2006年12月31日日曜日

「ウヨ vs. サヨ」の対立軸はもう徹底的に古いな‥‥



机の引き出しを整理していたら,昔作ったメモが出てきた。二つの座標軸で現代ニッポンの利害関係を整理したものだが,結構使えるのでここに入れておく。

こういう分類方法:






ウヨもサヨも同じ象限に位置することがポイント。既得権益集団ももちろんこのカテゴリーに位置する。各自自分がどの象限に位置するのか,考えてみると面白い。

Posted: Sun - December 31, 2006 at 11:14 AM   Letter from Yochomachi   Science   Previous   Next  Comments (4)

2006年12月13日水曜日

新宿区シルバー人材センター:新宿の「おばあさんパワー」はすごい!



植木の手入れを今年から新宿区のシルバー人材センターに頼んだ。大正解。かなりのお年のおばあさん二人がやってきたが,すごいのなんのって,驚いた。

従来,植木の剪定は会社組織の植木屋に頼んでいた。ネクタイをした営業マンが施行図面入りの見積書を出してくれるという植木屋らしからぬところが面白かったのだが,近年どんどんサービスが低下。高所作業車やゴミトラックというような大げさな機械化だけは進んでいるのだが,肝心のお仕事が「お役所仕事」。「見積もりには入っていません」と言って時間が早めに終わっても余分なことは一切しない。そのくせ見積もりに入っている木を斬り忘れていたりなんかする。今年は新宿区役所の「シルバー人材センター」に頼んでみた。

区役所に電話をかけると区役所が手が空いている植木剪定の技術を持った高齢者に取り次いでくれる。下見の後,仕事の前日に区役所がはしごなどの道具を搬入。当日は「シルバー人材」が自転車でお越しになる。なんと散人より遥かに(?)お年寄りのお婆さんたち二人だった!

このお婆さんたちがすごいのだ。高いヤマモモやマキに平気で登る。小さくって体重が軽いから散人だったら絶対折れてしまうような枝にも伝って行って先を剪定する。丁寧な仕事ぶり。切った枝は片端からもう一人のお婆さんが短くそろえて袋詰めにする(剪定枝は持ち帰らない,施主が燃えるゴミとして出す)。朝から晩まで一日働き通し。いやはや,感心しました。

おまけに経済的。いままでの剪定サービス会社より三分の一以下のお値段で済んだ。事務経費や中間管理職のお給料を払わないと,これだけ費用削減が可能なのだ。

散人はすっかり満足して,箒で葉っぱを掃いたりなんかしてお手伝い。今日はいい運動になりました。

「いまこそ農地法の理念に立ち返るべき(耕さないと所有は認められない)」(大泉一貫)


正論である:

今日の一貫 農地政策の検討はじまるが遅すぎないか: "「農地は農家の私的なもの」と思ってる人が多い。が実はそうではない。 農地は、耕作することによって所有が認められる、公的なもの。 公的なものに条件図けられた所有。こういった所有を経済学では何というのだろうか? 私的所有ではなく、個別的所有とでも言うのだろうか。 とまれ、農地政策の根幹は、耕作すること。それが大前提。 耕作しなくなれば、所有も何も認められない。 転用は言うに及ばない。と、農地法の理念をいくら強調してみても、昨今では言うだけ野暮になる。農家は誰もが「自分のもの」と思いこんでいる。だから「転用しようが、耕作放棄しようがオラの勝手」となる。"

立花隆も同じことを書いていた。
「不動産業者・金融業者と化した偽装農民たちの宅地並み課税への抵抗」(立花隆): "大部分の農民の土地は、戦後の農地解放で「耕すものにこそ所有の権利がある」という理由で、ただ同然の値段で手に入れたものであって、脱農業を計り「耕 さざるもの」となった農民には、この間の地価高騰による超過利潤が本来的に自己の所有に帰属すべきものだとは主張できないはずである。(中略)農地解放の 精神を忘れて、ただただ既得権益のエゴイスティックな保持だけしか考えない偽装農民たちと、その主張の代弁しか考えない農協組織という状況がいつまでも続 いていると、何れ農地開放に匹敵するような強権発動をもってしかこの矛盾を解決できないという声が社会一般の認識となるかも知れない。"

その後20年も経っているが,状況は全く変わっていないのである。

高坂正堯が講演で面白いことを言っていた。「世界中で地権者の権利がこれほど守られている国は,日本と西ドイツだけ。どっちの国もアメリカの占領下で法体系が作られた。なんでだろうか,よく考えてみよう」と。

も ちろん高坂がいいたかったことは,アメリカは「ドイツと日本を再び軍事大国にしてはいけない」との固い決意のもとに両国の法体系の整備を推し進めたのだ。 農地解放もその一環。その後冷戦に入り多くの産業政策は修正されたが,農地だけは,いったん渡してしまった以上,修正のしようがなかった。日本は占領軍が 仕組み込んだ十字架をその後な長く引きずることになる。いまだに日本の農業は生産性が低いまま。

日本の農家は,アメリカのおかげで農地をもらったくせに,外国(特にアメリカ)が大嫌いな人が多い。不思議なことである。これもまた日本を弱体化させたかったGHQにとっては「想定内」の帰結だったのか。


PS)土地は国家のものであった時代もあった。平安時代には農民は「耕作権」だけが認められていた。まあ,漁業権と同じ。ここ↓
8/3 Today 大宝律令完成す(701): "土地はすべて国家のものと定められた。班田収授法。平安時代になるとこれが維持できなくなり土地に対する私権が蔓延って行く。イギリスなんかはいまだに 「土地は女王陛下のもの」という感覚が強く残っているため公共事業などやりやすいが、日本じゃ成田空港建設を見ても土地の私権がいかに強いかわかる。唐律 のマル写しである大宝律令を堅持していた方がよかった?"

Posted: Wed - December 13, 2006 at 01:02 PM   Letter from Yochomachi   農業問題  Previous   Next   Comments

2006年12月10日日曜日

道路特定財源の一般財源化をめぐる二つの座標軸



やたらに問題が複雑化している。座標軸が混ぜこぜになっているから混沌化する。本質はもっと単純な問題なのだ。

道路特定財源に付いては,前にも書いたが時限立法である以上,時限が切れたらやめた方がいい。

日経:道路特定財源、いよいよ一般財源化に……許せん! 

クルマの保有している国民は,法外な税金を払っている。ガソリン税とか自動車重量税とか。大変な重税である。でも寝てても税金が入ってくるというシステムはとてもおいしいので,お上としては手放しがたく,それに地方利権議員も地元への利益誘導のためにはこれ以上のシステムはないと大賛成なので,結局やめない方がいいとのコンセンサスとなった。それも一つの判断である(と思う)。考えてみれば,中央からの税金で地方でぬくぬくと食っている連中に課税するためには,地方では当たり前の「家族一人一台」の自動車に課税するが最も合理的な税システムでもあるからだ。その寝ていても入ってくる税金の使い方こそが,本当の問題なのである。このへんに混同が見られる。

本当の問題は,全国の自動車利用者が払う途方もない金額の税金が,その税金を払っている自動車利用者の利益のために使われているかということなのだ。自動車利用者は、自分が平常使っている道が便利になればと思い,税金を払う。ところが払った税金は全く別ところで使われている。これが問題をおかしくしている。

例えば,道路特定財源であるガソリン税と従量税の過半数を払うのは,大都市住民である。道路がよくなればいいなと思って過酷な負担に耐えている。ところが実際にはその払った税金は,クマやシカしか通らない道路建設に消える。それで儲けるのは,農地を道路建設用地に転用・売却し,馬鹿儲けをする農村地主と、道路建設業務で大もうけする地方土建業者。笑いが止まらないシステムだ。当然利権化する。

道路特定財源をめぐる国民の気持ちは,壮大な同床異夢でもある。道路が必要かという問題(x軸)と、地方への所得誘導が望ましいかという問題(y軸)が、整理されず一緒に議論されてしまっている。

