2008年8月31日日曜日

NHKハイビジョン特集「兵士たちの悪夢」……よかった!

この番組、考えさせられた:
ハイビジョン特集 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]: "ハイビジョン特集「兵士たちの悪夢」 イラク帰還兵に広がるPTSD(心的外傷後ストレス障害)。兵士の心に何が起きているのか。第一次大戦以降の「軍事心理学」の研究史をひもときながら、その闇に迫る。"

兵隊にいかに抵抗なく人を殺させるかが各国軍隊の訓練の課題だった。その結果生じたストレス障害も、いかに早く治療してまた兵隊を戦線に戻すかが新たな課題になっている。人間操縦技術の進歩は日進月歩だ。

これについては、戦前の帝国陸軍も、戦後のアメリカ海兵隊も、第一次大戦時のフランス陸軍も、やってきたことはみな同じ。兵隊とは国家権力(ナショナリズム)のロボットに近づけば近づくほどいい兵隊さんになるとと言うこと。哀れである。

ナショナリズムで人間は二つの階級に分かれる。大衆にナショナリズムを煽ることで得する階級と、その結果犠牲になる階級である。自分は得する階級に属すると確信できなければ、特定既得権集団の票で成り立つ国家権力とその御用マスコミが煽る「ナショナリズム(ニッポンイズム)」から距離を置くのが得策である。

農業水産問題などでは脊髄反応的ナショナリスティックな感情ではなく自分個人としての経済的損得を深く考えてみる必要がある。自分が損をするに拘わらずお上やマスコミに扇動されてニッポンイズムに舞い上がっている人は、訓練プログラムで洗脳されてしまった兵隊さん達と何ら変わりはない。単なるアホである。

山梨の林道事典……これは参考になる!

いいサイトを見つけた。
山梨の林道事典: "山梨の林道事典 ~どこまでも行こう林道の旅~"

情報量がすごい。地図、評価、分岐点の写真などなど。

歳とったから山歩きは無理だけれど、せめてジムニーで林道散策を楽しもうか。

8/31 Today ボードレール死去(1867)

ボードレール (Charles-Pierre Baudelaire) が死んだ日。脳溢血のため失語症となっていた。行年47。
シャルル・ボードレール - Wikipedia: "シャルル・ピエール・ボードレール(Charles Pierre Baudelaire, 1821年4月9日 - 1867年8月31日)はフランスの批評家、詩人。「フランス近代詩の父」と呼ばれる。"
永井荷風がボードレールの詩をいくつか訳している。とても格調高い日本語。日本語のうまい人は翻訳もうまいのである。


荷風訳と原詩の対比は以下の通り:

Letter from Yochomachi: 珊瑚集:月の悲しみ シャアル・ボオドレエル


Letter from Yochomachi: 珊瑚集:腐肉 シ ヤアル・ボオドレヱル


Kafu Sangoshu 暗黒 シャアル・ボオドレヱル

Letter from Yochomachi: 珊瑚集:仇敵 シヤアル・ボオドレヱル


Letter from Yochomachi: 珊瑚集:「秋の歌」シャルル・ボードレール



2008年8月30日土曜日

北富士演習場は4600Haの大自然

北富士演習場の概要 北富士演習場は、陸上自衛隊の演習場として各種の部隊訓練及び小銃、機関銃、迫撃砲、戦車砲、榴弾砲その他の火器、火砲の実弾射撃訓練に使用されています。演習場の使用条件は国と地元との間で締結している使用協定(5年ごとに更新)により定められています。また、日米地位協定2-4-(b)施設として米軍の使用も認められていますが、使用条件は自衛隊が使用する場合と同一の条件とされています。
 平成9年度からは、米軍第3海兵隊による沖縄県道104号線越え実弾射撃訓練の分散・実施訓練が行われています。また、平成12年3月には北富士駐屯地に富士訓練センターが設置され、同センターが所管する訓練も行われています。
 演習場内国有地については、旧来からの入会慣行を尊重し、地元関係者に対して期間を定めて演習場内への立ち入りが認められています。

地元の人たちには開放されているのだ。ただ毎日というわけじゃない。詳細↓

地元関係者が生業のため、平成20年度内に北富士演習場へ立入れる日は下記の予定です。

おいらも地元に村民税を納めているし、クルマは地元ナンバーだし、山菜で飢えを凌がなければ飢え死にする境遇だし、入らせてもらえるかな〜。

8/30 Today マッカーサー厚木に到着 (1945)

ダグラス・マッカーサー - Wikipedia: "マッカーサーは1945年8月30日に専用機バターン号で神奈川県の厚木海軍飛行場に到着、以後1951年4月11日まで連合国軍最高司令官総司令部(GHQ / SCAP)の総司令官として日本占領に当たった。"

現代のニッポンの根幹はマッカーサーによって作られた。「民主的」な農地解放や、土地私権の絶対性、「平和憲法」などなど。マッカーサーとしては、これら「民主的改革」は共産主義の脅威と対抗するための「必要悪」みたいなもので(特に農地解放は農民を共産党に行かせないために農業生産性を犠牲にして行った前代未聞のバラマキだった)、平和な時代になったらニッポン人が自分で時代に即した制度改革をするだろうと思っていたのだろうが、いったん国民(農民)に権利を与えるとそれが既得権化するのである。ニッポンはいまだにマッカーサーが残した負の遺産に苦しんでいる。

マッカーサーが日本に何を残したのか、マッカーサーの改革とその評価について当時4歳半だった人が書いておられるものがあり、これが秀逸。戦後の日本人は大なり小なり「マッカーサーの子供たち」でもあった。白象さんのページ。↓

マッカーサーによる「上からの改革」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hakuzou/MacArthur.htm


マッカーサーが日本にいたのはわずか6年足らず。すぐにいなくなったわけで、今の世の混乱は、マッカーサーではなく、やっぱり後を引き継いだ人たちが責任を負うべきだと思う。

2008年8月29日金曜日

8/29 Today 廃藩置県 (1871)

廃藩置県とは:
廃藩置県 - Wikipedia: "廃藩置県(はいはんちけん)は、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して、地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。"
「廃藩置県は平安時代後期以来続いてきた特定の領主がその領地・所領を支配するという土地支配のあり方を根本的に否定・変革するものであり、『明治維新における最大の改革』であったと言えるものであった。」とされるが、同時に大規模な「徳政令」という性格も有していた。

すなわち:
既に江戸時代中期頃から各藩ともに深刻な財政難を抱えており、大坂などの有力商人からいわゆる「大名貸」を受けたり、領民から御用金を徴収するなどして辛うじて凌いでいた。

廃藩置県によって、旧藩の債務は旧藩主家からは切り離されて新政府が一括処理することとなったが、その届出額は当時の歳入の倍に相当する7413万円(=両)にも達して(しかもこの金額には後述の理由で天保年間(1830年~1843年)以前に発生した債務の大半が含まれていないものと考えられている)おり、債務を引き受けた新政府にも財政的な余裕はなかった。

そこで、新政府は旧藩の債務を三種類に分割した。即ち、明治元年(1868年、慶応4年)以後の債務については、公債を交付し、その元金を3年間据え置いた上で年4%の利息を付けて25年賦にて新政府が責任をもって返済する(新公債)、弘化年間(1844年~1847年)以後の債務は無利息公債を交付して50年賦で返済する(旧公債)、そして天保年間以前の債務については一切これを継承せずに無効とする(事実上の徳政令)、というものであった。
(なお、新政府は朝敵となった江戸幕府による債務はその発生時期を問わずに一切の債務引受を拒絶したため、別枠処理された外国債分を除いて全て無効とされた)

その後、届出額の半数以上が天保年間以前の債務に由来するまたは幕府債務として無効を宣言されて総額で3486万円(うち、新公債1282万円、旧公債1122万円、少額債務などを理由に現金支払等で処理されたものが1082万円)が新政府の名によって返済されることになった(藩債処分)。

だが、債務の大半、特に大名貸の大半が、天保以前からの債務が繰り延べられて来た物であり、有名な薩摩藩の調所広郷による「250年分割」などが尽く無効とされたのである。貸し手の商人達から見れば、大名貸は一種の不良債権であり、返って来る見込みは薄くても、名目上は資産として認められ、また社会的な地位ともなりえたが、この処分によってその全てが貸し倒れ状態になり、商人の中にはそのまま破産に追い込まれる者も続出した。特にこうした商人が続出した大阪(大坂から改称)は経済的に大打撃を受けて、日本経済の中心的地位から転落する最大の要因の一つとなったのである。

旧藩主やその家臣は、これらの債務に関してその全てを免責された上、その中には直前に藩札を増刷して債務として届け出て私腹を肥やした者もいたと言われている。

江戸時代は世界有数の経済都市であった大阪の地盤沈下が著しい。室町時代から繰り返し繰り返し「徳政令」の犠牲になり続けてきたのだから、当然とも言える。平成のニッポンのお上は、もう関西からは搾り取るものがなくなったというので、今度は東京に目を付けている。あいつらは昔からなにも変わっていないのだ。

こういうことで、日本経済は落ち目まっしぐらなのである。

2008年8月28日木曜日

8/28 Today 大伴家持死す (785)

大伴家持 - Wikipedia: "大伴 家持(おおとも の やかもち、養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代の政治家、歌人、三十六歌仙の一人。長歌・短歌など合計473首が『万葉集』に収められており、『万葉集』全体の1割を超えている。このことから家持が『万葉集』の編纂に拘わったと考えられている。『万葉集』卷十七~二十は、私家集の観もある。"


名門大伴家の家長で教養人、万葉集の編者でもあるが、晩年は不遇であった。最後の役職は陸奥按察使・持節征東将軍、鎮守府将軍であるが、名門大伴家としては まあまあというところ。藤原一族にいびりまくられた。死んだのは多賀城であったのか都であったのかも不詳。でも歌人としての大伴家持は、それよりずっと以前、天平宝字2年(758年)に死んでいた。その年正月の家持最後の歌:
新(あらた)しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)

「いいことが起こればいいなあ」という家持の切々たる思いが伝わってくる。万葉集の最後を飾る歌でもある。

2008年8月27日水曜日

8/27 Today 白村江の戦い (663)

白村江の戦い(663): "天智天皇2年(663)8月27日、日本と百済(くだら,baeg-je)の連合軍は朝鮮半島の白村江(はくすきのえ,baeg-chon-gang)で唐(とう,tang)と新羅(しらぎ,sil-la)の連合軍に歴史的な大敗を喫しました。"




百済を助けるためとして半島に侵攻した日本水軍は、この日、待ちかまえていた唐の水軍と戦いの火蓋を切った。結果は惨敗。昔からあんなところに行くとろくなことはないと決まっているのである。

本当にどうしてこんな遠征をしたのか分からない。百済は既に新羅と唐の連合軍の前に亡びていたし、百済の残兵が抵抗を続けていると云っても内部で内輪もめが続いていた。新羅が連合を組んだ唐は王朝の一番勢いのある時期にあった。日本は遣唐使を派遣したばかりであり唐の国力と軍隊の強大ぶりはよ〜く知っていた。常識的に見てもう百済に勝ち目はないことは明らかだったのだ。

なのに斉明天皇(というより中大兄皇子)は、百済救済のために空前規模の遠征軍を派遣することを決める。全国から膨大な兵士が徴兵され、女帝自ら船に乗り込み西に向かう。天皇が戦争のために畿内を離れたことは神話を除いては日本史で前例がなかった。中大兄皇子、大海人皇子、額田王も従軍。

結果は惨敗。でも蘇我入鹿を暗殺しクーデターで政権を奪ったばかりの中大兄皇子は、このゴタゴタを利用し政権の正統性を確立することに成功。対外戦争やナショナリズムを政治に利用するのは、今も昔も同じ。毒餃子事件や捕鯨妨害問題も同じで、誰が一番得したかを考えれば、本質が読める。

2008年8月26日火曜日

ジムニーが届く!

