2006年12月31日日曜日

「ウヨ vs. サヨ」の対立軸はもう徹底的に古いな‥‥



机の引き出しを整理していたら,昔作ったメモが出てきた。二つの座標軸で現代ニッポンの利害関係を整理したものだが,結構使えるのでここに入れておく。

こういう分類方法:






ウヨもサヨも同じ象限に位置することがポイント。既得権益集団ももちろんこのカテゴリーに位置する。各自自分がどの象限に位置するのか,考えてみると面白い。

Posted: Sun - December 31, 2006 at 11:14 AM   Letter from Yochomachi   Science   Previous   Next  Comments (4)

2006年12月13日水曜日

新宿区シルバー人材センター:新宿の「おばあさんパワー」はすごい!



植木の手入れを今年から新宿区のシルバー人材センターに頼んだ。大正解。かなりのお年のおばあさん二人がやってきたが,すごいのなんのって,驚いた。

従来,植木の剪定は会社組織の植木屋に頼んでいた。ネクタイをした営業マンが施行図面入りの見積書を出してくれるという植木屋らしからぬところが面白かったのだが,近年どんどんサービスが低下。高所作業車やゴミトラックというような大げさな機械化だけは進んでいるのだが,肝心のお仕事が「お役所仕事」。「見積もりには入っていません」と言って時間が早めに終わっても余分なことは一切しない。そのくせ見積もりに入っている木を斬り忘れていたりなんかする。今年は新宿区役所の「シルバー人材センター」に頼んでみた。

区役所に電話をかけると区役所が手が空いている植木剪定の技術を持った高齢者に取り次いでくれる。下見の後,仕事の前日に区役所がはしごなどの道具を搬入。当日は「シルバー人材」が自転車でお越しになる。なんと散人より遥かに(?)お年寄りのお婆さんたち二人だった!

このお婆さんたちがすごいのだ。高いヤマモモやマキに平気で登る。小さくって体重が軽いから散人だったら絶対折れてしまうような枝にも伝って行って先を剪定する。丁寧な仕事ぶり。切った枝は片端からもう一人のお婆さんが短くそろえて袋詰めにする(剪定枝は持ち帰らない,施主が燃えるゴミとして出す)。朝から晩まで一日働き通し。いやはや,感心しました。

おまけに経済的。いままでの剪定サービス会社より三分の一以下のお値段で済んだ。事務経費や中間管理職のお給料を払わないと,これだけ費用削減が可能なのだ。

散人はすっかり満足して,箒で葉っぱを掃いたりなんかしてお手伝い。今日はいい運動になりました。

「いまこそ農地法の理念に立ち返るべき(耕さないと所有は認められない)」(大泉一貫)


正論である:

今日の一貫 農地政策の検討はじまるが遅すぎないか: "「農地は農家の私的なもの」と思ってる人が多い。が実はそうではない。 農地は、耕作することによって所有が認められる、公的なもの。 公的なものに条件図けられた所有。こういった所有を経済学では何というのだろうか? 私的所有ではなく、個別的所有とでも言うのだろうか。 とまれ、農地政策の根幹は、耕作すること。それが大前提。 耕作しなくなれば、所有も何も認められない。 転用は言うに及ばない。と、農地法の理念をいくら強調してみても、昨今では言うだけ野暮になる。農家は誰もが「自分のもの」と思いこんでいる。だから「転用しようが、耕作放棄しようがオラの勝手」となる。"

立花隆も同じことを書いていた。
「不動産業者・金融業者と化した偽装農民たちの宅地並み課税への抵抗」(立花隆): "大部分の農民の土地は、戦後の農地解放で「耕すものにこそ所有の権利がある」という理由で、ただ同然の値段で手に入れたものであって、脱農業を計り「耕 さざるもの」となった農民には、この間の地価高騰による超過利潤が本来的に自己の所有に帰属すべきものだとは主張できないはずである。(中略)農地解放の 精神を忘れて、ただただ既得権益のエゴイスティックな保持だけしか考えない偽装農民たちと、その主張の代弁しか考えない農協組織という状況がいつまでも続 いていると、何れ農地開放に匹敵するような強権発動をもってしかこの矛盾を解決できないという声が社会一般の認識となるかも知れない。"

その後20年も経っているが,状況は全く変わっていないのである。

高坂正堯が講演で面白いことを言っていた。「世界中で地権者の権利がこれほど守られている国は,日本と西ドイツだけ。どっちの国もアメリカの占領下で法体系が作られた。なんでだろうか,よく考えてみよう」と。

も ちろん高坂がいいたかったことは,アメリカは「ドイツと日本を再び軍事大国にしてはいけない」との固い決意のもとに両国の法体系の整備を推し進めたのだ。 農地解放もその一環。その後冷戦に入り多くの産業政策は修正されたが,農地だけは,いったん渡してしまった以上,修正のしようがなかった。日本は占領軍が 仕組み込んだ十字架をその後な長く引きずることになる。いまだに日本の農業は生産性が低いまま。

日本の農家は,アメリカのおかげで農地をもらったくせに,外国(特にアメリカ)が大嫌いな人が多い。不思議なことである。これもまた日本を弱体化させたかったGHQにとっては「想定内」の帰結だったのか。


PS)土地は国家のものであった時代もあった。平安時代には農民は「耕作権」だけが認められていた。まあ,漁業権と同じ。ここ↓
8/3 Today 大宝律令完成す(701): "土地はすべて国家のものと定められた。班田収授法。平安時代になるとこれが維持できなくなり土地に対する私権が蔓延って行く。イギリスなんかはいまだに 「土地は女王陛下のもの」という感覚が強く残っているため公共事業などやりやすいが、日本じゃ成田空港建設を見ても土地の私権がいかに強いかわかる。唐律 のマル写しである大宝律令を堅持していた方がよかった?"