散人の提案。道路特定財源の使い道は,ガソリン税とクルマの重量税を払う納税者の判断に任せるべきだ。首都圏の道路は国際的に全く恥ずかしいくらいの渋滞ばかり。これをなんとかしたいというのがガソリン税と重量税を払う納税者の気持ちだろう。それを尊重しろ。族議員は国土計画なんて大それたことを言っているが,その前に現実の渋滞問題の解消に専念しろ。安倍総理の地元である山口県なんかに莫大なお金を投じて意味のないようなバカ高い高速道路を作る前にお金を払いながら毎日道路渋滞に苦しめられている都市納税者(ドライバー)の利便向上を真っ先に考えるべきだ。さらに都市部の電信柱と電線の撤去に道路特定財源を使うべきだ。電柱は景観を著しく醜悪にするし、ドライバーにとってもとても危険な存在であるからだ。

そういう用途に使われるなら道路特定財源を維持することには大賛成である。いままでのように地方の利権団体への所得移転の道具として使われるだけならば,大反対である。この問題は,所詮,ガソリン税と自動車重量税の使い方をめぐる,都市住民と地方利権団体の力関係の問題なのである。利権ではなくニーズのあるところに財源を配分しろ,それに尽きる。

Posted: Sun - December 10, 2006 at 07:01 PM   Letter from Yochomachi   Cabriolet   Previous   Next  Comments (2)

2006年12月8日金曜日

木の上に登って降りられなくなり消防隊に救出された野良猫は,その後どうなるのでしょうか?

さっきやっていたテレビ朝日ニュース。西宮市夙川沿いの松の木に登って降りることが出来ず6日間がんばった野良猫がついに消防隊に救出された(24人掛かりの大捕り物)。ところでこの野良猫は、この後どうなるのかということ。あっと驚き。 野良猫だから飼い主はいない。消防隊としても飼育責任はない。まあ,その後路上に放されてもとの野良猫に戻るというのが普通だと思うのだが,この場合この「野良猫」は「拾得物」の扱いになるのだそうだ。つまり野良猫が木に登って降りられなくなっていると消防・警察に通報した第一通報者の「所有物」と見なされ、野良猫はこの第一通報者に渡されることになるという。 この野良猫,消防隊員に噛み付くなど,相当凶暴で不敵な面構えだった。ありゃ,ちょっとやそっとで飼いならすことが出来ないたぐいの猫だな。第一発見者,お気の毒。 うちの猫も裏のカキの木に登って降りられなくなって,深夜近所迷惑の大声を出して喚き,散人が二段バシゴでもって救出したことがある。酔っぱらっていたからとても危険だったし,人が集まって大恥をかいた。馬鹿な猫には自分で自分の始末をとらせること。消防なんかに通報すれば,後で「扶養責任」を取らされるのです(まあ,放してやれば済むことですが)。

2006年11月28日火曜日

日経「おじさんは怒っているぞ」コラム:言いにくいことはメールですませるのが最近の若者の特徴



あはは、同感。メールは「簡単」なのである。アホでもサルでもメールはうてる。言いにくいことをメールで言いっぱなしにしてすむと思ったら、大間違い。

今晩の日経夕刊で女子高校生の消費動向を調査するブームプランニング(東京・渋谷)の中村泰子社長によると「言いにくいことはメールで伝えるのが若者の特徴」だそうだ。遅刻や会議欠席の連絡をメールで通知する社員が増えているとも言う。女子高校生では許されるかもしれないが、社会人ではとても許されることではない。

ところがあいつらアホザルにこの「非」を指摘すると、彼らは「IT社会ではメールが常識」と、さも年寄りが時代遅れであるかのようなことを言う。年寄りにはITコンプレックスがあるから、多くの中高年は「そうかな〜」と思ってしまう。こうして「非常識」が社会全体に広まっていくのである。

こうした「非常識(メール)汚染」文化をどうやって食い止めるか。散人のやってきた方法をご披露する:
  1. メールは一週間に一度しか(または気が向いたときにしか)読まないと公言する。本当に重要な連絡事項は直接電話や書類で送られてくるべきだということを周知徹底させるのである。
  2. 重要なメールに付いては、必ず受信確認のメールを返信する。返信されないメールはつまり読まれていないということを相手に分からせる。これ社会人の常識。言いぱなしの「私は言いましたよ、それで責任は果たしました」というメールは、すべて無視してゴミ箱に入れる。後でぐちゃぐちゃ言ってきても、「そ〜かな〜、ボクはパソコンが苦手でメールなんか読んでいないな〜」とトボケる。
  3. それでもなお文句を言うようなら「どうしてそれほど重要なことなのに、なぜ直接言ってこなかったの? そんなことがメールで済まされると思ったの?」とネチネチいじめる。これで大抵は引き下がる。

パソコンの画面に向かってキーボードを叩く方が、電話で直接相手に話すより遥かに容易だ。なぜか。言いぱなしで済むからだ。サルにでも出来るのである。でも御注意。散人は電子メールとやらが一般化する前から、何十年間もテレックスで商売をしてきたから知っているのだが、メール(テレックス)によるコミュニケーションは、電話によるコミュニケーションより、いったんトラブルと、遥に問題をこじれさせ拡大化してしまう傾向がある。相手の反応に対して瞬時に行うべき「微調整」が効かないからだ。だから、大切な事柄は決してテレックスやメールで済ませては行けない。

2006年11月27日月曜日

こと農業問題となると、日本に於いては表現の自由が認められないらしい!



この記事:
農業経営者: "本誌では、11月号において集落営農に関する記事を4本掲載しました。それを伝える日本農業新聞紙上の本誌広告では、「犠牲者」「貸しはがし」「矛盾」他の文言がスミで塗りつぶされています。"
いやはや、呆れる。

日本の農業は、まさに「利権まみれ」である。真っ当な「農業経営者」はつぶされるだけ。それなのに消費者団体は、ヒステリックに旧態依然たるニッポンの農業を「自然で環境に優しい」と支持する(実際は大間違いである)。結局のところ一番の被害者は一般都市消費者。あんたたちこそがボラれている。

それなのにナイーブな家庭の主婦主体の消費者団体と単細胞の国粋主義者のウヨは、ニッポンの農業を守るためには戦争をも辞さない覚悟らしい。両方とも、ツケは自分が払っていることに気がつかないということで、とてもナイーブで、アホ。

改革を目指すまじめな気鋭の農業経営者たちが、旧態依然の非効率的な既得権者集団につぶされてしまうのは、見ておれない気持ち。これがまかり通るようでは、ニッポンは売りだ。

2006年11月24日金曜日

「日本の食の基本は、カレーライスとトンカツ、それと煮物」(吉本隆明)



政府が「食育白書」なんてもの を発表した(ここ)。あんなもんを読むより、吉本隆明を読む方がいい。この断定が 正しいかどうかの問題ではない。「食いもんへのこだわり」はいかにグロテスクで悲しいものかがよくわかる。

この本:
吉本隆明「食」を語る
吉本隆明「食」を語る吉 本 隆明 宇田川 悟


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吉本隆明の食べ盛り時代は戦時中だったので、一番悲惨な戦後の食料難時代 にはもう大人だった。だから子どもの時代は案外いいものを食って育った。それでも、充分には食べられなかったようで、飢餓恐怖症から白米偏重の伝統食の悪 弊に染まったため、ながらく糖尿病。かれのいう「伝統食」の奴隷となったことが、病気につながった。心したいことである。

でも、いいことも言っている。懐石料理と高級レストランのフランス料理は 「得体が知れない」と。これは同意。あれは拘り過ぎだ。

つくづく、料理の味の好みとは個人的なものであると思う。吉本は「東京の 料理の味付けは淡白にすぎる」と断じる。九州出身のお母さんの味が一番とのことだが、関西人にとっては驚きの断定。しかし、これこそ料理の優劣の真実を物 語っている。好みとは所詮慣れ親しんだ味であるかどうかだけ。食材とか料理の味付けには、「能書き」はあっても、優劣はないのである。

「食」に拘るのは、卑しくって、格好が悪い。日本政府自らそんな格好の悪 いことを始めてしまった。特定の食習慣を「伝統的で優秀である」と断じる傲慢さだけは、持ちたくないものである。

「食」はともかく、この本には、社会論的、文学論的、政治論的に、数多く の「目からウロコ」がある。30ぐらいあるか。一読おすすめ。

Posted: Fri - November 24, 2006 at 09:09 PM   Letter from Yochomachi   名言(迷言)集   Previous   Next   Comments

2006年11月9日木曜日

「クジラをおかずに、あっという間にご飯三杯」(小泉武夫)‥‥ホントにお止めになった方がいい!