昨晩ジムニーが届く。黒いランドベンチャー。保険を掛けてさっそく今朝から試運転。いいですよ。

いきなりオフロードはなんなので、今まで入ったことのない山中湖周辺の砂利道や林道を探検する。どんな道でも平気だし、狭い道で行き止まりになっても難なくUターン出来るし、これはいいですね〜。忍野村から林道を二十曲峠まで登った。

この辺では、これでようやく「一人前」の地域住民。「軽」でないと入り込めないところがたくさんあるのである。

「ジムニー・カントリー」万歳!

8/26 Today 吉田の火祭り

富士吉田市の観光情報 ふじよしだ観光振興サービス 吉田の火祭り: "8月26日、27日に行われる「鎮火大祭」は、「吉田の火祭り」と呼ばれ、北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社の秋祭りです。

 26日午後、本殿祭、諏訪神社祭が催行され、大神輿、御影は参拝者で賑わう氏子中に神幸。暮れ方に御旅所に奉安されると、時同じくして、高さ3メートルの筍形に結い上げられた大松明70余本、家毎に井桁に積まれた松明に一斉に点火されると、街中は火の海と化し、祭りは深夜まで賑わう。

26日浅間神社を発した大神輿と御影は氏子町内を一円し、27日午後7時頃に神社に帰ります。境内の高天原と呼ばれる所を見物客を従えて7廻りします。神輿と見物客とが一体になって、夕闇の境内を廻るさまは、まさに荘厳の一語につきます。"
とのこと。

一度見に行きたいが、まだその機会がない。交通規制が行われるし駐車場が少ないのでたいへん混雑するらしい。武田百合子〔武田泰淳の奥さま〕の『富士日記』では火祭りの晩の駐車場所をめぐる大喧嘩が描かれているが(どんどん畦道にクルマを駐めるので、出るに出られなくなると、邪魔なクルマは田圃に突き落とすみたい)あれ読んで恐れをなした。もっとも昭和40年代の話で今は違うのだろう。あの時代は確かに元気があったが、同時にとても野蛮な時代であった。武田百合子並みのエネルギーがないと生きて行けない時代でもあった。


武田百合子『富士日記』は良書。旦那の武田泰淳の作品より面白い:


2008年8月25日月曜日

8/25 Today チキンラーメンの発売(1958)

世界に冠たるニッポンの発明「チキンラーメン」が誕生した日である:


チキンラーメン - Wikipedia:1958年 日清食品創業者の安藤百福が終戦直後の大阪・梅田の闇市でラーメン屋台に並ぶ行列を見て、「もっと手軽にラーメンを」と、量産インスタントラーメンとして開発した。商業的に成功したのはこれが初めてであり、魔法のラーメンといわれた。チキンラーメンの開発は、安藤が大阪府池田市の自宅の敷地内に作業小屋を建て、試行錯誤の末に生まれた。ある日、安藤家の夕食の主菜だった天ぷらの調理法を見て受けた印象や食感をヒントに、「油の熱で乾かす」瞬間油熱乾燥法を思いつき採用した。

8月25日 - 販売開始。大阪・梅田の阪急百貨店うめだ本店で試食販売が行われた。これを記念して8月25日は「チキンラーメン誕生の日」とされている。チキンラーメンの発売により、それまでの「支那そば」「中華そば」にかわり、「ラーメン」という呼び名が全国的に広まった。
日清食品ではそれを記念して本日を「ラーメン記念日」とすることに決定。毎年全国で盛大な記念行事が執り行われる。ここ

それほどうまいものではないけれど、食べ慣れた味というのは恐ろしい。いまだに食べたくなる。

世界の「珍味」とか「グルメ」とか称するものは、要はこんなものだと思えば間違いがない。

2008年8月24日日曜日

8/24 Today 石川五右衛門が釜茹でにされる(1594)

石川五右衛門とは実在した人物だったらしい:
石川五右衛門と白波五人男、オノコロ交響曲:このところの健康ブームと関係でもあるのか、地方の家庭には最近まで残っていた「五右衛門風呂」が、今ちょっとした人気商品になっているのだとか。もちろん、その名前の由来は、あの石川五右衛門(いしかわ・ごえもん)さんからきています。お芝居の世界で有名になったことから、架空の人物だと思っている方も多いようですが、彼は安土・桃山時代を生きた実在の大泥棒で、同時代の公家・権中納言山科言経(やましな・ときつね,1533~1611)が残した日記『言経卿記』文禄三年(1594)八月二十四日の項に「庚牛、天晴」とあり、続けて、「盗人、スリ十人、又一人は釜にて煎らる。同類十九人は磔。三条橋間の川原にて成敗なり。」と記されているのが五右衛門の最期らしく、この「同類十九人」には実の子供と彼の母親も含まれていたようです。この時代でも珍しい極刑の執行を一目見ようと都の「貴賎」が川原に群がり集まったと言経は伝えていますが、子供の最期については巷説が幾つかあり、「 五右衛門が息絶えるまで、我が子を両手で抱え上げていた」とするものがある一方、「五右衛門は自分の子供を踏み台にして逃れようとした。 子供が苦しまないように即死させた。」と正反対の風聞も伝わっているような有様、ただ、この「貴賎」の一人であったに違いない行動派の言経も盗人の名前までは書き残してくれていないので、これが本当に五右衛門さんだったのかどうか、今となっては知りようがありません。その他の資料で五右衛門の存在を確かめようとすれば、半世紀余り後の寛永十九年(1642)に編集された『豊臣秀吉譜』という書物に、文禄の頃、石川五右衛門という盗賊が強盗、追剥、悪逆非道を働いたので「秀吉が京都所司代の前田玄以に逮捕させ、母親以下同類二十八人と共に三条川原で煎り殺した」とあるのを信用するしかありません。また、歴史の専門家によれば「言経卿記」そのものも、どういう訳か「歴史上の重大事件が起こったとされる日付の部分の殆どが欠損」しているらしく、その記述内容の信憑性を危ぶむ向きもあるそうです。まあ、信じるしかない、といった頼りなさはあるのですが、丁度、同じ頃、日本に滞在していた貿易商人アビラ・ヒロンの書いた書物にも「都を荒らしまわる盗賊団があり、其の中の15人の頭目が官憲に捕えられ、京都三条の川原で生きたまま煮られた」(『日本王国記』1656年著)という記述があり、当時イエズス会の京都修道院長だったペドロという人物が、これらの盗賊の首領の名前を「ixicava goyemon」だったと注釈しているそうなので、五右衛門の実在を疑う余地はないでしょう。
最後のスペイン語の表記だが、「し」の音が「xi」と表記されている。これは「shi」という音がスペイン語にはないため「x」を割り当てたもの。「Mexico」の表記も同じこと。

「煎り殺す」とか「生きたまま煮る」とか、ずいぶんと残酷な話だが、秀吉が特に残酷であったとも言えない。あの時代は世界中がそういう時代だったのである。20世紀になってそういうことはしなくなったのだが、時代は一方向に進むばかりではない。最近の「文明人」は、昔の人はあまり口にしなかったアワビの「地獄焼き」や鮮魚の「活き作り」を嬉々として召し上がっているし、生類憐れみの令を出した綱吉は「犬公方」と古くさいと馬鹿にされる始末。この意味では食生活の残酷化は昔以上に進展したとも言える。要は、時代の流れとして人は平和で温和しくなるのではなく、時代時代で「基準」が変化するだけの話なのである。

2008年8月23日土曜日

スズキ・ジムニーが欲しくなってきたことなど

山中湖は雨が降って急に寒くなり、長袖長ズボンでも寒い。そろそろ冬の準備にと考えているが、一番頭が痛いことは「雪の急坂」。うちの前の坂はスタッドレスでも滑るのだ。

なにせ半端じゃない急坂。せめて真っ直ぐな坂だとスキーのジャンプ台でも登ってしまうアウディなら問題はないのだが、狭いし、T字の角が連続しているし、おいらのカブリオレは軟弱なFF駆動と来ているので、チェーンを付けなければ滑る。チェーンはいちいち付けたり外すのがたいへん(下の道は除雪されるのでチェーンを付けたクルマはみんなの迷惑となるので坂を下りるとその都度外すし、家に帰ってくるとまた付ける)。クアトロに替えたいところだが、クアトロにはカブリオレがない。ソニーの出井会長は夏はTTカブリオレだが、冬は専用のTTクアトロ・クーペを使うとのこと(二台アウディを持ってられる)。おいらはそんなお金持ちではない。

いろいろ地元の人に相談したが、やっぱり冬専用のクルマが必要だとのことだ。しゅ〜ん。山中湖の冬には軽トラ(4WD)かジムニーがいいという。ただ圧雪がされない別荘地は軽トラックでは車高低すぎるのでつかえてしまうことがあるので、やっぱりジムニーかな〜、とのこと。ジムニーで登れない坂はランクルでもサファリでもダメだという。

冬期に灯油を6輪トラック(スタッドレス)で配達に来るガソリンスタンドのおっちゃんにも聞いてみた。ジムニーならこの坂はスタッドレスだけで登るはずが、運転技術次第だと。嫌味なおっちゃんだ。

ということで、河口湖のスズキでジムニーに試乗してみた。きれいなおねえさんが気持ちよく試乗OKを出してくれたのだ。河口湖畔の急坂を試してみたが、もちろんグイグイ登る。でも軽自動車だから山道はともかくアスファルトはチンタラするのだろうと思っていたら、驚き。これもすごいのです。ターボエンジンですごい加速。日本の自動車技術はすごい! ひょっとしたら日本で一番世界に誇れるクルマじゃないかしら。

YouTube で面白い映像を見つけたのでアップ。世界でもジムニーの評価は高いみたい:



散人は貧乏人なので、地元のみんなみたいにクルマにお金を遣うことが出来ない(軽自動車はとても高いのだ)。ジムニーは十年以上は優につかえるとのことで、掘り出し物(中古)を鋭意探求中。

