2005年9月29日木曜日

「出し惜しみしているうちに、それが実力になっちゃうもんなんですよね」(お気楽、極楽日記 Quoted by 江波戸哲夫)



今晩の日経夕刊の「さらりーま ん生態学」コラムで作家の江波戸哲夫が「毎朝、仕事にかかる前に目を通しているブログの中から」として、上記の名言を引いている。確かにたいへんな名言 だ。

このブログを検索すると出てき た。このエントリー。9月20日の日記にこの名言が出てくる。書いている 人は、目下、売り出し中の30歳のベンチャー企業の経営者とのこと。

江波度哲夫はこう書く:
30歳のこの経営者は自戒を込めてこうつぶやき、59歳の私は自戒を込めてそれを引用した。老いも若き も明日から、アスリートのごとく己の限界と戦いますか?

隠居である散人は、もはや戦わないことにしている。でもこういう戦う人達 はすがすがしいと思う。

2005年9月17日土曜日

生源寺眞一:講演「農業・農村のゆくえと日本社会」……徹底的にクサイ!


 

この講演(学士会夕食会講演、平成17年4月11日)は、日本の主流派農業学者の考え方をもろに代弁しているものである。勉強してみよう。

生源寺眞一氏は、東京大学大学院農学生命科学研究科副研究科長。講演の要旨(意訳):
  1. 日 本の農政の基本は、1999年7月に制定された「食料・農業・農村基本法」。この法律によって、自給率を国として掲げることが法定されている。政府はこれ に基づき2000年3月に、カロリーべースの自給率を2010年に今の40%から45%までに引き上げるという目標を設定した。法律だから守らなければな らないのだ。
  2. 自給率を上げるには、分子の食料生産量を増やすか、分母の食料消費量を抑えるかどちらか。分子の方はいろいろ事情があって難しいので、まず分母の 食料消費量の無駄を何とかしなければならない。肉とか脂肪の摂取はエネルギー換算(穀物換算)で無駄が多い。何を食べるかは消費者の勝手だと言うが、脂肪 のとりすぎは健康に悪いし、病気になれば健康保険に負担が来るわけで、これは個人の自由というわけにはいけない。異論がある人も居ることは承知している が、とにかくそういう風に法律で決まっているのだ。
  3. 分子の食料生産量だが、1989年以降絶対量で低下し始めている。これは日本の農家が賢いからである。すなわちカロリーベースで生産を上げるより 金額ベースで生産を上げる方が利益になるからであり、正しい行為だ。野菜や果物、それに長期肥育させた霜降り肉などは儲かるのだ。カロリーベースでは自給 率の向上にはならない(逆に低下させる)けれど、金銭的には農家にメリットがあるのでよいことだ。
  4. そもそもなんで自給率を上げなければならないのかというと、これは保険である。保険の理論では、保険のモラルハザードが知られているが(例えば自 動車保険に入ると車の運転が粗くなるとか)、食料の場合はそんなことにならない。逆に安寧の基になるのだ。食糧が自給できると国民は妙な行動や不安定な意 志決定を避けることが出来る。
  5. 水田農業はたいへん困った状態にある。政府は経済成長によって人が農業から非農業に移動していくという想定をしていたが、そうなっていない。農業 の規模はほとんど変わっていない。でも、これはそれでも農家はいいからである。大多数の農家は農業以外にも仕事を持っており、農業はいわばホビーみたいな もの。他の収入があるので農産物の価格はそれほど高くなくても良いということになっている。だから社会全体で言って合理的なのだ。
  6. 最近は耕作放棄地が増えすぎて頭が痛い。でもすでに農業はホビーであるという人が大部分であるので、農地を手放すことで所得が減ると言うことでもないので、今後農地の集約化は進むのではないか。
  7. ただ、いきなり大規模農業を日本に導入することは出来ない。先に言った「食料・農業・農村基本計画」では「地域の農業にかかわる多様な主体が存在 する中での農地の利用集積に向けた動きをする」と明記されている。大規模農家も高齢農家も、兼業農家も共存すると言うことに決まっているのである。これは 閣議決定された文章なので守らねばならない。
  8. 日本の農業はコミュニティー活動でもある。市場経済とは異質なモンスーンアジア型のものだ。文化なのだ。こういう共同体文化のよさを都市住民はむ しろ謙虚に学ばねばならない。この考え方に基づき、農村は、自分たちの方から日本社会の在り方に対する発言や提案を始めているのである。共同体精神を忘れ た都市住民は、俺たち農村から学べ。
  9. また農業は今、産業分類上の農業から大きく変わろうとしている。すなわち、加工、流通、外食という分野での付加価値を取り込み、自分たちが支配できる領域を拡大しつつある。つまり農民が活躍する分野を消費者に直結するところまで広げるのだ。