今晩の日経「食あれば楽あり」コラムで小泉武夫さん。クジラはうまいと牽強付会されているが、無理があるように思う。また、ご自身も健康診断を受けられた方がいい。

クジラは小さいときにしょっちゅう食べた。それしかタンパク源はなかったから。給食 は言うの及ばず、学校から帰ってからのおやつもクジラのベーコンを挟んだサンドウィッチだった。当時はこれがとても美味しいと思った。でも、懐かしいなぞ とは全く思わない。これしか食べられなかった悲しい時代を思い起こすだけだ。

た まにイナカからおばあさんがやってきて、その度に風呂敷いっぱいの食料品をもらった。戦後の都市部には食料がなかったから、とてもうれしかった。ある時ウ グイのみそ焼きをたくさん持ってこられて、こんなにうまいものは食ったことがないと大喜びで皆して食ったものだ。おばあさんは、イナカではあまり珍重され ない魚だけれどと、なんか都市住民を気の毒がっておられるようだった。うちには親戚に農家が居たことでみな飢えなくてすんだことは感謝しているが、そうい う親戚がなかった家族の多くは飢え死にをした。食料はあっても親戚とかお友達にしか回らなかったのである。こういう時代に戻してはならない。

家の家族がクジラを食べなくなったのは、豚肉を食べられるようになってから。豚肉をはじめて食べた時の感動をいまだに忘れられない。カルチャーショック。

昔 の日本人は、海岸部の特殊な地域は別としてクジラなんかは食わなかった。京都の伝統料理にもクジラはない。戦後の食糧難時代にやむなくとられた国の政策で 国民はいやいやクジラを食べたにしかすぎない。それをエコロたちは「クジラこそニッポンの伝統文化だ」と主張する。笑止千万。だったらオットセイ(トド) やクマ肉ももっと珍重するべきだろう。あっちの方がよほど縄文文化に密接に関連した伝統食材だ。クジラが「ニッポンの伝統食生活だ」と主張することは、 「終戦直後に酒の代わりにみんなが呑んだエチルアルコールや人造米(コメ以外の穀類から工場で作ったコメみたいな食品)こそニッポンの伝統食文化だ」と主 張することに似ている。

野坂昭如なんかの戦後の飢餓生 活を経験した人は、その経験があまりに悲惨だったために、コメこそが大切と主張する。でも彼のやっていることは上手いことの自分だけの農地を確保して(自 分も農民になって)みんなが飢え死にしても自分だけは助かろうと画策するこそくな手段に他ならない。日本国民全員がそれを実行できない以上、まるで見当違 いの解決策だ。

戦後の日本国民が飢えたのは、国際貿易 を禁止されたからである。海外では世界的に農産物が余っていたのに日本では嫁入り時に持ってきた着物を国内農家と大根と交換するしかなかったのだ。そのお 金を貿易に使えば充分な農産物が手に入った。当時大儲けをした農村では、いまだに農産物貿易を禁止することで「夢よもう一度」との願望があるみたいだけれ ど、願い下げだ。国際自由貿易にしか、日本国民が飢えない手段はない。

それはさておき、小泉武夫さん、ご飯を三杯も食べているのはいけません。炭水化物のとり過ぎ。肥満になる上、糖尿病になる。血糖値を測った方がいいと思う。どう見ても成人病の兆候:

小泉武夫さんの写真

2006年11月5日日曜日

鹿児島県薩摩川内市ではトンボを守るためにブラックバスを1300匹殺したらしい



今朝の日経「ネイチャーウォッチ」。ベッコウトンボという珍しいトンボをブラックバスが食べてしまうというのでこの7月薩摩川内市では外来魚の来放流(リリース)を禁止する条例を施行。9月までの3ヶ月の間に回収箱でブラックバスを1300匹を集めた(殺した)。おかげでベッコウトンボとやらは大いに増えた自然は守られたとエコロ記者は喜々として報道している。胸が悪くなった。

夏からバス釣りを始めたバッサーの端くれの一人として、ブラックバスにはとても親近感を持っている。バス釣りとは漁獲持ち帰りを目的とした釣りではない。バスと遊ぶための釣りだ。猫じゃらしでネコをなんとか誘って「釣って」喜ぶという感覚だ。釣れば勝負は釣り人の勝ち。またおいでと一緒に遊んでくれたバスはリリースする。無益の殺生はしない。

これはとても自然な感覚だと思う。散人は一応仏教徒(真宗)の家庭で育ったから、やむを得ない場合を除いては動植物の命は大切にする。これは日本人の古来からの感覚でもある。滅びかけている動植物があれば、もちろん安全なところに移したりなんかして保護してあげるのはとてもけっこうなことだ。でもそのために殺生をする気にはとてもなれない。いじめられているコドモを守ることは大切だが、いじめっ子を殺していいということではない。

でもブラックバスを目の敵にして撲滅(駆除)に躍起になっている人たちには、こういう感覚は通用しない。自分たちは絶対的に正しいことをしているのだと狂信的に信じきっているから。彼らの信念はゼノフォビア感覚に補強されて、更にエコロと組むことで外国農産物を排除しようと言う農村ご都合主義も加わり、今や地方自治体ベースでの「確信」と化して制度化され、いかなる理性的な議論にも聞く耳を持たないのだ。

不適切な喩えであることは承知しながら言う。ナチのユダヤ人収容所でユダヤ人を大量虐殺した収容所職員たちも同じように「自分たちは絶対正しいことをしている」との確信のもとにガス室のオペレーションをしたのだろうな、と感じる。


追記:仏教の教えに付いてその原典を探したら、次のような説話があった。山形県のお寺のご住職の講話だが、お釈迦様や昭和天皇のお言葉を引いて、なかなか味わい深い。似非エコロたち、これ読め!
住職挨拶: "お釈迦様は、12月8日、明けの明星が光ったときにお悟りを開かれ、 「心あるものも無いものも、同時に道を成就している。草も木も大地もことごとく皆仏となっている。(有情非情同時成仏、草木国土悉皆成仏)」と説かれた。"

この「草木国土悉皆成仏」の心で持って、日本は古来から外来動植物を受け入れてきた。それが日本の豊かで多様性のある自然環境を作った。コメも桃も梅も、鯉(現代コイ)もニジマスもキンギョも、馬もネコも、日本のほとんどの動植物は外来のものだ。ブラックバスも今や完全に日本の自然の一部だ。多くの若者にとってブラックバスこそが「自然環境」ですらある。あなたたちはそれを破壊している。

現代日本には、この種の「思い込み」に基づく過激な「集団の熱情」がとても多いように思われる。

関連記事:

秋月岩魚『警告!ブラックバス汚染』……怖い、バスではなくこういう人が ... 

清水國明『釣戦記、ブラックバス琵琶湖リリース禁止裁判』……何だか ... 

青柳純『ブラックバスがいじめられるホントの理由環境学的視点から ... 

2006年10月29日日曜日

〔再録〕『荷風さんの戦後』(半藤一利)‥…いいな〜 October 29, 2006


 『荷風さんの戦後』(半藤一利)‥…いいな〜


永井荷風の戦後時代はずっと低く評価されてきた。「敗荷落日」で晩年の荷風を痛烈に 批判したあの憎たらしい石川淳はいうに及ばず、荷風に好意的な評者もせいぜい「ま〜、荷風もあれで幸せだったのではなかったか」という程度。戦前の荷風が あまりにすばらしかっただけに、落差が多きすぎたのだ。しかし、ここにいよいよ「戦後の荷風」を積極的に評価する評伝が現れた。半藤一利は、当時の荷風と 同じ年齢になって、戦後の荷風の視線と自分の視線を合わせることができたようだ。これは傑作評伝である。

この本で、ようやく「戦後の荷風」が理解できたような気がする。やっぱり、かなりの歳にならないと、本当の荷風を理解できないということだろうか。

半 藤一利は、晩年の『断腸亭日乗』の、あの痛々しい「正午浅草」の羅列のなかにすら、意味を見出している。「日付と天気と正午浅草と書くことは、決して残さ れた唯一の楽しみとしてなんかではなかった。それが文人としての仕事であり、書き続けることが先人の文業に己も殉ずることを、荷風にとっては意味していた のではなかったか」と半藤一利は書く。ここでの「先人」とは森鴎外のこと。晩年の鴎外の日記も「在家第三日、第四日、第五日‥…第十六日」と延々と続いて いたとのことだ。そうだったのか!!!