それと、とっておきの情報。ニッポンでは「軽自動車」には税金がほとんどかからないのだ。おいらは毎年自動車税だけで年に一台数万円払っているが「軽」だと数千円で済む。軽自動車はエンジンの回転を上げるから普通自動車以上にガソリンを食う。地球環境には非常に悪いけれど、お上の地方優遇政策(なにせ地方では一家数台の自動車保有が当たり前なので「軽」が多い)のおかげで税金はほとんどタダ。税金は一円でも払うのはいやなので節約できるのはとてもいい。ニッポン・システムの逆手をとって、大いに得しよう。ニッポンではまともに真っ当な生き方をしておれば、損するばかり。

8/23 Today 白虎隊自刃 (1868)……「被害者」はそう簡単には忘れない



新政府軍に追いつめられた会津藩の白虎隊はこの日飯盛山にて自刃。会津での戦闘は酸鼻を極めた。会津ではいまだに攻撃をした山口県人を恨んでいる人が多い。日本人は淡泊で昔のことは根に持たないという話はウソである。

たとえば下のページ。他にもいっぱい同じようなページが見つかるので驚かされる:

会津の歴史(幕末) 高須&その後&恨み:"**会津の薩長(とくに長州)への恨み**

会津の長州に対する恨みは、明治天皇即位に始まります。 孝明天皇の御崩御(毒殺?)後、薩長が擁する明治天皇が即位すると、会津は、 ”朝敵”扱いとなりました。これが、恨みの始めです。

次ぎは、和平交渉には全く応じなかった事。

そして、戊辰・会津戦争です。老若男女を問わず殺し、”分捕り”と名付けて、農工商を問わず土蔵の財産を全て奪い、 市井人の妻娘を捕らえて妾にしたり、強姦したり・・。戦いの常とは言え、近代国家を謳う軍隊にしては、酷く、やりたい放題でした。これを見ていた人々は、薩長を恨み、長くこの話を伝えたものと、 思われます。
 
さらに、当時、殆ど不毛の地、斗南藩に流されて、辛酸をなめました。廃藩置県後も、薩長の政敵会津は、大正時代まで賊軍として、いわれなき差別を受けました。後述しますが、国立の高校・高専校も、 設置されませんでした。

薩摩には、西南の役で、少し仕返ししたので、やや、許せるものがあったとして、長州に対しては、長く恨み を持つ事になった訳です。

さらに、第二次世界大戦・太平洋戦争の時、仙台の師団長が山口県出身で、会津や九州の兵は、激戦地に回された。そのため、犠牲が多かったと、新たな長州への恨みの種を見つける古老も、まだ、会津には居ます。"

一方、山口県の人はどうかというとそんな昔のことはとっくに忘れてしまっている。加害者の方はすぐに忘れるのであるが、被害者となった方は、なかなか忘れて水に流すなどは出来ないのである。恨みを抱くことになる。

日本がむかし大陸や半島でやったことについても、同じことが言える。日本人からすれば「いつまで昔のことを根に持っているの。まだぐずぐずいって、ねちっこいな」というところだが、被害者側はそう簡単に忘れることが出来ないことは、会津の例を見れば分かる。

それはともかく、全国でいろいろ他にもこんな例があったので、明治政府はこういう地域・地域の恨みを「ナショナリズム」というイデオロギーで上手く一本化して「転進」させようとした。全国一律の愛国教育の実施や、西郷隆盛の征韓論や(これは時期尚早ということで却下となったががその後すぐ台湾に攻めていったりなんかした)日清戦争などなど。人間は単純だから大多数の人は騙されてすぐ忘れてしまい「一億総ナショナリスト」になってしまった。今も昔も「内政で躓いたら対外戦争を起こせ」というのは政治の定石なのである。

2008年8月22日金曜日

昨夜、暴風! ボートカバーがダメになっている

昨日の午後遅く雷。家の中にいたのでそれほどすごいとは思わなかったが、センターフィールドのブログを見るとなんかとんでもない暴風だったらしい:
21日 今日は - center-fieldの日記: "激しい雷と豪雨に巻き込まれ、しかも台風並みの風、おまけに1cm前後の雹も降る始末。桟橋に係留してる船のケアで、雷にビビリながら全身ずぶぬれ、もう最悪!あの時あがってればよかったです。センターフィールド前国道も川状態、足のくるぶし以上の水深になってました。"
さっそく今朝早くハーバーに降りてみると、驚き。

ハーバーの砂浜に大きな溝が出来ている(水はもうなかったが雨水が流れた川の後)。桟橋に係留してあるヨット(シカーラ)二艇ともセールが風でびりびりに千切れている。僕のボートが見あたらない。沈んでしまったのかと思ったら、陸揚げしてあった。雨水の浸水が激しかったので急遽陸上げしたとの由。ハッチの中にはけっこう水が。バッテリーとモーターには異常なし。

ボートカバーが古くなっており防水性能が劣化している。接触部分からの水漏れが激しい。出入りのキャンバス屋さんにボートカバーを頼むことにした。バスボートは突起物(コンソールやエンジン、エレキなど)が多いので洋服みたいにサイズを測ってテーラーメイドしなければならず注文服程度の値段となる。物いり。

2008年8月21日木曜日

あのホリエモンがブログ界に戻ってきている。:貞子ちゃんの連れ連れ日記 ……へ〜!

あのホリエモンがブログ界に戻ってきている。:貞子ちゃんの連れ連れ日記 - AOLダイアリー: "あのホリエモンがブログ界に戻ってきているので、ご報告。↓
「六本木で働いていた元社長のアメブロ」
http://ameblo.jp/takapon-jp/"


ブログのサブタイトルの「思ったことを素直に書きます。」というのが素直でいい。

『世界を動かしたユダヤ人100人』(マイケル・シャピロ)

わりかし面白かった。アインシュタイン、フロイト、ノイマン、キッシンジャー、リカード、マルクス、ディズレーリー、トロツキー、プルースト、カフカ、ベルグソンをはじめいろんな偉人の話が続く、もちろんモーゼやダビデ、イエスや聖パウロも「入っている」。正直「えっ?」と思うような人がユダヤ人だったりなんかする。勉強になりました。

世界を動かしたユダヤ人100人世界を動かしたユダヤ人100人
Michael Shapiro 大谷 堅志郎

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なぜユダヤ人に「偉人」が多いのか? 著者は説明はしていない。一神教の論理性の問題なら分派のキリスト教徒もイスラム教徒も同じ。DNAの問題なら今の中東の人は偉人だらけということになるしそうでもないだろう。やはりおかれた境遇だ。散人流に言うなら「彼らは常にナショナリズムのドツボから超越していたから」と言うことになる。傍目八目と言うではないか。「品格、品格」などと言って、自己満足的夜郎自大を続けていては、先が読めない。

この本索引がいい。章立てされている100人ばかりでなく、この本で引用された数多くの人名についても索引が整備されている。

2008年8月20日水曜日

8/20 Today トロツキーの暗殺(1940)……フリーダ・カーロとの不倫映像が残っている!

レフ・トロツキー - Wikipedia: "レフ・ダヴィドヴィチ・トロツキー(Лев Давидович Троцкий, Lev Davidovich Trotsky, 1879年10月26日(グレゴリオ暦11月7日) - 1940年8月21日)は、ソビエト連邦の革命家・政治家・思想家。赤軍の創設者のひとりとしてソビエト連邦の草創期に活躍したが、のちにスターリンと対立して追放され、亡命先のメキシコで暗殺された。(中略)メキシコ亡命中にフリーダ・カーロと不倫をしている。"
Wiki では8月21日死亡となっているが、ピッケルでの襲撃は20日に行われた(翌日病院で死亡)。

暗殺された場所はメキシコシティーの高級住宅地コヨアカンの自宅。一度見に行ったことがあるが、まるで要塞のような建造物である。敷地は高い城壁で囲まれ四隅には監視塔があり銃で武装した護衛兵が24時間見張っていた。壁の厚さは優に1メートル。中でもトロツキーの寝室は更に厚い壁で守られており、一つしかない小さな窓には鉄格子、寝室の入り口ドアも鉄格子だ。ベッドと机しかない粗末な牢獄のような小部屋。トロツキーは一日中ここで彼の著作を完成させるべく執筆を続けていた。完成するまでは死ねないとこんなことまでして頑張っていたのである。それでもスターリンの刺客は味方を装って中に入り込みトロツキーをアイスピックで殺す。


そんなトロツキーであったが、楽しいこともあった。メキシコの女性画家フリーダ・カーロとの恋愛お遊び。その貴重な映像が残っている。トロツキーは鼻の下を長くしてまるで「でれでれ」。フリーダ・カーロの方はなかなか一筋縄では行かない印象。年が違いすぎるもんね。でもフリーダ・カーロも、同じコヨアカンに住んでいたが、学生時代の交通事故で体中に鉄製のコルセットをはめ込んでの不自由な生活。お互いに惹かれるものがあったことは確からしい。

video

NHKの「新日曜美術館」から拝借。

2008年8月19日火曜日

山中湖:大池に温泉を掘っている!

下の40番ゲートの空き地で巨大建設工事がスタート。高い井戸掘り用の櫓が建てられた。一体何が出来るのだろうと気になっていたら、今朝の日経に広告が出ていた。JTTC(ジャパン・トータル・クラブ)の施設(山中湖畔サロンというもの)が出来るらしい。

JTTC のホームページを見ると:
株式会社 コーユーコーポレーション(コーユーグループ): "私たち「ジャパン・トータル・クラブ」は、個人のお客様を対象とした会員制のリゾートクラブを運営しています。メンバーご家族の世代を超えた思い出が共有出来る場として、変わらない良さを保つロケーションを厳選。最高のリゾート環境の中、個性溢れるクラブホテルと会員制ならではの暖かいおもてなしをご提供しています。現在、富士山が一望できる山中湖畔においては新たなクラブホテルを建築する一大プロジェクトを進行させています。"

とのこと。

なんでもイタリア人の設計による「イタリアン・クラシック」建築とのこと。ようわからんけど、屋内温水プールなどがあるらしい。温泉は掘ってみないと出るかどうかわからないので「温泉」とは書いていない(このへん正直)。外部者に開放されるんだったら、いいな。

この辺りは昔は大きな池があったところ(だから「大池」と言うらしい)。カッパが出たという伝説も、この辺りではないか。景色はいいところである。大池の湖岸:


8/19 Today ねづみ小僧次郎吉の処刑(1832)

とうとう鼠小僧は捕まって処刑されました:
鼠小僧 - Wikipedia
鼠小僧(ねずみこぞう。「ねずみ小僧」とも表記。寛政9年(1797年) - 天保3年8月19日(1832年9月13日))は江戸時代後期、化政時代に出没し大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯。本名、次郎吉(じろきち)。合わせて「鼠(ねずみ)小僧次郎吉」と称される事もある。本業は鳶職であったと言われ、義賊の伝承で有名な人物。