分かりやすくするために意訳した部分もあるが、いやはや、たいへんな主張だ。馬鹿らしくて反論する気にもならないが、二三述べておく:
  1. 1999 年7月に制定された「食料・農業・農村基本法」、これが諸悪の根源であると言うことはよくわかった。法律だから絶対に守らねばならないという主張だが、こ の法律こそが現在の問題を引き起こしているのであり、その問題点が明らかになった今こそ、廃止・改定するべきものであろう。鬼の首を取ったように「法律」 を持ち出すのは、農業関係者の得意とするところであるが、法律策定において彼らはいかに狡猾であったかを物語るものである。
  2. また、食糧自給率を増やすために、食料消費量を抑えるという主張は、本末転倒も甚だしい。「医食同源」の新居裕久先生も言っているように、日本伝統食である粗食は健康を害する。もっと肉と野菜を食べないといけない。自分たちの都合だけで国民の健康を弄んで欲しくない。
  3. 消費者に肉を食うなと、おこがましくも指示するぐらいに食糧自給率を向上が大切だと主張するくせに、お前らの農業生産者に対する態度はなんだ!  お金が儲かる農業だから農民は「賢い」だと? カロリーベースの食糧自給率を上げようと思えば、経済的にはまったく非効率であると認定されている国産牛の 長期肥育霜降り肉なんかは直ちに生産を止めるべきではないのか。穀物を作らずに野菜を作っている農家も(あんたらの主張をそのまま適用すると)廃業させる べきではないのか? 輸入肉の方が脂肪分が少なく健康的だし、輸入野菜の方がミネラルが高い。
  4. 食糧自給率は保険で、しかも保険のモラルハザードは逆の方向に働くという。学者なら、その根拠を示せ。歴史から学ぶことは、むしろそれとまったく 逆のことだ。地政学的に地域内の「食糧資源自給」が可能になると、戦争はむしろ起こりやすくなるのだ。ウヨ的な攘夷論も出てくる。もっと歴史を勉強して欲 しい。
  5. 兼業農家が農産物の価格を安くしているという「理論」には驚いた。お話しにならない。でも、日本の農民がみんな「ホビー」として農業をやっているというくだりには同感。ホビーである以上、逆にわれわれ国民に、貴重な国土を遊び場として使っている「使用料」を払って欲しい。
  6. 兼業農家は農業ではお金を儲けていないので農地を手放すだろう(集約化は進む)という「見通し」にもあきれてものが言えない。農家が耕作放棄農地 であっても農地を決して手放さないのは、農地の期待転売益のためである。うまく宅地転換が出来れば莫大な利益を懐に入れることが出来るわけで、そんな含み 益で天文学的に膨らみ上がっている農地を安い簿価価格で誰が手放すか! 農地の貸し出しについても、小作人権利の発生を嫌って地主は耕作放棄農地ですら貸 し出しにも応じていないではないか。このままでは絶対に日本農地の集約化は進まない。
  7. 兼業農家も、専業農家も、高齢農家も、みなが共存する農村にすると閣議で決まっているから、農業の担い手の集約は出来ないと言うが、これも上で述 べた理由で却下。たかが一内閣の閣議決定文章の「テニヲハ」に拘泥してすでに決まったことだと主張するのは、陰謀を得意とする既得権者一流の詭弁である。
  8. 農村のコミュニティー文化を都市住民は学べと高飛車に出ておられるが、都市にはコミュニティーは存在しないというのか。都市にも伝統のコミュニ ティー文化はある。むしろ、遅れた嫌な農村ムラ文化が都市を汚染することだけは、なんとしてでも阻止しなければならないと都市住民は思っているのだ。前世 紀的な遅れた文化をわれわれに強要するのは、トンデモハップン、願い下げだ。
  9. 最後の農業産業分類を超える農村活動範囲の拡大の話は、要注意である。農協は協同組合であるがゆえに独占禁止法の適用は受けない。いま農村が加 工・流通・外食の分野にも食指を伸ばしていることは承知しているが、保険分野・金融分野(農協共済・農林中金)で農協があれほど巨大になって民業を脅かし ているのに、それだけではまだ不足と言うことらしい。彼らはなにせお金を持っているのでやろうと思えばたいていのことは出来る。自分で農業自体を低生産性 産業に追いやっておいて、政治圧力で稼いだお金(悪銭)を原資に、他の日本の高生産性分野をも支配しようと言うのだ。そうなれば日本経済全体が非効率的な 農協経営化するのは目に見えている。こういう動きには、非常に警戒する必要がある。