『日乗』の●印と○印に付いての半藤一利の新解釈も出ている。う〜ん、これも、そうだったのか!!!

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荷風の身長に付いても諸説があったが、直接荷風にあったことがある半藤一利は、「自分の身長は177センチだが、荷風は自分より高かった。優に180センチの偉丈夫だった」と、「荷風身長論争」に決着をつけられる。散人の説はあたっていたことになってうれしい。↓
荷風塾No5: "新発見 荷風はやはり背が高かった!"

Posted: Sun - October 29, 2006 at 02:50 PM   Letter from Yochomachi   永井荷風   Previous  Next   Comments (3)

2006年10月13日金曜日

国は『はじめに食料自給率の向上ありき』で危機感だけを煽っている」(本間正義)



この三日、日経新聞夕刊「生活コンシューマー」欄では食料自給率の特集。「自給率の 向上のためにはトリのから揚げを食べてはいけません、サバの味噌煮を食べましょう」とかの子宮的ヒステリックな論調ばかりで、日経は一体どうなってしまっ たのだろうかと心配していたら、今晩(最終回)は「自給率向上を唱えること自体おかしい」との識者インタビューで締めくくり。ホッとした。きっと「食育担 当」女性記者の暴走を編集長が食い止めたのだな。

東京大学本間正義教授の発言抜粋:
  1. 食料の安定供給は国の責任だが、自給率向上だけがその方法ではない。将来にわたって海外から食料を安定的に輸入し続ける道を模索する手もある。
  2. なのに国は自給率を上げることにこだわる。「国民のため」といいながら、消費者の利益にならない自給率向上策に取り組んでいる。
  3. 食糧自給率は消費の結果であって、政治的に操作できない。40%の自給率も国民の選択の結果だ。昭和30年代の自給率は7割を超えていた。ただ当 時の食生活は牛肉料理が月に一回程度、豚肉料理にしても一〜二回がいいところ。その後の経済成長で様々な食材を手に入れられるようになった。
  4. 国は自給率目標45%を掲げ、農産物の生産を増やす必要があるとしている。どれだけのコストがかかるのか? 財源はあるのか? 議論の材料となる情報を開示すべきなのに、国は「はじめに自給率向上ありき」で危機感だけを煽っているように思える。
  5. 国際紛争が勃発し、緊急事態となれば食糧生産に必要なエネルギー輸入さえ途絶えてしまうので、国内で生産する体制を整えていたとしても備えにはならない。
  6. 日本は確かに食糧自給率が低い。それは国外から食糧を輸入できる国力があるからでもある。自給率は本来、政策的に上げたり下げたりするものではない。

あわせて農業ジャーナリスト、青山浩子氏へのインタビューも。発言抜粋:
  1. 豚肉のカロリーベースの自給率は5%。輸入飼料がカウントから除外されるから。重量ベースの自給率は50%。
  2. 元々カロリーベースで自給率を換算するのは日本と韓国ぐらい。重量ベースが世界で一般的。生産額ベースで見ると、日本の自給率は70%近くを保っている。
  3. 国の政策目標である45%達成は、難しい。トウモロコシなどの飼料は100ヘクタール以上の大規模農場で栽培してこそ採算が合うが、日本の狭い農地では(どうせ大規模化などは農民団体の反対でできないだろうから)難しい。
  4. 農業は元々天候に左右されやすいビジネス。台風などで出来が悪くとも、今は輸入の代替ルートが確立されつつある(国が敵視する輸入農産物が国民の救いとなっている)。

食糧自給率については小生の見解を述べた:

生源寺眞一:講演「農業・農村のゆくえと日本社会」……徹底的にクサイ! 

小生ばかりじゃなく、いろんな人も同じような考えを示している。別スレッドで寄せられたコメント:

http://www.haloscan.com/comments/naoyuki/E20060927205442/#372458 

はこのエントリーに大して寄せられたコメントです:

農協新聞でまた梶井功氏が喚いている……いい加減に往生したらいいのに! 

繰り返して言う。手前らへの利益誘導のためだけに自給率の数字を使うな! どうしても自給率を向上させたければ、国民のニーズに沿った食料生産体制を自分らで整備しろ。100ヘクタール以上の農地をお父さん一人で耕作すること。欧米では当たり前のことだ。






このエントリーのコメント欄へのリンク、グーグル用 )

Posted: Fri - October 13, 2006 at 06:51 PM   Letter from Yochomachi   農業問題  Previous   Next   Comments (6)

2006年10月9日月曜日

隠居小屋:ザクロの収穫

ザクロが熟してきた。窓から届く範囲で剪定ロッドとバス釣り用の手網でもって収穫。



収穫したザクロ(45個)の記念写真:



でも下から見るとまだたくさん残っている。また明日じゃ。


Posted: Mon - October 9, 2006 at 03:20 PM   Letter from Yochomachi   植物観察、庭仕事   Previous   Next  Comments

2006年9月29日金曜日

集団ヒステリー的なゼノフォビアがニッポンを支配しつつある?



NHK首都圏。DNA鑑定でも国産品と見分けがつかない中国・台湾産のうなぎを見破 る分析手法を水産総合技術センターで鋭意開発中であると。専門家が見ても、成分の科学鑑定をしても、全くわからないうなぎの原産地判定(もちろん農薬成分 とかの科学的判定でもわからない)。それを判定する技術を開発するという。一体何のためにそんな無駄な税金を使っているのだ?

もちろん国内生産者の利益を守るためだ。ナイーブな消費者のおばさんたちは、たとえめちゃ高くとも「国産品」が安心だと洗脳されているから国産品を買うらしい。でも国産か外国産かは、専門家が分析してもいまの技術じゃわからない。それでは国内養殖業者は困るので、お金を使ってハイテクを駆使するということになるらしい。

判 定方法とは、国産のうなぎはハウス栽培(?)みたいなもので、遮蔽された人工的なプールで養殖するが、それに対し台湾では露地池養殖でありウナギに土壌の 成分が含まれることになるので、それをハイテクでもって判定するのだという。判定すれば「悪い」ウナギが区別できるらしい。

ちょっと考えてほしい。遮蔽された人工的コンクリートプールで養殖されたウナギと天然池に近い露地池で育ったウナギと、どっちが天然ウナギに近い?

農 薬や有害な重金属の含有量とか、国民の健康に影響を与える指標で区別するならまだわかる。税金を使ってもいい。しかし、これはそういう観点ではなく外国産 であるからという理由だけでウナギを差別して国内業者の利益を守ることだけに費やされる税金だ。そもそも国産品でないと危険だとおばさん連中を信じ込ませ たのは誰だ。農水関係団体が莫大な資金を使ってPRした。彼らはこれに類する税金の無駄遣いをいっぱいやっている。ウナギ鑑定に費やされる無駄な税金は、 氷山の一角に過ぎないのである。

2006年9月27日水曜日

戦争になったら食べ物をニッポンの農民に頼ることはできません


農協新聞でまた梶井功氏が喚いている……いい加減に往生したらいいのに!