7年にもわたって武家屋敷71箇所、90回にわたって忍び込み、ついに天保3年(1832年)5月5日(日付については8日などの諸説あり)、日本橋浜町の松平宮内少輔屋敷で捕縛される。

北町奉行・榊原忠之の尋問に対し、盗んだ金銭の総額については3000両以上と鼠小僧は供述したが、本人が記憶していない部分もあり、諸書によっても違うので正確な金額は未だに不明である。

3ヵ月後の8月19日に市中引き回しの上での獄門の判決が下される。この刑は本来なら凶悪犯(放火や殺人)に適用される刑であり、この判決は武士階級の面子を潰された恨みの産物という見方も出来る。なお、市中引き回し時の鼠小僧は美しい着物を身に付け、薄化粧をして口紅まで注していたという。

処刑は小塚原刑場にて行われた。享年36。
まあ、無為徒食をしている連中(サムライ)から小判を分捕ったんだから、義賊だね。

一体いくら盗んだのか、諸説があり正確には分からない。一説には1万2000両とも言われる。現在価格でいくらぐらいだったのだろうか。拙者の考察:
鼠小僧次郎吉はいったいいくら盗んだ? 約10年間で100回、大名屋敷を専門に荒らし、盗んだ金額は合計で1万2000両とのこと。現在価格でいくらぐらいになるかであるが、女中さんの給料が年間で2.5両だったり、一人前の相撲取りが年間に十両稼ぐから「十両」と呼ばれた時代の話、たいへんな金額となる。給料水準比較から見た我々の実感ベースでは一両約20〜30万円程度。ということは、鼠小僧は目の子で30億円も盗んだことになる。3億円事件どころではないのである。10年間に渡り毎年3億円強奪を繰り返していた計算。たしかに並の泥棒ではない。
それにしても、昔の武家屋敷は不用心だった。銀行というものがなくみんなタンス預金をしていたのだから仕方がないのだが、もう少し頑丈な金庫を作るとか、一工夫あってもよかった。

2008年8月18日月曜日

ブラジル・レアル債の追加購入

今度はストレート債に投資。正確にはレアル連動型円建て債券。金利はレアル債より低めだが、為替手数料で規制で守られたニッポンの銀行にボッたくられる実感が少ないのがいいところ。為替だけが心配だが、ニッポンの円に集中投資しているリスクよりはるかに少ないだろう。

みんな必要以上に為替(円高)を気にしすぎていると思う。単独通貨への偏重は避けるべきだが、円以外のいろんな通貨に分散しておけばいいこと。世界の中でニッポンの円だけが「単独高」を演じるとすれば、これまたたいへんおめでたいことだが、そういうことは決してないだろう。これは確信に近い。

「愚かさは世界で一番平等に配分されているもの L'imbécilité est la chose du monde la mieux partagée」(読み人知らず)

北京オリンピックが面白くないのは認めるが(テレビを見てもつまらないスポーツ種目ばかり)、ニッポンのマスコミや、ネットでは「エライ」評論家という人が、「口パク唱歌」や「CG花火」ばかりを論じるのは如何なものか。掲題の言葉を思い出してしまった。

オリンピックはお祭り。それも主催国のお祭りだ。人の家のパーティーに招待されておいて後から悪口で盛り上がるのは、井戸端のおばさんみたいで「品格」に欠ける。

中国に比べてニッポンのメダルの数が少ないのにイライラする気持ちは分かるが、そんなことでしかナショナリズムを満足させられないとすれば、アホ丸出しではないかと悲しくなってしまった。

向こうも向こうだが、こっちもこっちだ。掲題の箴言は真理である。

8/18 Today バルザック没 (1850)……文明とは人間の物欲の産物である!

オノレ・ド・バルザック - Wikipedia:
"オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac,1799年5月20日-1850年8月18日)は、フランスの小説家。
S.モームは、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と自著『世界の十大小説』のなかで述べている。バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学(ドストエフスキー、レフ・トルストイ)のさきがけとなった写実的小説である。"

バルザックが死んだ日。51歳だった。書いて書いて書きまくった生涯だったが、実にお金のことを詳しく書いた。彼は、人間とか人生というものはその経済的側面を精密に描くことなくしては描写し得ないと信じていたのだ。おかげで19世紀ヨーロッパの経済事情が、また当時のヨーロッパに蔓延していた俗っぽい「物欲」が、実によくわかるのである。この俗っぽい物欲こそが、文明発展の原動力であった。「みんな一緒に清く貧しく」なんて言っている社会は、文明から取り残されるのである。

『バルザック「人間喜劇」セレクション(全13巻、別冊2巻)』鹿島茂編(藤原書店)はおすすめ。特に第7巻の『金融小説名編集』がいい。高利貸し観察記、偽装倒産物語、手形偽造物語等々。巻末対談として『ナニワ金融道』の青木雄二と鹿島茂の対談までついている(この対談ちょっとかみ合っていないけど、企画としてはとても面白い)。鹿島茂による当時の貨幣価値換算表や、当時の社会ステイタスシンボルとして重要な小道具である馬車の種類の一覧整理まである。人間霞を食って生きている訳じゃないのだから、現代小説に於いてもこういうバルザック的なアプローチは重要だと思う。第一巻の『ゴリオ爺さん』も捨てがたい。

ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)
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2008年8月17日日曜日

山中湖は雲の中……エレキのヒューズの交換など

湖面を雲が流れていくのは不思議な光景である。雲の境目に入ると一瞬にして何も見えなくなる。気温20度c。すっかり寒くなってしまった。

電気屋さんがやって来たので、これ幸いとエレキ(MotorGuide)を見てもらう。24vへの切り替えが効かず12vで動かしていたがどうにも遅いのだ。24vラインのヒューズが錆び付いていたことが原因。ヒューズを交換すると快調に動くようになった。

モーターの出力がアップすると、今度はマウントのがたつきが気になり始めた。でも今日は一本釣ったのでおしまい。明日ネジを調整してみよう。

8/17 Today 高見順忌……高見順と荷風は従兄弟同士、でもお互いに険悪な関係にあった、なぜ?

高見順とは Wikipedia によるとこんな人:
高見順 - Wikipedia: "高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、明治40年(1907年)1月30日 - 昭和40年(1965年)8月17日)は日本の小説家、詩人。福井県知事阪本釤之助の非嫡出子として福井県坂井郡三国町(現坂井市三国町)平木に生まれる。母は阪本が視察で三国を訪れた際に夜伽を務めた女性。阪本釤之助は永井荷風の父方の叔父であり、したがって荷風と高見順は従兄弟同士になるが、それにも拘らず互いに極めて険悪な関係にあった。"



荷風は高見淳が嫌いと言うよりは、まず叔父の阪本釤之助を蛇蝎のごとく嫌っていた。その阪本が「夜伽」をさせて作った子供ということで、ますますどうしようもない嫌悪感を高見順に対して持っていたのであろう。明治時代は前近代的な時代だった。それでも明治後期にはかなり近代化されていたはずだが、それでも県知事が圏内を巡察するときは地元に毎晩「夜伽」を提供させたと言うから、あきれますな〜。可哀想なのはむしろ高見順の方で、父親からは当然認知もされず、わずかな手当だけで極貧生活を送る母親の元で育てられる。苦学して東京帝国大学を卒業する。エライものだ。後に社会主義者となるのも宜なるかなである。

それはともあれ、高見順と永井荷風は、どんな風に険悪だったのだろうか。週刊誌風に下世話話を抜き出してみたのが以下のブログ記事。小生も生まれながらに品性卑しいのである;
Letter from Yochomachi: 〔再録〕荷風と高見順: 今日8月17日は高見順が死ん だ日です(1965.8.17)。高見順は『如何なる星の下に』『いやな感じ』などで知られるエライ小説家ですが、永井荷風の従兄弟でもありました。なの に二人はまともに口も聞かなかったし、日記でお互いの悪口を散々書きあっています。どういう経緯なのか。とかく人のケンカは面白いので、野次馬根性を出し てみましょう。
特に面白いのが荷風が高見順宛に出した献本に対する「礼状」。 なんと文章の行かえの位置で荷風は相手を軽蔑し、高見順はそれを正しく侮辱と捉え激怒するのです。こういう嫌味の「高等技術」は、今やワープロの時代になってしまい、すたれましたな〜。

2008年8月16日土曜日

フリーの舫ロープはちゃんと固定することなど

失敗談。バスボートを立ち往生させてしまった。スターンラインがプロペラに絡まった。

ちょっと急いでいて出艇前の点検が十分でなかった。スターンデッキに放り出しておいたスターンの舫ロープがいつの間にか水中に落ちていた。大池で遊んでいていざ帰ろうとするとギア前進でエンスト。前進に入らない。風が強いのでエレキでは間に合わない。バックに入れると大丈夫なので延々とバックで水を被りながら帰ってきた。エンジンのアイドリングの調整が低すぎるのだろうかと勝手に想像していたが、桟橋に着けようとするとスターンラインが水中にある。プロペラに右回りで絡まったのだ。反省。

バッテリーを相当使ってしまったので、充電のため二個持って帰る(一個24キロ)。ウェイトリフティングだ。

今日は午後からけっこう吹いた。アメリカ人の屈強な若者二人がシカーラで出艇したが見事に沈。なかなか上手そうな二人だったが、山中湖の風は急に変わるのでこういうことがよく起こる。でも流されても対岸に漂着するだけなので大きな事故にはならないのが山中湖のいいところ。

バス釣り。今日は二本。4インチグラブのスプリットショット。

8/16 Today 大文字五山送り火

今晩の8時から点火:
大文字五山送り火: "8月16日夏の夜空をいろどる大文字五山送り火。
  祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の一つである。
  この送り火としては東山如意ケ嶽の「大文字」がもっともよく知られ、それゆえ送り火の代名詞のごとくいわれているが、そのほかに金閣寺大北山(大文字山)の「左大文字」、松ヶ崎西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」、及び嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があり、これらが、同夜相前後して点火され、これを大文字五山送り火とよんでいる。"

ところでこの五山送り火のことを「大文字焼」というと京都人に笑われるという話を東京出身の友人から聞いたことがある。その話を聞いたのは散人が数年間京都で過ごした後だったから〔そしてその間ずっと「大文字焼」と言ってきたから〕そうであったのかとひどく恥ずかしかったことを覚えている。でも最近、京都の応仁の乱から続くお家の息子に「僕らも<大文字焼>と言ってるよ、何も恥ずかしいことはない」と聞かされ、いまだに混乱している。ついこないだもテレビでタレントおじさんが「正しくは五山送り火」と物知り顔で説教していたが、これも数多くの「京都ではこれが正しい都市伝説」の一つなのかも知れない。

お盆なのに朝6時から自衛隊は富士山で大砲発射訓練をしている!

