2013年11月25日月曜日

リンダ・グリーンロウ『女船長 ロブスターの島に帰る』

女船長、ロブスターの島に帰る

ずっとむかしに読書メモを書いておいた本だが、メモがどっかに行ってしまった。別ブログにまぎれ込んでいたので、再録。

著者は話題になった大迫力映画「パーフェクト ストーム 」の主人公船長のライバル女船長のモデル。アメリカではベストセラーとなった。メカジキ漁を17年間続けた辣腕女船長が出身地の島(メイン州オ・ホウ島)に帰りロブスター漁をはじめる。目的は島に定住し結婚して子供を作ること。美人(写真を見よ)でユーモア精神にあふれる女性だが、なかなかうまく行かない。なにせ島には三人しか独身男性はおらず、そのうち二人はゲイ、残る一人は自分の従兄とくる。島には定住者・季節滞在者ともにいかれたアホが多くていらいらする。ロブスター漁は仕掛けの準備と設置と回収にとても労力が掛かる。文句を言わない定年退職した父親をクルー(スターンマン)としてこき使うがなかなか儲からない。しょちゅう悪態をつきながら女船長は頑張る。

オ・ホウ島の場所はここ(↓)。ニューヨークからそれほど離れているわけでもないが、完全な過疎地。島民は40名しかいない。それでも補助金なんか当てにせずにロブスターの揚がりだけで生活している。自分の食い扶持は自分で稼ぐというアメリカ資本主義の精神はまだまだ健全である。




蛇足。女船長がデイト相手をやっと見つけ自宅の夕食に招待するが、慣れない食事の準備にアプセットして、プロパンのボンベを替えようとネジを左に回すが外れずネジを潰してしまうくだりがあった。プロパンガスのボンベは右に回すと外れる構造になっている。おいらでも知っているのに、辣腕女船長は知らなかったみたい。たぶんアメリカの漁船はプロパンガスなんか積んでいないのだろう。それとも久しぶりのデートによほど舞い上がってしまったのか。

感心したこと。この島の漁船はみんな沖係留(沖留め)しているのだ。乗り込むためにはテンダー(足船)で漁船まで出向く。荷物の積み込みは公共岸壁まで船を移動させてやる。日本ではどんな辺鄙な漁港に行っても漁船は岸壁係留されている。農村・漁村に莫大な公共事業が行われたからだ。そのくせガラガラに空いている岸壁にプレジャーボートが係留しようとすると拒否する漁港が多い。日米バラマキ公共事業の差。これが自然が守られているアメリカの海岸とコンクリートだらけのニッポンの海岸線の違いを生み出した。


追記。著者リンダ・グリーンロウの公式ホームページを見つけた。ここ:

http://www.lindagreenlawbooks.com/

まだ旦那は見つかっていないみたい。

2013年11月24日日曜日

ウォルター・バジョット『ロンバード街 金融市場の解説』

この本の驚くべき点は、これが19世紀に書かれたということと、それに加えてこれほど「金融市場」についてその本質を易しく解説した本はないだろうと云うこと。小生も昔は企業の調査部でマクロ経済分析などはやらされたことがあるが、その際先輩から釘を刺されたことに「金融問題については深入りするな」という注意点があった。足し算引き算微分積分で分析できてしまうGDPとかのマクロ経済分析とは全く性質が異なるというのだ。曰く言いがたい「ヌエ」的存在とも言おうか。実際金融についてはよくわからず、ずっと金融市場は鵺(ヌエ)という印象を持っていた(同じ印象を持つ人が多いので、マネーゲームに走る悪い奴らだとか、金融業界はイメージが悪いのかも知れない)。そういう人はぜひこの本を読むべきだと思う。一言で言えば「ローマは一日にしてならず。金融も然り。金融市場は過去の経緯の地層的積み上げとして見なければならない」と言うことか。裨益するところ多大の古典的名著である。

内容を説明するのは省く。この本を読みながら箴言を少し抜き書きして twitter に書き散らしていたので、それをご紹介するに留めます。

2013年11月16日(土)1 tweetsource





@kafusanjin
「自己資本だけを運用している事業家は仕事に忙殺されることはまずない(もし非常に多忙であれば、それは何かが上手く行っていない印である)。イングランド銀行の理事は何世代にもわたってそうした人々によって構成されてきた」(ウォルター・バジョット)。……「貧乏暇なし」ではやっぱり駄目か。
posted at 14:42:04

2013年11月13日(水)1 tweetsource





@kafusanjin
「新たに必要とされるものは、何かを創造・創設することではなく、何かに適応することを通じて提供される。英国の銀行は良貨の供給のための銀行券発行と送金のための為替手形で信用を高め、徐々に預金銀行に発展してきたもの。他国が制度だけ真似しても成功しない理由」(ウォルター・バジョット
posted at 16:40:34