今日の農協新聞:

シリーズ 時論的随想 −21世紀の農政にもの申す/JACOM: "自給率引き上げ政策に関して、“目先の食料自給率にこだわらず、グローバル化した市場を生かした食料確保を目ざす”べきだという主張が見られるように なった。引用は8・30付朝日新聞12面の「日本の課題」からだが、“余剰から不足へ——。エネルギーばかりか、食料もそんな時代に入っている” だから、“需要逼迫に備えた日本の食料戦略は、自国のとりでを堅く守ったまま世界から農水産物を買い集める旧来型から、大きく転換する必要がある。/第1 に、農水産物の輸出国と積極的に経済連携協定(EPA)や自由貿易協定(FTA)を結ぶことだ。長期的に安定した食料輸入をそこで担保するだけでなく、天 候不順などによる食料不足の際に優先的に供給してもらう食料安保条項を盛り込むのだ。…国際市場で買い負ける事態も起きている今日では、農業国との自由で 安定した食料貿易こそ、頼みの綱だ”ということをほとんど12面全面で論じている。  “自給率アップ作戦”は“国産信仰の最たるもの”と極めつける週刊ダイアモンド8月5日号の特集「危険な食卓」も同旨の主張といってよいだろう。かつて は、市場主義の新古典派経済学者からそういう議論がよくあったし、国際交渉の場でそう主張する国もあった。世界的な食料需給逼迫を危惧するのなら、だから 自給力強化の重要性を言うのが筋というものだが、市場主義論者はそういうまともな考え方はしないらしい。"
梶井氏は。この論調に対して反発している。理屈はゼロ。ただ戦争が起こったらどうするかということだけ。こういう人たちが戦争を引き起こした。

戦中戦後の食糧難時代に都市部に生活していた人たちの悲惨さは筆舌に尽くしがたい。 同じ日本に住む同じニッポン人の農村でも、都市住民には食糧は分けてくれなかったのである。徹底的に厳しい統制の中でも農村部の食糧は売り惜しみによりヤ ミに回った。おかげで計算上は当時の日本の食糧自給率は100%に近かったにもかかわらず都市部ではヤミ食糧を買えない弱者を中心に数万人の人たちが餓死 をした。何が食糧安保だ。いざとなっては、同じニッポン人でも全く頼りにならない。

戦中戦後を知らないナイーブな都市の若者たちに、はっきり言います。戦争になったら、ニッポンの農民に頼ることはできません。都市住民はあるったけの財産を大根と交換することが関の山だったのです。

朝日新聞や週刊ダイヤモンドのいうことが、よほど年寄りの実感に沿っている。

Posted: Wed - September 27, 2006 at 08:54 PM   Letter from Yochomachi   農業問題  Previous   Next   Comments (7)

2006年9月15日金曜日

コメばかりを食べていると肩こりになる、タンパク質を摂取すれば治る!



Yahoo!テレビ - 金スペ
 。きれいな女性の医学博士が肩こりを治す治療をしている。日本人の国民病とさえ言われる肩こりだが、不思議なことにニッポン以外の国ではほとんど聞かない。BCAA(肉類と牛乳)をたくさん摂取することで肩こりはみるみる短時間で良くなるという。

そういえば、散人は昨年半年間コメを一切食べないアトキンスダイエットをして短期間 に10キロ痩せたが、同時に長年悩まされていた肩こりもウソのように解消した。肉を食べることが肩こり解消につながるというのは、実体験からして本当のこ とだと思う。日本人に肩こりが多いのは、たんぱく質を十分摂取せずコメばっかり食っているからではないか。

最 近のニュースだが、どっかのイナカの教育委員会は学校給食から牛乳を排除する決定をしたという。農水関係者(既得権者)の主張する「地産地消」路線に沿っ ての話だが、彼らの利己的経済的利益の追求だけために、日本の将来世代の体格と健康が劣等化するのは、見て居れない気持ちだ。

2006年9月11日月曜日

農業問題は国民一人一人の問題として議論する必要がある(大泉一貫)……賛成!



以前に褒めて頂いた大泉一貫先生のブログを読んでいると、別の記事でもお褒め頂いている;
今日の一貫:余丁町散人が評価してくれた『ニッポンのコメ』: "この方、もはやそんじょそこらの農業経済学者など足元にも及ばないぐらいの農政のプロですよ。"
うれしいな。散人は農政には詳しくないけれど、本質を見抜く勘だけは昔からいいのです。

昔から傍目八目といい、部外者の方が真実を見えることもあるのです。このくだりには全く賛成です:
余丁町散人の農業問題のコメントはなかなかに向こう受けします。
農業の問題はそれを特定グループだけでしか議論できないことにあります。それは彼らが農業界に自分の居場所を確保したいという保身があるからで、タブーに なかなか切り込めない状況となっています。族議員ならぬ族学者、族評論家が跋扈し(ま〜これはどこでもそうか)、御用学者の方がまだましな世界。

仲間内で議論しているから、ますます中身は内向き複雑怪奇に、言語もジャーゴン化し、論点も不明確に。つきつめれば、「農業団体(彼らはこれを農民はとい い変えている)は、幾ら予算(補助金)をもらえるのか?」につきるという非常に身も蓋もない構図なのですが、そのためには非常にわかりにくいロジックや言 語を使わざるをえあないということ。要するに煙幕を張って普通の人はついてこれない世界を作ればいいのです。
国民的に農業問題を議論しようとすると、生協のおばちゃん達の、「かわいそうな農民」認識が頭をもたげじゃまをしてしまうし、あるいは、「複雑そうだし、 よく分からない」から議論をしない、人を増殖させることにもなります。どうせ農林予算なんて3兆わってるじゃないか、、、と無視かあきらめが現状でしょう か。

最後の「農林予算なんて3兆円わっている……」と普通の人が無視している(だから問題だ)というくだりについて補足:

確かに農林予算そのものは小さいかも知れないけれど、国民経済全体としては「多大の」負担をしているということ。日本の名目GDPは約500兆円。そのうち 個人消費は約300兆円。そのうち100兆円ぐらいが食費(含む外食費)に回るとして、国民は国際価格よりはるかに高い食料品を買わされることで食糧生産 者への実質的な「補助」をしていることが往々にして忘れ去られているのです。価格を通じた財政数字には現れない都市から農村への所得移転金額です。食料品 価格は平均して国際価格の倍として、目の子で50兆円のお金が農水関係者に余分に回ることになる。それに加えて、サラリーマンがマイホームを買うために地 主にぶんだくられる法外な土地の値段もあります。普通のサラリーマンで生涯収入のうち5000万円程度は彼らに余分にぶんだくられる計算になるんじゃない かな。

大泉先生の言われるように、この問題は「国民的議論」が必要だと思う。国民一人一人の財布にかかわることだから。

2006年9月10日日曜日

NHK新日曜美術館:「イギリスには富士山がないから……」(壇ふみ)

この番組:

新日曜美術館▽ロンドンを起点にイングランド各地の美しい田園地帯を訪ねながら、イギリスの独創的な美の世界をひもとく。19世紀のイギリスが生んだ世界に誇る美の巨人、ターナー、コンスタブル、ウィリアム・モリス。彼らは皆、大陸の潮流とは異なった独自の美を生み出してきた。その独創性の源にあったのが、イングランドの豊かな自然である。コンスタブルの風景画は、イングランド東部のサフォーク州の人間的で穏やかな風景がなければ生まれなかった。モリスは、西部のコッツウォルド地方の自然美から独創的なデザインを生み出した。ターナーにとっては、若き日に北部の自然に出合ったことで独自のロマン主義絵画創造への道が開かれた。


林望先生が「日本人は名所旧跡に拘りすぎ、むしろそこまで出かける途中の田園風景を大切にするべき」とおっしゃったのに対し、壇ふみが掲題の「迷言?」コメント。おやおや。

林望先生に一票。山中湖からの富士山はきれい。でも、もっと美しいのは、東京から山中湖までの道中風景。中央高速の八王子を過ぎると東富士五湖道路山中湖ICまで、自然のままの森林と原野が残っていて、本当に素晴らしい。水田開発による日本古代からの自然の破壊がないからだと思う。

山中湖バス釣り:コンペティターがいると俄然やる気が出るな

今日は日曜日。朝6時頃に湖畔に降りると、湖一面バスボートでいっぱい。例の「ボクの釣り場」に行ってみると、そこもバスボートだらけ。一隻なんかは桟橋先端に横付けする形でばっちり張り付きスピニングを細かく操っている。あらら、そこはボクの場所なんだよな〜。

先に釣られてはなるものか。俄然競争心が出てきていきなり「最終兵器」を取り出す。最後一つだけ残った Javallon ワームをテキサスリグに。相手と顔をつきあわせるわけにも行かず、桟橋の中程からそいつの足下直下に(失礼、ボクの桟橋の先端に)Javallon を放り込む(我ながらコントロールがよい)。いきなり來ましたね〜。14ポンドのナイロンラインを信頼してベイトリールを一気に巻き込む(スピニングだったらこうはいかない)。35センチのボクにとってはでっかいバス。