お盆で山中湖は大賑わい。東京が故郷という人にとって、東京から近くJRやJALにぼられることなくいける涼しい恰好の保養地だからむべなるかなである。ところが朝から大砲の連続発射音で目を覚ましてしまった。自衛隊がここぞとばかり頑張っているのだ。

何も、お盆のお休みの日の、それも朝早くから砲撃演習をしなくてもいいと思うのだが、きっと「おいらはみんなが遊んでいる間もお国のために働いているんだぞ〜」というデモンストレーションだろう。

ちなみに山中湖村や忍野村に住民票を移動させ「地元住民」となると、お上(防衛施設庁)からいろんな「特典」を貰える。沖縄や発電所所在地と同じで半端ではない金額。都市住民はいつもぼられて毟られるばかりだから、たまには受益者にならないと損。考えようかな〜。

2008年8月15日金曜日

8/15 Today 敗戦(1945)……荷風は鶏肉葡萄酒で祝宴を張る

日本はポツダム宣言を受け入れ、ここで負けが決まる。政府内でゴタゴタ揉めて「投了」が遅れた。そのため都市住民を中心に数万人も余分に死んでしまった。明治以来、戦争を始めるのは常にネットウヨみたいな勇ましい農村ムラ共同体主義者、戦争の犠牲者はほとんどが都市住民。この構図は今も変わらない。

その当日のことを書いている日記が多く存在するが、その多くは「クリシェ」(テンプレ)を書き連ねたもので深みがない。その証拠に腹を切るとか息巻いた人も数日経つとけろっとしてそれなりの普通の精神状態に戻っている。その中で当日とても正直な日記を書いた人が永井荷風。その記述:

8月15日、(中略、この日荷風は勝山の谷崎潤一郎を訪れた後、岡山に帰る。その道中のさまが書かれている)午後二時過岡山の駅に安着す、焼跡の町の水道にて顔を洗ひ汗を拭ひ、休み休み三門の寓舎にかへる、S君夫婦、今日正午ラヂオの放送、日米戦争突然停止せし由を公表したりと言ふ、恰も好し、日暮染物屋の婆、鶏肉葡萄酒を持来る、休戦の祝宴を張り皆々酔ふて寝に就きぬ、
戦争に負けて祝宴とは何ごとだ、非国民だ!と当局から睨まれないように荷風は「休戦」という言葉を使っている。幸徳秋水の悲惨な最期を目撃した明治人として〔注〕、荷風はあくまでも慎重なのである。

〔注〕幸徳秋水が社会主義者として処刑されたことは荷風に大きな影響を与えた。小生も昔のHPでちょっと触れたことがある:
Letter from Yochomachi: 〔再録〕荷風はどこで幸徳秋水の囚人馬車を目撃したのか?

2008年8月14日木曜日

ブラジル債券ファンドが大人気

高成長、高金利、豊富な資源と三拍子揃ったブラジルにみんながなびいている。野村のブラジル債券ファンドは三日で売り切れ。こうなると急に欲しくなるのが悪い癖で、大和で申し込んだ。滑り込みセーフ。

ダイワ・ブラジル債券ファンド2008-08

日本株はどうしようもない。米国もさえない。中国株はバブルの調整で過熱を気にしていた共産党政府は喜んでいるが投資家はたいへん。ユーロも頭打ち。インドも調子が良いのはミタルぐらい。豪州もお前もかという感じで、結局消去法でブラジルと言うことになる。まあ、あの国は中南米だけれどスペイン語を話さない国なので、信頼できそうでもある。

ストレートボンドの方がスマートじゃないかと思うけれど、この際とやかく言っている場合でもないので付和雷同しておく。大和の手数料は野村のやつより安い。

水上オートバイにウナギが潜り込んでエンジンを止めてしまった事件

今日ハーバーマスターから聞いたお話。朝、桟橋の水上オートバイを移動させようエンジンを掛けたらすぐエンストしてしまった。いろいろやってみたけど直らないので、噴出ノズルをのぞきこむと大きなウナギの顔と鉢合わせをしたとのこと。

水上オートバイはスクリューでなくジェットポンプで動く。艇底の取り入れ口から水を吸い込み、ジェットポンプの高圧力で船尾から噴出させて動く仕組み(ウォータージェット推進装置)。ウナギは水の取り入れ口から夜の間に入り込んでいたらしい。

突いても引っ張ってもどうにもならないので機械屋に來て貰った。エンジンを開けると、ジェット軸にウナギがロープのようにからみついていたと。太さは人間の手首ぐらいあった。

当分ウナギを食う気にはならないとのこと。気持ちは分かる。


8/14 Today 「少年よ大志を抱け」のクラーク先生が教頭に(1876)

この日、札幌学校(札幌農学校・北大農学部の前身)が開校し、クラーク先生が教頭になった。ところで、掲題の名文句であるが、本当にそういったのか、どういう英語表現だったのか、いろいろ説がある。一応これが定説か:

ウィリアム・スミス・クラーク - Wikipedia: "札幌農学校創立15周年記念式典で行った講演内容を、安東幾三郎が記録。安東が当時札幌にいた他の1期生に確認の上、この英文をクラークの言葉として、1894年ごろに同窓会誌『恵林』13号に発表していたことが判明した。安東によれば、全文は'Boys, be ambitious like this old man'である。このまま訳すと、「この老人のように、あなたたち若い人も野心的であれ」というような意味になる。安東の発表の後、大島自身が内村鑑三編集の雑誌Japan Christian Intelligencer, Vol.1,No.2でのクラークについての記述で、全く同じ文章を使ったことも判明した。"

実際、クラーク先生は生涯「野心的」であり続けた。最後は鉱山会社を起業して破産してしまう。でも、人間これでよいのだ。

「俺みたいな年寄りでも大志を抱いているんだから若い人はなお一層……」とも読めるが、年寄りになると希望が小さくなると言うことはない。人間歳をとるにつれて、実現可能性が小さくなる分だけ、「夢」は大きくなるのである。

2008年8月13日水曜日

トラックを運転したぞ!

生まれてはじめて本物のトラックを運転。運転しやすいのに、驚いた。

富士吉田のカインズで園芸用三脚(8尺)を購入。メーカーから無料で配達してくれると言うが、お盆の時期であり20日過ぎまで待たねばならない。自分で持っていくんだったらトラックを貸してくれるというので(二時間無料)、さっそくチャレンジ。ちゃんと国道を運転し急な坂道も登りました。

今どきのトラックはオートマティック。4輪駆動への切り替えも出来て、何よりも小回りが利く。一トントラックだったけれど、普通乗用車より取り回しがいい。どんな狭い道も、急な坂道でも、何処でもOK。日本のメーカーは日本の交通事情を知り尽くしていると実感。エライ。一台欲しい感じ。

8尺三脚で最初にやった仕事は、天井電球の取り替え。部屋の中での使用を考えて短めのを買ったので不安だったが、何とか届いた。前のオーナーはお金持ちだったので電球の取り替えは業者に頼んでいたらしいが、散人みたいな貧乏人には無理なので、二つも切れていた。

その後、クマシデなどの枝払い。どんな足場でも安定性抜群。これなら落っこちることもない。一家に一台三脚を。これはプロもすすめている。

パーコレーターで淹れたコーヒーは昔懐かしい「質実剛健」の味

お盆の山中湖は、湖畔でピクニックする「アウトドア派」で大賑わい。そういう人たちを意識して山中湖のバスターミナルの一階でアウトドアグッズの青空市が開かれている。Captain Stag のパーコレーターが千円ちょっとで売っていたので思わず購入。さっそく使ってみたけれど、とてもいい。

パーコレーターはいわゆる「コーヒー通」と言われる人たちには不評。コーヒーを加熱しすぎるので香りが飛ぶとか酸味が出るとか言うらしいのだが、もともとのコーヒーとはそんなものだと思えばそれはそれでおいしい。簡便で手間がかからないし、コーヒーの色を見ながら抽出時間を調整できるので自分好みの濃さに仕上げることが出来る。抽出中に放出されるコーヒーの香りがたまらない。飲み残しはアイスコーヒーに。

「ローハイド」の爺さんが作るコーヒーみたいでとてもいい雰囲気。今後の日本は、何十年もやってきた農村バラマキ政治のツケがいよいよ回ってくるので、不況は長期化するだろう。一億総貧困化は避けられないところ。「質実剛健」はまず先手を打って食生活から始めるのがいい。どうせ将来そうせざるを得なくなるのだから。

8/13 Today 池田勇人は死んで「貧乏人は麦を食え」との名言を残す

「所得倍増計画」で有名な池田勇人が死んだ日(1965)。わかりやすいビジョンを掲げることを知っている名宰相だった。でも池田勇人といえば、何と言っても彼が大蔵大臣時代に発した「貧乏人は麦を食え」という名(迷)言を思い出す人が多いだろう。国会で大問題となった発言だが、あれほど悪意でもってねじ曲げられた正論コメントはめずらしい。

当時は物価の上昇が問題となっていた。消費者物価の上昇があるのでインフレであるから引き締め政策を採るべきだとする議員に対して、経済に強い池田は「卸売物価が上がっていないのでインフレではない、消費者物価が上昇するのはサービス価格の上昇によるもので経済が豊かになるにつれて当然起こる正常なもの、コメの値段が上がって困るというがムギの値段は上がっていない」と理路整然と回答した。これを野党とかマスコミが「貧乏人はムギを食えと言うことか」と大反発し、それがいつの間にか「池田勇人が貧乏人はムギを食えと言った」と言うことになってしまったもの。今も昔も、扇動的マスコミは嫌らしい。

よって、池田勇人が言ったという名(迷)言は、事実とは違うのであるが、仮にそう言ったとしても、今となって考えるとこれは「迷言」ではなく「名言」だと思う。白米は栄養が偏っており、食べ過ぎると健康によくないからである。戦前多くの陸軍兵士が白米の食べ過ぎで脚気になって死んでしまったことを見れば明らか。ムギの方がよほど良い。

ところが、今は池田勇人の時代とは違って、ムギとか雑穀や玄米の方が白米より高い。今や金持ちでないとムギは食えないのだ。国民の健康志向を利用して、ここぞとばかり儲けようとする輩が多いからである。池田勇人も草葉の陰で泣いていることだろう。

そう言う輩に儲けさせるのはいやなので、散人はオートミール(カラスムギ)を食べている。賢人ボズウェルもオート麦を食べるとよい人間が育つと言っているではないか。
Talk:James Boswell - Wikiquote
Samuel Johnson: "In England we wouldn't think of eating oats. We only feed them to Horses."
Boswell: "Well, maybe that's why in England you have better horses, and in Scotland we have better men."

