。音楽はすなわち舞踏であり、舞踏は狂信的高揚(トランス)による集団の結束をもたらす。それが宗教。それでもって上の写真のように結束し一気にネアンデルタール人を壊滅させたのだ。宗教の力はすごい。現代社会でも〔旧日本帝国軍隊の例をとるまでもなく〕狂信的原理主義的集団は強いのである。

同時に宗教は集団内部の福祉にただ乗りする「フリーライダー」を排除したり〔厳しい戒律と通過儀礼、さらに村八分〕、商取引のベースとなる集団内部の信頼を生み出したりして〔ユダヤ人のダイヤモンド商人〕、資本主義商取引社会の発展をもたらすという平和的メリットもあった。

このような宗教の特性はヒトが文化的に後天的に修得したものではなく、原型は類人猿の時代から存在し〔道徳〕、それが遺伝学的に進化してきたものであるという。少なくともそういう学説が現在では主流であるらしい。ダーウィンの「集団選択」理論の復活だ。また無神論者のリチャード・ドーキンス〔『利己的な遺伝子』の著者〕に対する痛烈な批判ともなっている。とても知的刺激に富む本で、大いに勉強になりましたです、ハイ。

2013年8月18日日曜日

ツヴァイク伝記文学コレクション2『ジョゼフ・フーシェ』

フランス革命からナポレオン帝政、更に王政復古まで、めまぐるしく大変化が続いたあの時代、僧院教師でありながら教会を裏切りそれを破壊し、穏健主義の地盤で議員に選ばれたに拘わらず王党派を大量虐殺し、熱烈な共産主義者のくせにフランス一の富裕な公爵に成り上がり、ナポレオンに徹底的に疎まれながらも最後までナポレオンの側近であり続け、しかも最後は恩人のナポレオンを裏切り、ルイ16世の斬首の責任者でありながら弟ルイ18世が王政復古しても大臣に居座るなど、裏切りと変節の限りを尽くし最後まで政治の中心部に居残る。いまだに無節操極まりない冷酷の悪漢、嫌なやつの代表と思われているジョセフ・フーシェの伝記だが、何度も訪れた絶体絶命の修羅場で、冷徹な判断と恐るべき生存本能で「危機一髪」斬首を逃れるフーシェの生き様は、まるでスリルいっぱいのサスペンス小説を読むようだ。鹿島茂も同じテーマで本を書いているが〔『情念戦争』)、こっちの方が格段に面白い。ツヴァイクと鹿島茂の筆力の差だろう(鹿島先生ごめんなさい)。

マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』の半世紀も前に、フーシェは、それ以上に完璧な「フーシェ版共産党宣言」を発表していた。これはちょっと驚き。フーシェには理想とか理念というものは一切なかった。だから共産主義も便法でしかなかったはず。だからこそ雄弁になれたのだろう。人生は舞台、人間は役者。役者の方が本物らしく見えるという実例。

同時にこの本で雄弁に描写されるのは、ナポレオンのすごさ。ナポレオンの偉大さは戦場での勝利にある以上に、緻密な数学的緻密さと勤勉さでナポレオン法典などの制定を通じてフランスを近代国家として建設したことにあることがわかる。ナポレオンは並の人物ではないだけにフーシェの有能さは理解していた(だからこそ大嫌いだったけれど使い道があるフーシェを、敵に回さないためにも最後まで自分の部下として抱え込んだ)。

タレーランも基本的に「勝ち馬乗り」御都合主義者である意味でフーシェと同じであるとの記述も面白かった。でもタレーランはネアカだったために、いまでも評判のいい偉人である。フーシェはネクラ。人生、ネクラは常に損をする。さすがのフーシェも晩年は惨めだった。これ人生訓。

ナポレオンもロベスピエールも、あれだけの大天才だったにも拘わらず、最後の土壇場で一瞬の優柔不断が運命を分ける。フーシェを追い詰めギロチンにかけようとしたロベスピエールは最後の土壇場で大逆転され、逆にギロチンに掛かる。ナポレオンも最後の土壇場で列強との妥協のタイミングを逃し、フーシェに裏切られる〔フーシェによればナポレオンはフーシェに裏切られたのではなくワーテルローに裏切られたらしいが)。出来過ぎみたいな話だが、これまた人生訓としても面白い。

感心するのはあの時代、あれだけの物的破壊を繰り返し、数百万人の人的犠牲を払いながら、フランスが経済的に急速に発展したこと。パリを中心とした全ヨーロッパにまたがる文化的帝国主義圏〔文明〕が完成するのだ。まさにシュンペーターの言う「創造的破壊」である。古くさいものを大切にするだけでは国はジリ貧に陥るのである。これは経済史的教訓。


ジョゼフ・フーシェ―明日の歴史 (ツヴァイク伝記文学コレクション2)