2013年11月10日(日)2 tweetssource





@kafusanjin
「実業界の人々は、目前のビジネスの潮流に敢えて働きかけない。その流れが通り過ぎるまでに、彼らは金を稼ぐか、稼ごうと努力をするものの、その流れがどこに向かうかを考えようとはしない」(ウォルター・バジョット)。……中国ブームと聞けば誰も彼も中国、エコブームと聞けば誰も彼もがエコ。
posted at 18:44:57
@kafusanjin
「イングランドでは借入資本に頼る進歩的な零細商人が(小利益率で同じ自己資本利益率が得られるので)自己資本に頼る保守的な大商人を駆逐する。これが英国経済覇権の秘密」(ウォルター・バジョット)。……資本を労働と読み替えてみると愕然とする。日本企業の自己資本(労働)比率は高すぎるのだ。
posted at 18:14:15

ロンバード街 (日経BPクラシックス)

2013年10月14日月曜日

ハインリッヒ・シュリーマン『シュリーマン旅行記 清国・日本』(La Chine et le Japon au temps présent)

トロイの発掘で知られるシュリーマンだが、トロイ発掘を思い立つ前に日本にもやって来たことは案外知られていない。ロシア貿易(クリミヤ戦争での武器密輸など)で巨万の富を築いたシュリーマンは19世紀半ば一度行ってみたかった清国と日本を見物するためはるばる極東までやってくるのだ。時は1865年6月。鳥羽伏見の戦いに先立つこと3年の幕末動乱期。シュリーマンの日本滞在はわずか1ヶ月ほどだったが、鋭い偏見のない観察眼でシュリーマンは日本について多くのことを学ぶ。それをフランス語で書き表したのがシュリーマンの処女作となるこの本であるが、日本の「本質」を見抜くすぐれた分析となっている。その国のことを理解するのに必ずしも長くその国に住む必要はない。これは短期間のアメリカ滞在だけで不滅の名著『アメリカの民主政治』を書き表したトクヴィルの例を挙げるまでもない。ビジネスマンならではの具体的な観察にも富む。面白かったです。二三印象に残ったこと(順不同):

  1. 日本の清潔さにシュリーマンは大いに感動している。不潔で有名だった当時の清国に先に訪問していたから特に印象深かったのかも知れないが、日本人は労働者でも毎日入浴しきっちり整理整頓するとべた褒め。
  2. 日本家屋の簡素な美しさにも感動している。特に家具がほとんど無い簡素な生活ぶりについては『家の中に家具をゴテゴテ揃える我々西欧人は世間体を気にしすぎているのではないか』と自分たちの生活習慣を反省しているぐらい。
  3. 日本人の律儀さと規律。シュリーマンの江戸での行動には幕府から護衛(下級武士)が10人ほど付いてくるのであるが、彼らはお礼とか贈り物を一切受け取らない。横浜税関の役人も賄賂は断固として拒絶する。役所での仕事ぶりもきわめてきっちりしていると感心している。
  4. 物価。労働者の手間賃や工芸品や書籍はきわめて安いと驚いている。その一方で昼メシ代に15フラン(現在価値で1万5千円ぐらい)を請求され、ちょっと不満気味。幕府の案内役としては外国人を一杯メシ屋なぞに連れて行くわけにも行かず料亭みたいなところに連れて行ったのであろうが(ちゃんと本人にカネを払わせメシ屋に領収書を出させるなど、まことにきっちりしているが)日本の料亭で出される料理の実質価値と名目価格の比率(費用・効果比)は今も昔も同じなのであるなあと、今度はおいらが感心。また古美術屋の陶磁器の値段には驚倒している。
  5. 日本の自然と江戸の都市景観の美しさに感動している。何処でも樹木が一杯で公園の中に都市があるようだと、またどの民家にも小さな庭があり植栽が美しいと感動。まあ、当時の江戸の人口は250万人、全国人口は3000万人程度。これなら自然と共存できるわけだ。
  6. 売春婦(花魁、芸者)の社会的地位の高さに驚いている。これは文化の違いか。
  7. 当時の国内政治動向について、シュリーマンは「イナカの有力大名たちが、財力にものを言わせ、自分たちの既得権益を守るため、外国人嫌いの庶民を扇動し、保守的な朝廷勢力を担ぎ出し、開国文明開化に積極的な江戸幕府を追い詰めている」と分析。妥当な見方だろう。
  8. 面白いことにシュリーマンは貨幣交換比率について幕府に文句を言っていること。当時の日本では、金(小判)と銀(一分銀)の価値比率が国際基準と違っていた。一分銀が名目だけの価値しかない定位貨幣(補助貨幣)であったためだが、一分銀3枚=一ドルという平価をアメリカと約束したため大量の小判国外流出を招くことになる。幕府は急遽貿易用の小判と一分銀の改鋳を行いそれを防止したが今度は西欧諸国が条約違反だと文句を言い出し結局元に戻した(と歴史の教科書には書いてある)。外国人にとってめでたしめでたしの筈だったが、シュリーマンによるとこの特権は在日外国大使館・領事館の公務員にのみ適用され一般外国人には適用されなかったようだ(それで儲け損なったシュリーマンは文句を言っている)。ハリスやオールコックなぞはこれで個人的に大儲けしたはず。これは自分たちだけ特権を貰って後は『お目こぼし』という意味で一種の収賄に当たるのではないかと思う。古今東西、役人というものは(江戸幕府の真面目な下級役人をのぞき)どうしようもないな。