2008年8月12日火曜日

8/12 Today 吉野俊彦氏の命日(2005)

日銀の調査局長をされていた。朝からビールを嗜むことで有名。でも90歳まで生きられた。

永井荷風のファンでも有名。こんな本を書かれた:
「断腸亭」の経済学―荷風文学の収支決算「断腸亭」の経済学―荷風文学の収支決算
吉野 俊彦

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このご本の数字を参考にして小生はこんなブログを書いたことがある:


Letter from Yochomachi: 〔再録〕荷風とお金と物価の悲劇

小生としては労作のつもり。一覧おすすめ。

2008年8月11日月曜日

朝食シリアル「ミューズリー」は老人問題の解決となるか?

最近朝飯はミューズリー。簡単でとてもおいしい。栄養のバランス抜群。準備や後片付けの手間もかからない。それに何処でも買える(山中湖でも)。「貧乏人は麦を食え」とはさる名宰相の名言。ひょっとしたら、これこそがニッポンの老人問題の解決策ではないか、と考えた。

今食べているやつは「カントリーファーム フルーツナッツミューズリー」というドイツ製のもの。中身は、オート麦、小麦、レーズン、ライ麦、コメ、ヒマワリの種、コーン、ココナッツ、カシューナッツ、アーモンド、ヘーゼルナッツ。ミューズリーにもいろいろあるが、これが一番安くて質実剛健で、その意味で一番本格的。手間暇を掛ける必要がないのが一番いい。

「ニッポンの朝ごはん」というものがブームだが、散人に言わせればあれは日本でも「特殊な」朝食でしかない。つまり家庭内労働力がただであるイエ社会の食事か、値段を客からぶったくることが出来る温泉旅館の朝ごはん。普通の家庭ではあんなもんを食ってなかった。現に、富士五湖地方では朝ごはんは伝統的にトウモロコシ団子だったし、和歌山では茶がゆだし、江戸ではぶっかけ冷や飯だった。全員が働かなくてはならない昔の家庭ではあんなチマチマした手間のかかるものは朝には食わなかったのである。「早寝早起き、炊きたての朝ごはんこそニッポンの伝統」というお上肝いりの食育は、コメ農家への配慮が先行するあまり、かなりの作られた神話の上に成り立っているものだ。

ところで今の老人介護。かなり手間暇が食事の世話に割かれている。ミューズリーなら寝たきり老人でも自分で用意できる朝ごはんだ。さらに老人の年金も「マクロ調整クローズ」とやらのおかげで将来減る一方。とても高い日本のコメを食えるような余裕はなくなってしまうだろう。手間暇がかからずお金もかからないミューズリーこそが老人問題の解決につながるのではないか。池田勇人が言ったように「貧乏人は麦を食え」なのである。

オートミールとかミューズリーはいやだという人は、好きになるように若いうちから準備を始めておいたほうがいい。こういうことこそホントに役に立つ「自己防衛策」なのである。

8/11 Today 本邦初のミニスカート(膝上10センチ)が発売される(1965)

日本の服飾史上、記念すべき日でありました。この日、帝人は膝上10センチのミニスカートを「テイジンエル」との名前で売り出したのである。世の男性諸君はどっと元気になり、この年までの戦後最悪の不況(40年不況)を吹き飛ばし、日本は一転して戦後最長の大型景気「いざなぎ景気」に突入していくのでありました。

ミニスカート - Wikipedia: 1965年(昭和40年)8月11日、帝人が日本で初めてのミニスカート「テイジンエル」を発売。


昔のニッポン男児は単純であった。今のニッポンの不況は構造的なもので、こんなことでは解消されそうにないのが残念。

2008年8月10日日曜日

8/10 Today 東京でタクシー営業が始まる (1913)

大正元年8月10日、東京タクシー会社がタクシーの営業を始めた。便利だということで急速に普及。日本人の生活になくてはならないものとなったが、国際的に見ても日本の自動車総数に対するタクシー台数比率は非常に高い。当時から、日本人が日常的にタクシーを利用する習慣は外国人にはちょっと奇異に映っていたようだ。

欧米では昔からタクシーは贅沢なものだとの一般認識がある。だから日本に來て学生なんかが平気で日常的にタクシーを利用するのを見て驚く人が多い。昔もそうだったらしい。昭和の初期に外交官夫人として来日し東京で暮らしたキャサリン・サムソムはとても印象深い観察記を残しているが(『東京に暮らす』(岩波文庫))その中でもタクシーについて触れている。ちょっと引用:
「日本では、外国と違って、金持ちと貧乏人の間にはあまり差がないことが多いのですが、生活スタイルもそうです。日本の金持ちは競馬、狩猟、ヨット、猛獣狩りをしないし、広大な屋敷などにお金を遣うこともなく質素に暮らしています。もちろん貧乏人よりは贅沢な暮らしをしていますが、買うものや、することの違いは質と言うより量です。たとえば、金持ちは素敵な自家用車をもっていますが、貧乏人は、イギリス人とは違い、よくタクシーに乗ります。このように、日本人の生活水準は、金銭上は低くても、もっと収入が高い人々の特権を含んでいます。タクシーは非常にたくさん走っているので、小売店と同じで、採算が合うのか不思議です。(中略)ガソリンがとても安いので、料金も非常に安くなっています。仲間で日帰りで郊外に出かけることがあります。80キロ離れた富士山まで(タクシーで)日帰りドライブすることもあります」

思うに、欧米ではタクシーとは高価な馬車の延長線上にあるものなのに対し、日本ではタクシーは安価な駕籠や人力車の延長線上にあるものだったからか。また稼いだものはぱあっと使ってしまうという江戸っ子気質も影響していたのかも。でも、こういう消費態度の違いが彼我の社会資本の蓄積の差となって現れているとすれば、ちょっと問題かも知れない。

最近東京のタクシーの売り上げがドラスティックに落ちているらしい。不景気になって、東京の消費者の行動が少し「質実剛健化」したと考えれば良いことである。「無駄遣い」は何も政府の専売特許ではないのである。でも、地方ではそれほどタクシーの売上が落ちていない。昔は歩いたものだが、地方は言われているほど不景気ではないのだろう。

ちなみにこの『東京に暮らす』は良書。一読おすすめ↓

東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)東京に暮す―1928~1936 (岩波文庫)
キャサリン・サンソム

岩波書店 1994-12
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「子供より古書が大事と思いたい」(鹿島茂)

猛烈に嫉妬心をかき立てられる本。散人は元来嫉妬というものには無縁であるが(農村富裕層に対する批判を書いているのは社会的義侠心からであり嫉妬心からではない)鹿島茂には嫉妬してしまった。ものすごいお金を古書に注ぎ込んでいるのである。古書蒐集はお金がかかる趣味。おいらにはとてもできない、と実感。

子供より古書が大事と思いたい 増補新版子供より古書が大事と思いたい 増補新版
鹿島 茂

青土社 2008-04-25
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でも鹿島茂はさすがに莫大な身銭を古書に注ぎ込んだだけあって、その道の権威となった。古書の値打ちの見分け方、えらい古書とえらくない古書の違い、値段の仕組み、入手方法などなど、事細かに教えてくれる。古書を通じての人間の階級判別につながっていく点は、著者の『馬車が買いたい』1に同じ。下手にえらくない古書なぞ持っていると、バカにされるのである。くわばらくわばら。

これだけ古書を買いまくっていたらいくら鹿島茂の新刊書が売れてもとても持たないと思う。鹿島財閥の御曹司であるという説は著者により否定されているが、いったいどこからお金が出てくるのであろうか2。世界の七不思議のひとつだ。



1 『馬車が買いたい』
馬車が買いたい!―19世紀パリ・イマジネール馬車が買いたい!―19世紀パリ・イマジネール
鹿島 茂

白水社 1990-07
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2 :鹿島茂によれば銀行から借金するとのこと。ただ銀行は古書を買うからと言う理由では貸してはくれないので、別の目的をでっち上げるとのことだ。古書蒐集には借金の才能も必要らしい。



2008年8月9日土曜日

『格差はつくられた』(ポール・クルーグマン)……「操縦される大衆」はニッポンばかりじゃないのだ

経済のクルーグマン先生が専門外の政治学(社会学)の本を書いた。いつになく先生は怒っており文章に力が入りすぎとの感もあるが、言わんとすることは非常に明快。ニューディール政策以来、負けっ放しだった米国富裕層がレーガンを境に「逆襲」に出て、今やニューディールで失った権益を全部取り戻したという。どういう手管を使っているのか。それは巨額の資金を使ってマスコミによる「大衆洗脳」にあると。オバマもこれじゃ危ないかも知れない。日本についても同じことが言える。ただ米国と違うことは、日本の場合は「農村エスタブリッシュメント」による巧妙な「大衆洗脳」が成功を収めてきたと言うことか。

格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略格差はつくられた―保守派がアメリカを支配し続けるための呆れた戦略
三上 義一

早川書房 2008-06
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ルーズベルトにより巨額の富の移転が米国の富裕層から労働者階級になされ、そのおかげで戦後の米国で中産階級が形成されたが、その中産階級から、レーガン以降再び巨額の富の移転が富裕層に対してなされたとの指摘は、数字に基づいているだけに説得力がある。彼らがそれを実現するために使った手管とは大衆の本能的な感情に訴えるというやり方。そのノウハウは共和党に蓄積されているという。

日本の場合は、残念ながら米国が10年でやることが50年かかるお国柄。「富の移転」はまだ一方通行のままである。すなわち「都市から農村への富の移転」という戦後体制のメカニズム・制度がいまだに機能しっぱなし。農林統計によれば農家の所得と一人あたり支出は都市勤労者世帯を遙かに上回るまでに増加している。しかし「農村エスタブリッシュメント」は大衆の本能的な農村への親近感をうまく利用しマスコミを総動員するかたちで更なる農家への所得移転を求めている。これも(方向は違うにせよ)共和党が得意とする手口。

日本では、この本はそういった観点から読まれなければならないと思う。

2008年8月8日金曜日

いよいよ北京オリンピック、ご祝儀に人民元建て中国国債に投資だ……

と思っても、中国国債は外国人には簡単に買えない。日本の証券会社で人民元投資枠を持っているところもあるが、ほとんどは株式投資用に使われている。また為替手数料を思いっきりボッたくられる。日本円で買える人民元建て債券で、おまけに手数料なしに売却できるファンドが売り出されたのでさっそくお付き合い。

「人民元建て中国ソブリン債券ファンド」

人民元建て債券と連動するユーロ円債に投資することで実質的に中国の人民元建て短期債券への投資と同等の投資成果を目指すもの。仕組みを作っているのは例によってQFII(適格外国機関投資家)枠を保有しているヨーロッパの企業。ドル・ユーロ・豪ドル等だけでは不安という日本の投資家のニーズに合わせた商品だが、日本の証券会社は出来上がったものを販売するだけ。彼我の実力の差は歴然としている。日本の金融関係者がおしなべて外人嫌いのナショナリストになるのもわかるよ。

かなりの信託報酬をボッたくられるので、実質利回りは日本の国債と変わらない。でも人民元には為替の魅力がある。散人は単純だから購買力平価に長期的には収斂すると見ているのである。