フックを外してみると、さらにもう一つフックが掛かっている。6ポンドナイロンラインに 1/0 のオフセットフック。それもはずしてやってリリース。バス君も釣られたおかげで今まで痛かったハリを外して貰った。よかったね。散人は一日一善だ。

掛かっていたフックとラインからして、ひょっとしたら一昨日ラインを切られた同じバスだったかも知れない。

モーパッサンの短編に、自分の秘密の釣り場に侵入されて喧嘩になって相手を水に突き落としたら溺れ死んでしまい裁判になるという話があるが、なんか気持ち分かる(ちなみに小説では裁判官は釣り人の正当防衛を認める)。でも、他人の足下にルアーを投げ込むのはエティケット違反なのかも知れないな。詳しい人教えてたもれ。

2006年9月9日土曜日

山中湖バス釣り:今日はノーフィッシュ!……昨日調子に乗ったバチが当たった

朝早く、湖畔に降りてバス釣り。グラビングバズでバスはかなり集まったのだけれど、食わない! 水面上に飛び出したり、落としたグラブを嗅ぎに來たり、姿が見えているのだが、何をしても食わない! 突っつく程度。バラし二回、ノーフィシュ。「純情きらり」の時間になったので諦める。

午後、もう一度試すが、今度はバス自体がいない。桟橋の回りにはボートがたくさん集まって、中には釣っているやつもいるというのに、散人のロッドにはノーリアクション。すっかりくたびれてしまい、夕刻はヤメにした。

初心者はまだまだ修行が足らない。修行、修行!

2006年9月8日金曜日

山中湖バス釣り:トップウォータープラグで集めてグラブで一挙に4本!

今朝は作戦勝ち。朝、桟橋を探るもバスがいる気配がないので、いないなら呼び寄せるまでだと桟橋先端から放射状にトップウォータープラグをベイトタックルで遠投し速い速度で巻き取る。バスは食いつかないだろうけれど、なんかあの方向に面白そうなことがあると思って桟橋に自ずと近寄ってくるとの読み。30分ほど投げてから、4インチグラブをノーシンカー(スピニング)で桟橋の下にフォールさせる。來ましたね。15分ほどの間に4本。それも入れ食い。

4匹目を上げる時、桟橋の下に潜ってしまいドラグがずるずる滑って巻き取れない。目一杯ドラグを締めて強引に引き上げたが、その次の5匹目がいけない。左手でスピニングリールを回そうと思っても回らないぐらい引きが強い。ラインはそれほど出していなかったので強引にロッドで引き上げようとしたが、水面上にバスの体半分出た時にラインがプッツン。ありゃ大きかったな。

反省:ラインは太いのを使うべし。ドラグは締めすぎないこと。

朝一時間ほどで本日のノルマは十二分に達成。後はボート漕ぎとキャスティングの練習。バックハンドのアンダースローが出来るようになった(「の」の字の反対に手首を回せば出来る)。

2006年9月7日木曜日

NHK衛星映画:モハメッド・アリ

感動したな! 常にウヨの「下層階級」が、より「下」の階級を求めて「差別運動」の主役となる。アメリカにおいても日本においても同じ。「ウヨ」とは、定義的にカッコワルイのである。

山中湖バス釣り:秋になってバスが散ってしまった!

今日は一匹。朝、桟橋に行ってワームをフォールさせたが、ノー・リアクション。あれ。不思議だ。桟橋の下にバスがいない!

で、桟橋から遠くに投げて水面から30センチほどの深さをスイミングさせていると、かなり遠くでバイト、昨日の夕方と同じパターンだが、ようやく一匹釣った。

秋になって(日向でもシャツだけでは寒い)水の中も過ごしやすくなったためか、バス君達も桟橋などの日陰に涼を求める必要はなくなり湖中に広く散っている様子。夏の間は涼しいポイントだけを攻めて居ればよかったのに、俄然難しくなった。ボートを出して、風上は小作沖の梁から風下は山梨中央銀行前の草むらまで、ウィードエリアを広く底引きしたが(テキサスリグにシャッドテールグラブ)反応がない。ボートで釣るのはリアクションを取るのが難しく、まだよくわからない。少なくともたくさん漕いだので腰の筋トレになった。

午後からは釣りと言うよりはキャスティングの練習。ベイトタックルでピッチング(振り子の原理でロッドをしゃくり上げてルアーを飛ばす手法。距離は出ないが正確性にすぐれている)。メカニカルブレーキの調整が微妙で今までうまく投げられなかったものだが、うまく調整すると結構飛ぶようになった。10メートルほど先で浮いている木の葉っぱめがけてその50センチ以内にルアーを落とす練習をする。結構近くに落ちるようになった。でも風上方向にピッチングしたりルアーが高く上がってしまったりなんかするとすぐバックラッシュが起きる。一に練習、二に練習だ。

最後はキャスティングの練習と割り切って、テキサスリグのグラブはやめてスウェイバック・スプークに替える。メカニカルブレーキを緩めてオーバーヘッドで思いっきり投げるとビユーンと遠くまで飛ぶので気持ちがいい。何だか急にうまくなった気分。

2006年9月6日水曜日

ワシントンポスト紙に寄ればブラックバスが女性化しているらしい! 

この記事:

Male Bass Across Region Found to Be Bearing Eggs: "Abnormally developed fish, possessing both male and female characteristics, have been discovered in the Potomac River in the District and in tributaries across the region, federal scientists say -- raising alarms that the river is tainted by pollution that drives hormone systems haywire."


ポトマック川のある種の汚染物質によって、バスが異常を來たし、いまやオスのオオクチバスの46%がタマゴを持っているというからすごい。ブラックバスは炭坑でのカナリヤみたいな「早期警戒警報発信動物」だ。大事にしないとバチが当たるよ。

2006年9月5日火曜日

山中湖バス釣り:活性の低いバスを三匹釣った!

今日は三匹。これは大手柄。何せ今日のバスの釣れない日だったそうだから、この悪条件下で三匹はたいしたものなのである。

朝、桟橋に行ってフォールさせると、リアクションがない! 普通の日は朝一番のフォールには必ず反応するのだが、今日はおかしい。いろいろやって、ようやく見るからにウブな小さいやつを最初の一匹。でもその後が続かない(釣れないのはいいのだが、リアクションがないのはまことに困る)。桟橋の先の方で大きいのが一匹だけ現れたが、どうしても食おうとしない。

場所を変えることにして、手こぎボートで北や南に行く。ストラクチャーぎりぎりにルアーを投げて落とすが(自分ながらいい位置だと思うキャストでも)まったく反応がない。こう言う時は新兵器。昨日買った JAVALLON 110 を試すことにする。これは「今まで体験したことのない全身駆動型フルボディーアクションで今まで不可能とすら思われていたビッグジョイントプラグの威力……」といううたい文句のすごく高いワーム。少なくとも一匹はいることが分かっている山中湖ヨットハーバーの桟橋に戻り、これを試す。

何回フォールさせても、反応がない。なんかゆらゆら動くので、見ていても迫力がないなーと思う。おまけにすぐ壊れる。これはダメだと諦めて午前中はやめて帰ろうとした時、グッドアイディアを思いつく。テキサスリグでフォールさせるのだ! 

さっそく付け替えの作業をしていると、センターフィールドの川原プロがでっかいバスボートに乗って現れる。「今日は釣れないですね」とのご託宣。そうか釣れないのが当たり前なのだ! でも、テキサスリグなら絶対に釣れるはずだ。桟橋の下にいることは分かっているし、バス君も相当じらされ続けているから。

重いテキサス用シンカーの挿入完了。絶対釣れるとの確信のもとに、桟橋の先からゆっくりフォールさせる。見事に一発で掛かりました。30センチ。テキサスリグはシンカーが先に落ちるので、ルアーはそれに引っ張れる形でトリッキーな落ち方をする。バス君は JAVALLON 110 なんて見たことがなかったので食いつきたい一心でガマンしていたのだ。散人の作戦大成功!