Posted: Wed - December 13, 2006 at 01:02 PM   Letter from Yochomachi   農業問題  Previous   Next   Comments

2006年12月10日日曜日

道路特定財源の一般財源化をめぐる二つの座標軸



やたらに問題が複雑化している。座標軸が混ぜこぜになっているから混沌化する。本質はもっと単純な問題なのだ。

道路特定財源に付いては,前にも書いたが時限立法である以上,時限が切れたらやめた方がいい。

日経:道路特定財源、いよいよ一般財源化に……許せん! 

クルマの保有している国民は,法外な税金を払っている。ガソリン税とか自動車重量税とか。大変な重税である。でも寝てても税金が入ってくるというシステムはとてもおいしいので,お上としては手放しがたく,それに地方利権議員も地元への利益誘導のためにはこれ以上のシステムはないと大賛成なので,結局やめない方がいいとのコンセンサスとなった。それも一つの判断である(と思う)。考えてみれば,中央からの税金で地方でぬくぬくと食っている連中に課税するためには,地方では当たり前の「家族一人一台」の自動車に課税するが最も合理的な税システムでもあるからだ。その寝ていても入ってくる税金の使い方こそが,本当の問題なのである。このへんに混同が見られる。

本当の問題は,全国の自動車利用者が払う途方もない金額の税金が,その税金を払っている自動車利用者の利益のために使われているかということなのだ。自動車利用者は、自分が平常使っている道が便利になればと思い,税金を払う。ところが払った税金は全く別ところで使われている。これが問題をおかしくしている。

例えば,道路特定財源であるガソリン税と従量税の過半数を払うのは,大都市住民である。道路がよくなればいいなと思って過酷な負担に耐えている。ところが実際にはその払った税金は,クマやシカしか通らない道路建設に消える。それで儲けるのは,農地を道路建設用地に転用・売却し,馬鹿儲けをする農村地主と、道路建設業務で大もうけする地方土建業者。笑いが止まらないシステムだ。当然利権化する。

道路特定財源をめぐる国民の気持ちは,壮大な同床異夢でもある。道路が必要かという問題(x軸)と、地方への所得誘導が望ましいかという問題(y軸)が、整理されず一緒に議論されてしまっている。

散人の提案。道路特定財源の使い道は,ガソリン税とクルマの重量税を払う納税者の判断に任せるべきだ。首都圏の道路は国際的に全く恥ずかしいくらいの渋滞ばかり。これをなんとかしたいというのがガソリン税と重量税を払う納税者の気持ちだろう。それを尊重しろ。族議員は国土計画なんて大それたことを言っているが,その前に現実の渋滞問題の解消に専念しろ。安倍総理の地元である山口県なんかに莫大なお金を投じて意味のないようなバカ高い高速道路を作る前にお金を払いながら毎日道路渋滞に苦しめられている都市納税者(ドライバー)の利便向上を真っ先に考えるべきだ。さらに都市部の電信柱と電線の撤去に道路特定財源を使うべきだ。電柱は景観を著しく醜悪にするし、ドライバーにとってもとても危険な存在であるからだ。

そういう用途に使われるなら道路特定財源を維持することには大賛成である。いままでのように地方の利権団体への所得移転の道具として使われるだけならば,大反対である。この問題は,所詮,ガソリン税と自動車重量税の使い方をめぐる,都市住民と地方利権団体の力関係の問題なのである。利権ではなくニーズのあるところに財源を配分しろ,それに尽きる。

Posted: Sun - December 10, 2006 at 07:01 PM   Letter from Yochomachi   Cabriolet   Previous   Next  Comments (2)

2006年12月8日金曜日

木の上に登って降りられなくなり消防隊に救出された野良猫は,その後どうなるのでしょうか?

さっきやっていたテレビ朝日ニュース。西宮市夙川沿いの松の木に登って降りることが出来ず6日間がんばった野良猫がついに消防隊に救出された(24人掛かりの大捕り物)。ところでこの野良猫は、この後どうなるのかということ。あっと驚き。 野良猫だから飼い主はいない。消防隊としても飼育責任はない。まあ,その後路上に放されてもとの野良猫に戻るというのが普通だと思うのだが,この場合この「野良猫」は「拾得物」の扱いになるのだそうだ。つまり野良猫が木に登って降りられなくなっていると消防・警察に通報した第一通報者の「所有物」と見なされ、野良猫はこの第一通報者に渡されることになるという。 この野良猫,消防隊員に噛み付くなど,相当凶暴で不敵な面構えだった。ありゃ,ちょっとやそっとで飼いならすことが出来ないたぐいの猫だな。第一発見者,お気の毒。 うちの猫も裏のカキの木に登って降りられなくなって,深夜近所迷惑の大声を出して喚き,散人が二段バシゴでもって救出したことがある。酔っぱらっていたからとても危険だったし,人が集まって大恥をかいた。馬鹿な猫には自分で自分の始末をとらせること。消防なんかに通報すれば,後で「扶養責任」を取らされるのです(まあ,放してやれば済むことですが)。