2008年8月7日木曜日

「贅沢なブランド農産物を食うこととコメの生産調整は社会の貧困を悪化させる」(河上肇)

姉妹ブログ(Letter from Yochomachi - Google)で紹介した本だが、日本の経済学の基礎を築いた河上肇は大正時代にすでに日本の農政の矛盾を指摘していた。農業問題ラベルのエントリーとしてここにも残しておく:
Letter from Yochomachi (Google): 「金持ちが贅沢をやめることこそ貧乏退治の第一策」(河上肇): "河上肇は、つまり、経済の生産力が増えているのに都市貧乏人に生活必需品が行き渡らないのは、贅沢品を作った方が儲かるからその方向に生産プラットフォームがシフトしているからだという。金を持っている消費者の行動を改めねばならないし、その方が儲かるからと政府の指導のもとに農家が生産調整して米価をつり上げるというのもおかしいという。まさに現代ニッポンで今農水省とコメ農家がやっていることに他ならない。これが日本社会をさらに貧困化させているのである。"
贅沢なものを食べる金持ちも悪いが、儲かるからといってそれを生産する生産者にも責任があると河上は言う。そう、一個10万円のマンゴーやメロンを作ったり、無理やりコメの生産調整をやったりしているから、日本の食料自給率はこれほどまでに悪化したのである。漁協は一匹数千円のブランド・サバを獲るのには熱心だが、安いイワシは養殖魚の餌に回される。価格が下がったといって牛乳は下水に流される。高い食料品を買えずに都市では餓死者が出ているというのにマスコミはあまり報道しない。河上肇が言うとおりである。

団塊の世代が大量に退職を迎えつつある日本、年金で暮らす高齢者が今後爆発的に増える。つまり日本では今後「貧困層」が爆発的に増えるということである。農政関係者は、すべからく河上肇の『貧乏物語』を読んで、食い物の供給体制を考え直したほうがいい。

8/7 Today 岸信介の死去 (1987)……「昭和の妖怪」は死して「国家社会主義国家ニッポン」を残す

昭和62年の今日、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介が死ぬ。戦後は「保守反動の権化」といわれ、安保闘争の時、首相官邸前に集まった数万のデモ隊が「岸を倒せ!岸を倒せ!」と一斉にシュプレヒコールを上げる中で平然と執務していたという話は有名。でも、戦前は反対に「アカ」の頭目と見なされていた。岸を「アカ」と呼んだのは自由主義者で時の商工大臣の小林一三。実際、岸信介が満州国で実験し、その後日本に持ち込んだ経済システムとはソヴィエット・ロシアの影響を色濃く受けた計画経済体制であった。

岸信介は満州国の建設に直接関与した。満州国は当時日の出の勢いにあったソ連の計画経済システムをそのまま輸入するため当時の満鉄調査部員をソ連に出張させてそのやり方を学ばせる。ソ連が使っていた産業連関表も満州国で最初に採用された。右翼と左翼は考え方が似ているのだ。岸信介はその後、日本に帰り商工省次官となり、満州国の計画経済システムをそのまま日本に輸入しようとして、自由経済の信奉者で商工大臣の小林一三と対立する。小林は岸の反自由経済思想を「アカ」と呼んで攻撃したが、結局は岸が勝つ(妖怪たる所以だ)。このシステムは現在に至るまで日本の基幹システムとして定着している(「40年体制」と呼ばれる)。現代日本システムが社会主義体制に酷似している理由はここから来る。岸信介が持ち込んだものだ。

岸信介は律儀な人間でもあった。満州時代からの愛人を最後まで面倒をみた。彼女の葬式にも出席し、愛人家族と共に写真に収まっている。普通の政治家はそんなことはとてもやらないだろうが、岸の場合、あまりに堂々としていたので、マスコミも結局騒ぎはしなかった。真面目な人間ほど、やっかいなものだ。

東レ、買い戻し

春先に@660円で利食いした東レだが、最近大幅安。お買い得だと思うので買い戻し(@503円)。

まあ、ニッポンが沈没してもこの会社はしぶとく残るだろうし、持ってても損はない。

2008年8月6日水曜日

『断腸亭日乗欄外』(松井英雄)……結構面白い!

最近神保町で見つけた本。戯曲であるが、けっこう真に迫っている。お雪はヨネであったというお話し。「ウッソー」と言う人は先ずお読みあれ。

断腸亭日乗欄外断腸亭日乗欄外
松井 セツ子

文芸社 2003-01
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最後に荷風はヨネ(つまりお雪)に「天誅」を加えられる。どんな「天誅」であるのかは、お楽しみ。

アマゾンでは著者が「松井セツ子」となっているが、この人は書いた人(英雄)の奥さま。松井英雄氏はお亡くなりになっており、奥さま(セツ子氏)が夫の遺志を継ぎ、この戯曲が何らかの方法で舞台化・映像化されることを願っておられるとのこと。

「金持ちが贅沢をやめることこそ貧乏退治の第一策」(河上肇)

散人は教養主義とは無縁だったからこの歳になるまで河上肇の『貧乏物語』を読んだことがなかった。しかし、ニッポンがどんどん貧乏になっている今、処方箋を求めてこの本を読んでみたら、驚き、内容が実に新鮮。アダム・スミス並みの博学と説得力のある文章にも感動した。この本を書いた頃の河上肇はまだマルクス主義者ではなかったと思う。むしろイギリスのロイド・ジョージに心酔していた。豊かな先進資本主義諸国における「貧乏線(Poverty line)」以下の民衆の数の比率を統計的に調べ上げ、経済の発展は贅沢品の生産に繋がっただけで貧困の解消には繋がっていないと喝破。これは全く正しい。その上で河上肇の書いた対策が掲題のもの。解説を書いている大内兵衛は「この段階での河上肇はまだ判ってなかった」と貶しているが、判っていなかったのは大内の方。あいつらマルクス経済学者の処方箋通りにやった国(ニッポンも含め)がその後どうなったかを見れば河上肇の方が正しかったことが判る。

貧乏物語 (1965年) (岩波文庫)貧乏物語 (1965年) (岩波文庫)
河上 肇

岩波書店 1965
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河上肇は、つまり、経済の生産力が増えているのに都市貧乏人に生活必需品が行き渡らないのは、贅沢品を作った方が儲かるからその方向に生産プラットフォームがシフトしているからだという。金を持っている消費者の行動を改めねばならないし、その方が儲かるからと政府の指導のもとに農家が生産調整して米価をつり上げるというのもおかしいという。まさに現代ニッポンで今農水省とコメ農家がやっていることに他ならない。これが日本社会をさらに貧困化させているのである。

一個数万円もするメロンやマンゴーや高級魚を嬉々として食べる消費者も、自分がカッコワルイ上にニッポンの貧困層の困窮を加速していることを自覚しなければいけないね。また儲かるからといって大衆の虚栄心を煽り異常に高いブランド産品を資源を浪費して作り、安い方がいいという消費者に安い輸入品を買わさないように高関税を設定する農村団体は、恥じるべきである。

現代日本では貧困の問題はなくなったと考えられているが、間違いだろう。「貧乏線」をどこに置くかだけの問題だからだ。交易条件が悪化する中での不況の進行は、今後日本の都市貧困層がますます増加することを意味している。河上肇が提起した問題は依然として新しい問題なのである。

2008年8月5日火曜日

住商株買い戻し

7月30日に@1492円で売り飛ばした住商だが、うまい具合に下がってきた。@1289円で買い戻し。

ニッポンの政治はこんな具合だから、株式の長期保有はとてもリスキー。短期、それも超短期で利ざやを取っていく。でないと道連れにされる。

NTTデータも、売り!

NTTデータの株価が戻している。千載一遇のチャンス。即、全部売った(@466000円)。

官需で保っている企業であるNTTデータなんかが元気になると言うことは、ニッポンが落ち目になるということ。いずれにしても売り。

ドコモはNTTグループだけれど配当で頑張っているのでエライ。残す。

8/5 Today 「金禄公債証書発行条例」の公布(1876)……平成の日本も見習え!

明治9年8月5日「金禄公債証書発行条例」が公布された。要は今までただ飯を食ってきた士族に手切れ金を渡し全部クビにしたと言うこと。それまで明治政府の支出の3分の1は士族・華族などの家禄の支払いに回されていた。これはいくらなんでも異常なので士族・華族の家禄をもらう権利を没収し、かわりに30年満期の国債を交付したのである。

ちょっと数字を拾ってみた:
  1. 当時家禄をもらっていた人たちは、華族467人、士族約32万人。当時の日本人口の1%程度。すべての禄の総額は年間1767万円。政府予算の三分の一から半分程度を占めていた。内519万円を華族が取り、残りを士族で分けていた。士族一人あたり年間40円程度。これを全部払わないとするかわりに「手切れ金」として証文(国債)を渡した。

  2. 金禄公債の総額は1億7386万円(原資はロンドンで起債して調達)。金禄公債の年間利払い額は1161万円。以前は金禄として年間1767万円払っていたから、これだけで年間606万円の得。さらにインフレが以後30年で約3倍に進行したから(白米10キロ、明治10年51銭、明治40年1円56銭)総額では相当節約できた。

  3. 公債を原資に銀行などを設立することが認められていたから富裕な華族の出資で多くの国立銀行が発足した。一方、一般士族たちもいろいろ企業家精神を発揮しようとするが、ほとんどが失敗し無一文となる(武家の商法)。

  4. これに一番反対したのは西郷隆盛。征韓論を唱えたのも、要は士族の雇用保証を狙ってのこと。どうやって食っていったらいいのという士族の不満は西南戦争へとつながって行くが、そもそも働いていないのにお給料を貰っていたこと自体がおかしいので、結果は明治政府の勝利となる。

こういう「構造改革」のための借金なら、いくら借金してもいい。現代ニッポンには、働かないで食っている「身分」の人間が多すぎるのである。多すぎる公務員はもちろん、世襲制の排他的職業集団(利権集団)に属する膨大な数の人間もそう。彼らは政治力を持っているのでこの利権を抑えるのはなかなかむつかしい。平成の大久保利通はいつ現れるのか。

消去法で買われている内需株は売り!