昼になると暑くなったので、お弁当を食べて、図書館で新聞を読んで、帰ってシャワー。昼寝。

夕刻再びボートを出す。川原プロがまたバスボートを近づけてきて「今日はあまり釣れませんね」と。みるとバッドワイザービール缶・ルアーで釣っている(あんなのでは素人は絶対に釣れそうにない)。プロとアマチュアのレベルはまったく違うのである。脱帽。

いろんなところを投げまくって、漕いで移動。とても運動になった。最後に桟橋から。6時の時間ぎりぎり。最後はやけくそで、それまで何度もずる引きして食わなかったウィードエリアの上に遠く投げて、思いっきりのスピードで引く。テキサスリグでグラビングバズだ。水深30センチぐらいのところを高速で引いてくると、何とびりびりとした当たり。ウィードかと思ったがもく一度ぶるぶる。バスだ。一呼吸置いて思いっきりフッキングすると、掛かりました。三匹目。30センチ。

今日のバスは昨日の元気の良いのとは違って、いずれもとても大人しい。ランディングしたのちも格闘することはなかった。「ハリ取ってあげるからお口を開けて」といえば素直に口を開ける。活性が低いのだ。

散人なりに考えると、今日の風が原因ではないか。山中湖はいつも日中は南東の風なのだが、今日に限って北西の風。午後から南に変わったものの、いつもと違う風のために湖上の水流に変化が生じた。一種の「オータム・ターン・オーバー」現象で、湖底の酸素含有量の少ない水が表面にわき上がってしまい、バスの活性が低下したとの散人仮説。一度、川原プロにこの仮説を聞いて貰おう。

2006年9月4日月曜日

NHKクローズアップ現代……畠山智之アナがでていた!

今晩のNHK「クロ現」。畠山智之アナが出ているではないか。テーマは流行りのネット関係だっけれどそんなことはどうでもいい。「クロ現」は内容的には本来的にはいい番組なんだから、アナウンサーはやっぱりバランスの取れた畠山智之みたいな人がいいな。「クニヤ」は夏休みか? 選手交代だったら、これほどいいニュースはないのだが。

山中湖バス釣り:スタッガーのオリジナルスウィムベイトはよく釣れる! 

今日は3匹。朝、湖畔に降りてみると、水がとてもきれい。ザラスプークを投げると二三匹付いてくるのが遠くからでも見える。でもどうしても食わない。スピニングタックルに付けてある4インチグラブに替えたが反応なし。で、ベイトタックルのスプークをセンターフィールドの川原プロお奨めの6インチスタッガーに替える(ノーシンカー)。桟橋に沿ってウイードの上あたりの中層をゆっくり引くと、とたん食いついてきた。ロッドがU字型になるほどの強い引き。14ポンドのナイロンだから気にすることはない。ベイトリールを右手で力まさせに巻いて強引に引き上げた。20センチ程度のバスだったが、すごい力持ち。このスウィムベイトは吉田秀雄プロのデザイン。動きがゆっくりしていて一見派手ではないが、とても自然。重たいのでブレーキを強くした初心者用のベイトタックルでもノーシンカーで十分投げられるのもいい。グラビングバズも出来るし、中層を引くのもいいし(今朝はこれ)、フォールだけでもよく釣れる。万能選手だな。

続いて二匹。今日は合計三匹(ランディングした後で逃げられたバスはカウントに入れてないよ。あくまでも散人が優しくリリースしてやったバスの数)。散人大満足。

今日のノルマは十分達成。で、後は手こぎボートで小作前の岬に観光がてらに出かける。大きなバスが食いついて水面に飛び出したが、バラす。後はノー・リアクション。大勢釣っていたがあまり釣れているようには見えなかった。バスは山中湖ヨットハーバーの桟橋に限る。

教訓:バスは飽きっぽい。ネコジャラシと同じで、常に新しい玩具でないと興味を示さない。新しいルアーがどんどん開発される所以。このスィムベイトは今のところよく釣れるが、欠点としては耐久性がないこと。一匹釣れば頭部がほぼ破損してしまうので新しいのに交換しないといけない。釣具屋さんが儲かるわけじゃ。

2006年9月3日日曜日

山中湖バス釣り:今日も一匹、たのしいな!

一日一本のペースが続いている。まあ、初心者はこんなもんか。今日は日曜日だったので、ハーバーはビキニなどの若い人たちがいっぱいでバス君達は極度に神経質。それでも新しい大型グラブにだけは少しだけだけれど反応する。バイトは二三回あったが、突っついただけという感じ。一匹だけはランディングできだのでよかった。クランクベイト(シャッド)を試したけれど、ウィードだらけのもじゃもじゃになって上がってくる。これもダメ。

昼でやめて、夕方、長池でもう一度やってみたけれど、ノー・リアクション・アット・オール。グラブをザラ・スプークに代えてキャスティングの練習。これはよく飛ぶし、ルアーが見えるので気持ちがいい。かなりうまい具合にウォーキング・ザ・ドッグが出来るのだが、反応なし。山中湖ヨットハーバーで釣るのが一番いいみたいだ。

キャスティング中にクラッチが掛かってしまう事故が発生。リールを上にして投げていた。リールの説明書にはリールは横向きになる位置にして投げるべし、さもないとクラッチが掛かってしまいギアを破損しかねないと書いてあったが、どうせ「慣らし運転しましょう」とか言うのと同じでメーカーの自己防衛策だろうと無視していた。ルアーのすっぽ抜けがよくあったが、これが原因だったかも知れない。リールを横にしてキャスティングするのは何か軟式テニスみたいでどうもしっくり来ないが、練習だ。

しばらくは Blogger をつかってブログの更新をします。

iBlog の調子が悪くなってしまった。カテゴリーページの表示エントリー数を変更するとプレビューが出来なくなった。自動バックアップから復元させようとすると起動しなくなった。バックアップ二つともダメ。東京に帰ると8月20日時点でのバックアップを置いてあるので復元可能だと思うが、ここ(山中湖)じゃどうしようもない。そう言う時のために Blogger 別館があるのだと気が付いて、ここで更新をすることにする。Blogger は単純明快で使いやすく、結構便利。

山中湖バス釣り……シャッドテールグラブを試す

昨日、ベイトタックルでスプークばかりじゃなかなか釣れないので、ワームが欲しくなってセンターフィールドの中原さんに聞くと、でっかいシャッドテールグラブをすすめられた。ノーシンカーでオールラウンドに使用できると。さっそく桟橋で使用。4インチグラブには飽きてしまって食いつかなくなったバス君も、フォール一発で食いついてきた。さらに遠くに投げて手前にグラビングバズをさせると、桟橋の下(足下)から飛び出してきてまっすぐ正面からかぶりついた。バス君、すごい食欲。

夕方、はじめて北岸の長池親水公園下の砂浜で釣ってみる。あそこはすぐ沖から深くなっていていい釣り場らしいが、なにせ向かい風が強くて、ルアーがなかなか飛ばない。隠れおだの標識らしい杭の向こうに投げると見事に根掛かり。思いっきり引っ張るとルアーがこっちを向いて飛んできたのには驚き。14ポンドテストのナイロンラインは強い。一時間ほど投げてみたが、結局、何の反応もなかった。

昨日の釣果は二匹。初心者散人はこれで十分うれしいのだ。

2006年8月30日水曜日

農業経済の大泉一貫先生に誉められてしまった! 「おそるべし」だって!



これ:
大泉一貫の日記 余丁町散人のブログ『農業問題』を探索してたら、2004年7月8日付のクローズアップ現代への批判があった。
7月7日に放送された、「NHKクローズアップ現代「変わる農業、企業参入の行方」……でも本質的には何ら変わってないよ」という、題。ゲストに招かれた 農業経済(?)の先生は、それには「国民的議論が必要です。今は何も出来ない」と逃げていたが、資産売買の自由は憲法で保障された国民の権利だ。農地法がおかしいのである。

確かこの番組では、「これで農業が変わるのでしょうか?」の質問に、「いや」と答えたと記憶している。ここで国谷さんは、ちょっとづっこけた振りをしたはずだった。その農業経済?の先生は私です。
余町散人おそるべし。"
あの先生が大泉先生でしたか! 権威がおしゃっているのだから、ニッポンの農業はなかなか変わらないという散人の実感は裏付けられた!