シュリーマンは商店の見習いから身を起こし、国際貿易で巨額の財を築いたビジネスマン。学校にも行ってないので独学で勉強した。巨万の富を稼ぐやいなやビジネスからは引退し自分の好きなことをはじめる。諸国漫遊の旅を続けるうちにトロイの発掘を思い立ったようだ(トロイ発掘は小さい頃からの夢でそのために仕事を辞めたというのはウソ)。当時の冒険商人特有の押しの強さもあり、遺跡発掘でも列強の圧力を利用してかなり強引なことをやった。そのため現代のインテリには今ひとつ評判がよくない人ではあるが、彼なんかにこそブローデル流の資本主義の精神を見ることが出来るとは、言い過ぎか。


シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫 (1325))

2013年10月13日日曜日

フェルナン・ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15 - 18世紀 日常性の構造、交換のはたらき、世界時間』(全6冊)

この1ヶ月、ブローデル三昧だった。この本はフランス歴史学アナル(年報)学派の巨頭が25年の歳月をかけて書き上げた彼の代表作。膨大で、詳細で、具体的で、箴言にあふれる。圧縮された文体は難解。普通の本を読むのに較べ時間は3倍以上掛かるが、でもとにかく面白いのである。知らなかったこと、あっと驚くことがいっぱい。自分が如何に無知で既成の『イデオロギー』の奴隷と化していたのか、マルクス、スミス、ウェーバーなどのえらい経済学者と言われる人たちも如何に皮相的で一面的であったのかなどなど、嫌と言うほど覚らせてくれる。「国際政治を勉強するための必読書は『トゥキュディーデス(ツキジデス)』。歴史を勉強するための必読書はブローデル」と言われる。加えて経済を勉強するためにもこの本は必読書だと付け加えたい。資本主義の本質がこれほどわかるものはない。

ここでこの本の内容を解説紹介するつもりはない(どれだけ理解できたかもよくわかっていない僕には無理である)。ブローデルの解説書はいろいろあるので、そっちの方が役に立つだろう。しかし、おいらなりの下世話な表現で「資本主義」というもののブローデル的解釈を整理すると以下のようなものだ:

  1. 資本主義とは、巷に言われるように、19世紀にあって急に出現したものではない。中世のイタリアでは華麗な資本主義が花開いていたし、更にもっと古くまで遡ることが出来る。資本主義は、時代時代の状況(重合的循環)に応じて其の形を変え、活動分野の変化させながらどんどん成長してきたものだ(長期的持続)。
  2. 資本主義と市場主義とは異なる概念である。資本主義はむしろ反市場的で、独占を好み、国家権力と結びつき、地道な経済活動よりは利益率が高い投機的取引を好む。資本主義はむしろ曖昧な定義であるところの『重商主義』に似ている。資本主義は経済社会の上層部による活動であり、市場主義が支配する通常の市場取引はまじめで専門性の高い中層階級がその活動を担う。さらにその下には資本主義とは全く無縁な膨大な数の下層大衆が存在する。資本主義は自分が属する社会内部ではもちろん、しかし主に周辺地域から可能な限り搾取する。国内取引が規制されがちであるのに較べ、遠隔地との取引は遙かに自由度が高いので(すなわち利益率が高く大きな搾取が出来るので)原始資本の蓄積はもっぱらここから搾取して築く(植民地香辛料貿易、奴隷貿易など)。
  3. 資本主義は長年に渡る私有財産の継承(世襲)を前提とする。最高権力者が資産保有者を胡散臭い存在と敵視しことあれば私有財産を没収したり、公平に選抜された高級役人による蓄財も「一代限り」であった中国(科挙制度)やトルコ(封土制)の大帝国などでは、資本の存在にも拘わらず資本主義は発展しなかった。
  4. 資本主義には都市が決定的な条件となる。農村周辺部には資本主義は生まれない。世界=経済(経済圏)の中心はあくまでも都市。それも一極に集中する。中心都市は一つしか存続できない。都市間競争に敗れると世界=経済(経済圏)の中心地はそこから離れる。都市の周辺部および世界=経済(経済圏)の周辺部は必然的に窮乏する。ただしその都市が世界制覇に成功する場合、その特定都市が属する地域(国家)は、更に外側の周辺国家を搾取することで、国民全体が覇権的資本主義の恩恵を被り豊かになる。資本主義世界では自国の資本主義が強くなければ国民は貧しくなる。
  5. こういう(不道徳な)資本主義は生き延びられるのか。将来とも、多少変化することはあり得ても、基本的に生き残る。資本主義とは経済的活動と言うよりは、社会の階層に根ざした社会的な現象であるからだ。