朝一番、値を上げている関電を売り切る(@2675)。ディフェンシブ銘柄の代表だが、配当利回りはトヨタより低い。株価が上がるとさらに低くなる。だったら持ってる意味がない。

これだけ不景気だったら、簡単には電力料金の値上げはできないだろうし(そもそも国際的にきわめて割高だし)、一方で国内の利権集団は強力だからコストは掛かる一方。可哀想だが当分しんどいな。電線の地中化も進まないから、ニッポンの都市は「蜘蛛の巣」だらけのまま。中東などの海外投資家も日本の都市景観のあまりの醜悪さに驚倒し逃げて帰るから、さらに内需が落ち込むという構図。

いまの日本では国内では食えないから「出稼ぎ」するしかない。「出稼ぎ」が出来ない業種は、基本的に売り。

2008年8月4日月曜日

やっぱり「三脚」を買っておくべきだった

眺めを妨げるクマシデの枝を落とすため脚立(四本足)に登ってノコギリを使う。作業が終わって降りようとしたときハシゴを踏み外してしまった。四本足の脚立は不安定なのである。

やっぱりプロが使っている園芸用三脚が欲しい。四本足より三本足の方が安定性があるのである。

つまり四本目の足は「余分で無駄」以上に「バランスを崩すので危険」だってこと。ニッポンのお役所の数にも言えるんじゃないか。

左肘をすりむく。右手は慣れないパソコンのために腱鞘炎みたいだし、肩は去年桟橋から落ちてまだ痛いし、満身創痍。既得権集団に食い尽くされてボロボロになった日本経済みたいだ。

8/4 Today 銀座ライオン/「8月4日はビヤホールの日」キャンペーン

銀座ライオン/「8月4日はビヤホールの日。」キャンペーン"「8月4日はビヤホールの日。」キャンペーンは、創業109年を記念するとともに、日頃ご愛顧いただいているお客様に感謝の意を込めて開催する、サッポロライオンの一大イベントです!!是非ご利用ください!!

全国約200店舗のライオンチェーン(一部店舗除く)において、当日限り開店から閉店まで、取扱いのある生ビールが全品半額!!
これは飲まなきゃ損ですよ!!

実施日時:8月4日(月) 開店~閉店"
そうか、飲まなきゃ損か。

そういえば、長いことビールは飲んでいないな。あれは実質と比較して高すぎると思うから。でも半額だったらいいか。

2008年8月3日日曜日

日経:せんべいの値段が上がっているのは政府が外国農家が丹誠を込めて作った輸入米を赤字で豚の餌に回しているため

せんべいの値段が上がっているという。今年になり約5〜10%の値上げ。コメの値段は中長期的に下落傾向にあるはずなのに、庶民のおやつである柿の種などの米菓だけは値上がり。なぜなのか。ここにもとんでもない「モッタイナイ」仕組みが。

抜粋:
  1. 主食用のコメの価格は下落傾向にあるが、米菓に使うのは国産米では「特定米穀」と呼ばれるくず米。二年前にキロあたり80円だったのが、今では130円を超えている。供給が減反政策で絞られたから。

  2. 米菓業界では国産くず米の代替原料としてWTOミニマムアクセス枠(高関税を認めて貰うかわりに受け入れた条件)で輸入される外国米を使うようになったが、この値段も最近急激に上がった。米国産の輸入米の日本政府売り渡し価格は一年で4割値上がり。

  3. ミニマムアクセスで輸入される外国米は年間70万トンで、国内消費量の約一割。政府は主食用として売らない方針なので米菓用などの用途で売る以外は倉庫に積み上げて保管する(腐るまで)。しかし、最近日本政府は食糧援助や畜産飼料用にこのコメを販売始めたので在庫が減り、需給がタイトになった。

  4. 07年度の畜産飼料向けのコメ販売は58万トン。前年度の4倍増。援助用は年間10万トン程度。飼料用はトウモロコシ価格と同等の価格でしか売れず輸入時の価格を下回る。赤字。そのツケが米菓向けの販売価格に回ってきている。

ニッポン人の主食である神聖なコメが豚の餌になっている。おまけにそのおかげで庶民のおやつが高くなってしまった。コメを買うのはボラれるからパンにしようとしても小麦の高関税の他に輸入時点で小麦生産者に回す「上納金」でボラれる仕組み(小麦生産農家の所得の9割は補助金であるという)。都市貧民は、いつまで経っても、限りなくノーソンに搾取され続けるのだ。怒髪天を衝く思い。

8/3 Today 大宝律令完成(701)……これを維持しておけばよかった

大宝元年(701年)8月3日、ついに大宝律令が完成し、ここに律令国家が成立した。内容はほとんど中国律令(唐律)のマル写しだったが、これでようやく日本も「法治国家」となった。

特に班田収授法では、土地はすべて国家のものと定められた(農地は耕作する国民に与えるが死ねば国家に返す)。今の農水省が聞けば泣いて喜ぶほどのいい制度だったが、平安時代になるとこれが維持できなくなり土地に対する私権が蔓延って行く。イギリスなんかはいまだに「土地は女王陛下のもの」という感覚が強く残っているため公共事業などやりやすいが、日本じゃ成田空港建設反対運動や農民エゴによる農地の大規模化政策の挫折などを見てもいかに土地私権が強いかわかる。唐律のマル写しである大宝律令を堅持していた方がよかったのだろう。

律令制度が崩壊していく過程は辻邦生『西行花伝』にも哀れげに触れられている。時代が変わるときには、悲劇がつきものである。特に悪い方向に動いていくときは。

西行花伝 (新潮文庫)西行花伝 (新潮文庫)
辻 邦生

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2008年8月2日土曜日

「ばらまきするから、選挙よろしくね」内閣 - どう見る 福田改造内閣 - ニュース交差点 - 日経ネットPLUS

Letter from Yochomachi (Blogger) の方で引用したけれど、日経ネットPlus に登録しないと読めない記事だった:
「ばらまきするから、選挙よろしくね」内閣 - どう見る 福田改造内閣 - ニュース交差点 - 日経ネットPLUS
いい内容なので「さわり」だけご紹介。

「さわり」部分:
◇冨山和彦(経営共創基盤最高経営責任者、元産業再生機構専務)

 新内閣は郵政造反組を閣僚や党四役に登用して反市場主義的な色彩を強め、経済閣僚は財政規律重視派(≒早期増税派)で固めた。一方で明確な構造改革派、経済成長重視の上げ潮派は閣内、党役員からはほとんど姿を消した。

■捨てられた経済成長
 私はかつて「財政再建」「所得再分配による格差是正」「経済成長」の3つは、絶対に同時共存できないと述べた。今回ははっきりと経済成長を捨て、所得再分配(ばらまき)をしつつ増税によって財政均衡を目指すという意思表示を明確にした改造となった。すでに始まった郵政民営化などの分野以外は「これ以上、構造改革・市場化はせず、規制強化やばらまきを通じて既得権益者の最低限の利益は守るから、今度の選挙はしっかり応援してね」というメッセージがわかりやすく打ち出されている。

 グローバル化、フラット化によってエネルギー価格や食料価格が高騰している。日本経済は交易条件の悪化によって、物価高と景気悪化が同時に進むスタグフレーションに陥るリスクのど真ん中にある。しかも大借金を抱えながら、少子高齢化による生産者(≒納税者)の減少と、給付を受ける側の高齢者の激増に直面している。

 その中で政府部門による再分配重視、需要刺激重視の政策が機能するとは思えない。おそらくはツケを将来の世代に押し付けながら、若者はますます萎縮して元気を失い、経済力は加速度的に低下していく。将来の日本は私の祖父母が北米に移民せざるを得なかった80年前のように、貧しい国、食えない国になっていくであろう。

そういうことなんだと思う。「愛国者」散人は、きょうは朝からユウツだ。

8/2 Today 徳川吉宗、目安箱を設置 (1721)……「空気を読む政治」は成功しないという例でもある

八代将軍吉宗は興味深い人物である。風呂番の母親から生まれて将軍にまでなった質実剛健の見本みたいな人。庶民の声を直接政治に反映させるために目安箱を設置したりした。まさに「空気を読む政治」だ。日本人はこういう人物が好きだ。享保の改革を推し進めた名君との誉れが高い。でも経済学的に見れば彼の改革は大いに疑問が残るところである。

吉宗の頭の中にあったものは基本的に「米(コメ)」だけである。年貢米をいかに余分に集めるか、米価をいかにして高く維持するか、消費をいかにして低く抑えるか、結果としていかに余分にコメを蓄えるかであったといってもいい。上米制度や上免制でコメが余分に幕府に入ることとなったが、年貢をより多く取られた農民はもちろんのこと、貨幣量が一定であったためコメの増加は米貨の下落を招き石高で収入が決まっている武家の暮らしは逆に苦しくなった。やむなく貨幣改鋳を行い貨幣量を増やすが、今度はインフレを引き起こし更に民の生活を苦しくしてしまう。農業、コメの生産を第一に重要視したのはいいが、一種の農民への徳政令(質地制限令)は農業への資本流入を押しとどめ農業の生産性をさらに低下させた。短期的には何とか幕府の財政は改善されたものの経済への長期的ダメージは大きかった。多くの民が餓死した。

ヨーロッパでは同時代に第二次エンクロージャー(囲い込み)が進み農業の生産性が飛躍的に進歩を遂げる。民間資本の役割を軽視(敵視)した吉宗の政策はヨーロッパでの「第一次」エンクロージャーに相当するものすら日本で行うことを不可能にしてしまったのである。平成の世になってもいまだに日本ではエンクロージャーが出来ていない。だから日本の農村の生産性は低いままだ。日本の教科書ではエンクロージャーはなんか悪いことであったような教え方をしているが、経済構造の近代化には不可欠なものだった。どうしてエンクロージャーが日本で出来なかったのか。これは言われているような農業技術的な問題ではなく政治的な問題である。吉宗以来の(庶民感覚に基づく)コメ本位制文化と農業への商業資本の参入を敵視する政治であり、今も変わっていないのである。

閑話休題。今回の福田改造内閣について。明確に選挙のための内閣だ。コメントがいろいろ出ているが、これが的確だ:

「ばらまきするから、選挙よろしくね」内閣

福田首相は空気を読むのがうまい人だ。国民の関心は「痛みを伴う改革」から「地球と人に優しい政治」に変わっていることを十分に察知してそれに対応しようとしている(福田流「目安箱」政治だ)。しかしこういう路線は「対抗軸」としては意味があるかも知れないが、民主党も同じスタンスである以上、どっちが勝ったにせよニッポンの政治は「バラマキまっしぐら」とならざるを得ない。

今度こそ、ニッポンは売りだ。

2008年8月1日金曜日

8/1 Today 山中湖花火大会報湖祭

山中湖花火大会報湖祭 - 山中湖観光協会 公式サイト"ここ富士五湖では、8月1日~順次花火大会が行われています。そのトップを切って行われる花火大会「報湖祭」。
その由来は、大正時代に、東京帝国大学(現・東京大学)の学生たちが、湖畔の寮に来て、湖上で花火を打ち上げたことに端を発し、昭和8年、文豪・徳富蘇峰により「報湖祭」と命名され、殉職した霊を慰めたり、災難がないように湖の恵みに感謝と祈りを捧げる意味が加わりました。"


徳富蘇峰については:

http://ja.wikipedia.org/wiki/徳富蘇峰

戦争前はとても都合の良かった論説であったが、戦争に負けてしまってはどうしようもない。わが国においては、思想とかイデオロギーとかは、所詮使い捨ての道具だという例。