ニッポンの農業を取り巻く問題は、ニッポンの問題そのものでもある。ニッポンの農業が変わらないと、ニッポンも変わらない。で、ニッポンは国際競争に取り残されると思う。

2006年8月29日火曜日

なぞなぞ(人種差別系):「どうして日本の奥様は笑う時に手で口を隠すのでしょうか?」(ウクライナの外人妻)


今晩の馬鹿番組「奥様は外国人」から。地方のウナギ屋の息子と結婚して豪邸に住むウクライナ出身の奥様の素朴な疑問(地方のウナギ屋は儲かるみたいだが、それは別にして、この奥様の素朴な疑問が興味深い)。回答役の武田鉄矢は「日本人は内臓を晒すのは恥ずかしいと思うのだ。口を大きく開けるのは”尻のアナの奥”を晒すのと同じことなのだ」と強引に外国人妻をねじ伏せた。果たしてそうか?


要は、日本人は歯並びが悪いからそれを隠すことが習慣になっただけ。これは日本だけの肉体的特徴であり、習慣でもある。半島でも大陸でもそう言うことはない。これについては竹内久美子の「学術的」説明がある:

Letter from Yochomachi: 「関西人には出っ歯が多い」(竹内久美子);


べつに「自虐的な」学説を言っているわけじゃない。事実を事実として認識することが日本人には欠けていると云うことを指摘したかった。これができないことが夜郎自大的な「ニッポンは世界一」という自己満足につながっている。

ネットに横行しているアホなニッポン・ナショナリストの近隣差別的な発言には吐き気を催す。遺伝的特性だから個人の責任ではないが、国際的人として発言したいなら、せめて歯列矯正をしてから言ったらどうか。

2006年8月25日金曜日

「豊かな日本人が不安感から抜け出せないのは食生活に恰好を付けるため」(岡部弘)



今晩の日経夕刊の第一面の「あ すへの話題」コラム。デンソー会長の岡部弘氏が、実に良いことをおっしゃっている。忘れないうちに、メモ。

抜粋:
  1. イギリス経済は日本経済を上回る成長を続ける。イギリスの成功の秘訣は人々の生活信条にある。
  2. 平均的なイギリス人の生活態度は、1)質素な食生活、2)ゆとりのある田舎暮らし、3)古い家具を使い続け、お金が あっても理屈に合わない使い方をしない、などなど。
  3. 一方で、日本人は、1)豊かな食材と健康に気を遣った食事で常にまわりの目を気にする、2)古いものは捨て常に新し い家具や生活用品に取り替える、3)お金をかけた観光地への旅行を好み、人との付き合いにお金をかける、などなど。
  4. これではいくら月給や年金があっても足らない。多くの人が老後の生活に不安を抱く。
  5. 本来豊かであるはずであるのに、不安感から抜け出せない日本の現状を見ていると、「豊かさとは何か」「幸せとは何 か」を今一度真剣に問い直す必要があると思う。

何でもかんでも農協のせいとは言いたくはないが、日本人の心の貧しさの多 くは、馬鹿高い高級魚やこだわり野菜を食べなければあなたは「負け組」で貧乏人だという農協や農業団体の宣伝から来るところが多いと思う。日本人も、イギ リス人を見習って、こと食生活に関してはもっと「質実剛健」で行くべきだ。さもないと、いつまでも心が貧しいまま、老後を迎えることになる。

2006年8月17日木曜日

秋月岩魚『警告!ブラックバス汚染』……怖い、バスではなくこういう人が怖い!



著者は、ずっと前から日本の「ブラックバスの完全撲滅」と「全国一律のバス釣り禁止」を主張している人物。これが多くの市民団体の支持を集めてバスを駆除する動きが全国に広がり、いまやバスが安心して住める場所は日本で芦ノ湖、河口湖、西湖、山中湖の4個所となってしまった。それでも著者はまったく不十分だとして「完全撲滅(全面駆除)」を執拗に主張する。イスラエルの生存権を認めないヒズボラみたいな人だ。

この本:
警告!ますます広がるブラックバス汚染
警告!ますます広がるブラックバス汚染秋月 岩魚 半沢 裕子

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stars釣人でなくても気分が悪くなると思う。
stars駆除派のオピニオン本
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散人は、最近山中湖で釣りを始めたばかりで、たまたまいる魚がバスだったというだけのバス釣り人。ブラックバス問題については十分に知っていると言うつもりはないし、バス釣りについてそれほどの思い入れもない。でもこの本を読んで、その内容以上に、著者の狂信的とさえ言える「自分は絶対に正しい」スタイルに辟易した。著者は、彼がバス容認派と見なす人物については、政治家、学者、釣り業界関係者、漁協関係者、政治家、マスコミ人、作家の開高健、漫画家矢口高雄、さらには一般人のバス釣り愛好家など、一人一人実名を上げて、執拗に攻撃する。中には人格攻撃と見なさざるをえないようなものまである。ナチの「民族浄化」運動すら思い浮かべてしまった。彼の熱狂的支持者も多いようだ。日本はいつからこんな国になったのだろうか。

散人としては、この本の中で否定的に引用されている吉田幸二氏の次の文章によほど共感した(小学校の先生の言葉の引用):
「みんなには『自分の大切なもの』がありますか?(中略)ぼくにとって、大切なものは、趣味である『釣り』です。
今、好きな釣りは『ブラックバス』という魚を釣ることです。実は、日本に昔からいた魚を食べてしまう!!といわれていて、一部の人たちから嫌われている魚でもあるのです(社会の授業で話したね!)よく、『悪い魚なんでしょ?』とか『釣ったら退治した方がいいよ!』とか言われます。そんな時には、『地球上に悪い魚なんていないよ! 人間にとって都合の悪い魚はいるけどね……』と答えることにしています。

ブラックバスもアメリカでは美味しい魚として食べられている。日本でももっと食べるようにすると、みんな親近感が湧いてくるんじゃないかな〜。ニジマスも鯉も全部外来魚だそうだ。でも食べる習慣があるから許して貰っている。西湖にはブラックバスを食べさせるレストランがあるそうだ。今度探していってみよう。

追記:山中湖ではブラックバスとワカサギが共存関係にある。ワカサギはブラックバスの餌だが、さすがのブラックバスも食べきれないほどたくさんいるので、いっこうに減らないとのこと(ハーバーマスターの言)。

2006年8月8日火曜日

〔再録〕荷風は釣りが好きだった!


荷風は釣りが好きだった!



荷風が釣りについて書いていた とは知らなかった。今日読んでいた本で偶然に知った。「釣りこそ究極の楽しみ」と書いていると。大発見。


読んだ本とはこの本:
麦わら帽子の釣り本散歩
麦わら帽子の釣り本散歩大 崎 紀夫

三樹書房 1999-11
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釣りについて書いた本を列挙したものだが、その中で荷風の友人だった日高 基裕の『釣りする心』という本を紹介している。この本の序を荷風が書いているというのだ! 曰く:
この本を開いたとき「序荷風散人」とあるのには、本当に驚いたものである。
「災を世に貽さず苦しみを人に与えずしかも独り能く娯しむことを得るものは世に少なし」と書き出し、敬神念仏ごときは神輿をかついでうるさいし、仏の道も 法華の太鼓の如くうるさい。ラジオの浪花節、救世軍のラッパも騒がしいといかにも荷風らしいことを言って、人に迷惑をかけずに独り楽しめるものは「詩賦と 浣花と釣魚との三事なるべし」といっている。しかし、下手くそな詩賦は人に笑われるし、結局、下手でも人が笑わないのは「魚を釣り花をううる娯しみ」の二 つだと断言し、この二つが究極の楽しみではないかと結んでいる。

手元にある岩波旧版の荷風全集には、この文章は収録されていないようだ。 友人の趣味の本への序であり、お世辞も入っているかも知れず、実際に荷風が釣りをしていてそれが好きだったかは定かではないが、少なくとも否定的には見て いなかったと言うこと。

これで荷風を大先生と仰ぐ小生も堂々とバス釣りに専念できるぞ!

Posted: Tue - August 8, 2006 at 04:08 PM   Letter from Yochomachi   永井荷風       Comments (7)