Posted: Sat - September 17, 2005 at 09:20 PM   Letter from Yochomachi   農業問題   Previous  Next   Comments (1)  

2005年9月16日金曜日

「オープンカーに乗ると飛ばす気にはならない」(徳大寺有恒)



今朝の日経ボルボの全面広告で、自動車評論家の徳大寺さんが言っている言葉。そうか。みんなオープンカーに乗るようになると車の事故は減る?

徳大寺さんは言う:
僕はオープンが好きだから、必ず一台はオープンカーを所有する。オープンカーを運転するのは本当に楽しい。とばす気にならず、のんびり景色を見てドライブしたいという雰囲気になる。日本は四季折々に楽しめるので、もっと流行ったらいいと思う。

同感。オープンカー(カブリオレ)に乗ると飛ばさない、これは事実だ(最初はちょっと飛ばしてみたが直ぐ止めた)。そのことによる「安全性の向上効果」は今まで無視されてきていると思う。税制上の優遇策とか保険料率の特例とか考えて欲しいな。車の事故の社会コストを確実に低減させているのだから。

ちなみに徳大寺さんが広告で推薦しているのは、ボルボ C70 カブリオレだが、あれは納車に4ヶ月もかかる。アウディの方がいい。

2005年9月14日水曜日

内田樹「勝者の非情・弱者の瀰漫」……強者・弱者の定義をもう少し考えてみよう!

 このエントリー。面白かったけれど、屁理屈であるとも思った。「弱者」の立場に立った論点というのは、すごく共感を呼ぶんだけれど、現在日本の「弱者」は、弱者ゆえに衆を頼んで政治的に強者となり、結果的には経済的にも(他の弱者の犠牲により)強者となっていることが、問題なのである。それが「既得権益」に他ならない。

首都圏から地方に行ってみればよくわかる。首都圏に住む庶民より地方住民は格段にいい暮らしをしている。所得面はいうまでもないが、資産面での格差を考えると、その格差は驚愕するばかり。世界でも一番生産性の低い日本の「弱者」であるという農業家計が、なんでこんなに豊かであるのか。それは、既得権益となっているからだ。誰の負担でそうなっているのいるのか? 世界でも一番生産性が高いという都市の勤労者家計がそのコストを払っているからに他ならない。都市勤労者家計の実質生活水準は、世界でも有数の下位に位置する。おかしいとは思わないか?

内田氏は「弱者が弱者をいじめる」という。とんでもない。弱者を装う強者が日本では多すぎるのである。そのいわゆる「弱者」が、政治的に結束し得ない本当の弱者を搾取している。

日本では、経済的弱者が、衆を頼むことで政治的には強者となり、ひいては他の弱者の負担の上で経済的にも強者となっている。田中角栄(ひいては鈴木宗男)が実現させた歪な世界だ。こういうことを許しておくわけにはいかない!


参考:世帯の一人あたり年間家計費は、サラリーマンより農家の方が15万円以上多い(日経)