2012年5月30日水曜日

新藤兼人氏は永井荷風について衝撃の新事実を発表したのだ(荷風の浅草での最後の食事)

新藤兼人氏がお亡くなりになった。享年100。「裸の島」などの映画史に残る映画を数多く作られたが、同氏が永井荷風の研究家であったことはそれほど知られてはいない。本日の新聞追悼記事を読んでみてもそれに触れているところはなかったようだ。同氏は永井荷風の伝記映画も作成されたほど荷風がお好きだったようで、他にも荷風についての研究報告がたくさんある。なかでも永井荷風が浅草で食べた最後の食事はどこであったのかについては、今までの定説を覆す新しい新事実を発見され、大いに話題になったものである。これについて小生の10年ほど前の文章をご紹介する:
荷風塾 No10 : ところがこの定説に疑問を提起する事件が起こりました。実に映画監督の大御所新藤兼人が平成4年になって発表したものですが、荷風が浅草で最後に食事をしたのは「アリゾナ」ではなく蕎麦屋の「尾張屋本店」ではなかったかという疑問です(『老人読書日記』にも書かれています)。当時荷風を追いかけ回していたアマチュア写真家井沢昭彦氏や尾張屋の女主人の証言にとても現実感があり、荷風ファンの間に大きな衝撃を与えました。それを読んだ荷風研究家の松本哉氏はさっそく写真家の井沢昭彦氏や尾張屋の女主人に会われ、荷風が死ぬ一ヶ月ぐらい前に尾張屋でかしわ南蛮を食べてトイレでしりもちをついたとの重要証言を確認され、(新藤兼人氏は)「アリゾナを必ずしも無視しているわけではないが、尾張屋のトイレに何か真実の匂いを嗅ぎつけているのである」と新藤兼人説を支持されているのです(『永井荷風のひとり暮らし』)。
アリゾナとは http://www.guidenet.jp/shop/226o/ に書いてあるように有名店。今でも週末ともなれば丸い眼鏡をかけた荷風ファンで賑わう。尾張屋本店も有名。荷風が蕎麦〔かしわ南蛮〕を食っている写真も掲げてある。別にどちらが「最後の晩餐」の舞台となったかについて競い合ってるわけでもないが、荷風ファンとしては気になるところである。でも、昭和34年の出来事であり、今となっては真相は分からない。

それで小生としては上記で引用した文章の後半〔リンク先〕で「おいらの新説」としてどちらの顔も立つような仮説を立ててみた:
荷風塾 No10 : 荷風はもっと早く朝昼兼の食事をとっていたのではなかったか? 樋口修吉は、荷風がアリゾナに顔を出すのは毎日11時半頃、時には11時前にやってきたという証言を得ています。アリゾナには昼前、尾張屋には昼過ぎと言うことなのです。荷風は食堂のハシゴをしていたのだ!
これで今までのすべてのお互いに矛盾する証言はすべて合理的に説明が付くのである。今でもこれが正しいのではないかと愚考しているのだが、請うご批判。

2012年5月19日土曜日

近所の小道



河田町を抜けて余丁町に登る坂。今はほとんど通る人はいない。でも江戸切り絵図にはちゃんとこれが載ってるんですな〜。この辺の人は物持ちが良いというか、進歩がないというか……。

ちなみに、余丁町に登る坂としてはこの坂が一番緩やかなので、おいらは愛用している。

2012年5月14日月曜日

住吉町交差点のハンカチノキらしきものを観察に……

以前、碩学のアクさんから「曙橋(住吉町)の交差点に珍しい街路樹がある、ハンカチノキかもしれない」との情報をいただいていた。あれやこれやで遅れてしまいましたが昨日坂道を下りて見に行きました。この交差点の植樹のことですね:

ふぬふぬ、外周に植え込んだばかりの幼木がそうらしい。ハンカチノキは以前小石川植物園で一度拝見しただけ。さっそく近くで見てみよう。確かに葉っぱの裏側はしろっぽいし、それらしい。強風の中 iPhone で写真を撮った、これ:


しかし……

家に帰ってブログで報告しようと写真を取り出してよく見れば、後ろの方にかすかに表示板が写っていた。なんと「ハナミズキ」と読めるではないか。

と言うことでハンカチノキではなかったみたいです。ハナミズキとは Dogwood と言って、アメリカからサクラのお返しに日本に送られた「アメリカハナミズキ」が東京では一般的みたい。葉が落ちても美しい。東京都は尖閣を買うような無駄遣いをする癖に(……むしろそれだから)お金がないのでハンカチノキみたいな高価な街路樹を植えるわけはなかったのでありました。