2013年8月16日金曜日

河上肇『貧乏物語』〔岩波文庫〕

これはわが国が誇りうる経済学の古典ですよ。外来理論の翻訳に終始してきた「ニッポンの経済学」の伝統のなかで、はじめて世界的にもユニークな独創性のある経済理論が生み出されたのだ。さすがは京都学派である。しかし〔今もそうだが〕外来理論翻訳こそ命と信ずる当時の日本の経済学者の間では極めて評判が悪く、河上はさんざんに冷笑と嘲笑をあびた。岩波文庫本で解説を書いているわが国マルクス経済学の大御所大内兵衛もその解説の中で「極めて未熟な理論」とバカにしている〔バカにするぐらいなら解説なんか書くな〕。でも彼らの河上批判の根拠は河上理論は「十分にマルクス的じゃない、マルクス理論をもっと勉強しろ」という程度のものだから、無視していいようなもの。むしろ勲章みたいなもんだ。

さて河上肇の『貧乏物語』だが、当時わが国及び世界で蔓延していた労働者の貧困問題をどう解決するべきかという問題を、河上肇が長年に渡り真面目に真剣に考え考え抜いた結果の労作なのである。西欧の理論はもとより東洋哲学の考え方も濃厚に反映されている〔この辺がハイカラなマル経学者が気に入らなかったところだろう〕。解決策として河上は所得再分配政策や、国家社会主義的な産業政策も検討するが〔これらの政策にはかなりの魅力は感じながらも〕一番現実的で効果的な政策は別にあると提案するのだ。なんとそれは「金持ちが贅沢しないことこそが貧乏退治の第一の方策」という有名な命題だったのである。ハイカラなマルクス経済学信奉者たちがこれを聞いて拍子抜けであんぐり口を開けてしまった表情が目に浮かぶようで実に愉快。

河上は言う。貧乏人は生活必需品の購入が十分に出来ない。貧乏人でも生活必需品は潤沢に買えるようにしなければならない。でもそれが出来ないのは生活必需品の生産が十分に行われていないからだ。需要があるのに生産が行われないのは、社会の生産能力が生活必需品以外の贅沢品の生産に向けられてしまっているからだが、これは金持ちがカネに任せて贅沢品を需要することから起こる。金持ちをして質実剛健の生活を送らせるべきである。そうすると贅沢品の需要は急減し、社会の生産能力は生活必需品の生産に向けられることになり、貧乏人は安い値段で生活必需品を十分な量だけ購入することが出来る。これこそ貧乏退治の秘策である、と言うもの。

合理的である。理屈が合っているから。河上理論を現代経済学的に解説してみるとなお一層その合理性と整合性がわかる。つまり経済全体の生産量はコブ・ダグラスの生産関数で決まる。全要素生産性が一定であれば資本と労働の投入量が総産出量を規定する。資本と労働は無限には存在しない有限〔稀少〕生産要素である。よってその生産要素の「合理的配分」がなされるべきである。もちろんレオンチエフの行列式〔産業連関表〕を活用し、人為的に各生産部門への生産要素の配分を行うことでもそれは可能だが、これはあまりに社会主義的であり望ましくない。よって需要サイド〔それも一番多く購入する金持ち階級〕の消費パターンを道徳的・倫理的指導により改善することで〔贅沢品を買わないようにさせることで〕稀少な生産要素を望ましい生産部門に誘導することが一番望ましいと言うもの。

この処方箋は日本の特殊文化に非常にフィットしたものでもあった。この河上論文は最初大阪朝日新聞に連載されたものだが、連載中から異常に大きな反響を呼んだ。本に出版されるとたちまち大ベストセラーとなった。大阪商人の「始末始末」の精神に合致している以上に、徳川時代からの武家の伝統文化にも合致するものであったからだろう。直江兼嗣とか徳川吉宗の政治はこの河上理論の実行にほかならないではないか。

河上が対象とした当時の「絶対的貧困」はもはや現代日本では見あたらない。でも河上理論を「無駄なものの生産に稀少な生産要素を投入するのではなく、有意義な価値のある分野に生産能力を振り向けることこそ経済発展に必要なことである」と読み替えれば、河上肇の処方箋は病める現代ニッポン経済にほぼ100%そのまま使える有効なものだ。テレビのCMを見ても実に下らないなくてもいい商品でニッポンは溢れかえっている。単に生産性の悪いだけの旧態依然の商品を「拘りの手作り」とかいって有り難がる風潮も蔓延している。ああいう無駄を省くだけで十分に効率的で競争力のある経済に再生させることが出来るだろう。

日本では社会のエリート〔サムライ〕が質実剛健生活スタイルをよしとしてきた歴史がある。このような文化は〔少なくとも産業革命以降では〕日本だけだ。日本は江戸時代からずっとこんなやり方で経済を成長させてきた。このやり方では産業革命のような革命的ブレイクスルーは無理だが、そこそこ凌ぐことは出来る。日本ではニッポン人の分限を弁えたこんな地味な経済政策が望ましいのかも知れないと最近考えることがある。

大正時代にして、既に日本にもえらい経済学者がいたということを知って、大いに心強く思った。量も少なく読みやすいので寝転がって読める。楽しい。


貧乏物語 (岩波文庫)