まあこういうことか。たいへんな大部であり、6冊全部を読むに当たってはブローデル自身の自本解説講演録(これは日本語でも文庫本で出版されている。『歴史入門 (中公文庫)』と言う陳腐なタイトルで)を読んでからの方がいいかも知れない。

この本からはいろいろの教訓と政策示唆を引き出すことが出来る。EU形成なんかもブローデルに影響されたのではないか。EUという世界=経済の中心地にうまく潜り込んでしまったフランスなどは、国民はバカンスで遊んでばかりで働いているようには見えないけれど、周辺外縁諸国から搾取することで、豊かな生活を享受している。中国もフランス帰りの鄧小平の改革開放路線以来、資本主義の国家育成に向けてまっしぐらだ。日本も(ちなみにブローデルは世界で資本主義が内因的に生まれたのは西欧諸国と日本だけだと日本を高く評価しているが)考えないといけないな。米国の世界覇権体制にうまく潜り込むことが賢いやり方なのだが、もたもたしているうちにタイミングを逸した感じがある。国内的にも資本主義の「角を矯めすぎて牛を殺してしまった」感もある。

おまけ:読みながら twitter で抜き書きをしてみた。後半部分だけだがブローデル関係のおいらの抜き書きカードは以下の通り:
twilog "kafusanjin" 『ブローデルの検索結果』

日常性の構造1 物質文明・経済・資本主義―15-18世紀
物質文明・経済・資本主義―15-18世紀 (I-2 日常性の構造2)
交換のはたらき (物質文明・経済・資本主義15-18世紀)
交換のはたらき (物質文明・経済・資本主義15‐18世紀)
物質文明・経済・資本主義―15-18世紀 (3-1)
世界時間〈2〉物質文明・経済・資本主義 15‐18世紀(3‐2)

2013年9月2日月曜日

ジャレド・ダイヤモンド『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫) 』

ジャレド・ダイヤモンドの本はいずれもたいへん面白いのだが、時々へんに「エコロ・リベラル」みたいなところがあり、そういう人なんだなあと思っていたんだけれど、この本で認識を改めた。きわめて公平な立場から、現実的で具体的な議論が繰り広げられている。この本で著者が取りあげる「文明崩壊」事例は、モンタナ、イースター島、ポリネシアの島々、北米インディアン、マヤ、ヴァイキング(特にノルウェー領グリーンランド)、ハイチ・ドミニカ、アフリカ、中国、豪州などだが、いずれも具体的で非常に面白い。

文明崩壊 上: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)


文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの (草思社文庫)

個人的にすごく印象深かったのは、今までよく知らなかったこともあるが、グリーンランドに移住したヴァイキング5000人の全員消滅の悲劇。彼らは11世紀から15世紀にかけて450年にわたりグリーンランドでかなり高度な「文明」を維持し続けたのであるが、最後は全員餓死したらしい(最後は牛の蹄まで煮て食ったというのだから悲惨だ)。寒冷地には格段の適応力を発揮する北欧人ではあるが、彼らの滅亡の理由としてジャレド・ダイヤモンドは次の5点を挙げる:
  1. 意図しない資源枯渇(森林減少、土壌エロージョン)
  2. 気候変動(当時の地球寒冷化)
  3. 近隣敵対勢力の出現(寒冷化に伴いイヌイットが南下してきた)
  4. 友好勢力からの支援を受けられなかった(母国ノルウェーからあまりに遠かった)
  5. 保守的かつ頑迷。状況変化への対応姿勢に欠けていた(極寒地にも拘わらず、風俗習慣すべて、母国人以上に「ヨーロッパ的」であろうとした)
著者は、この5点は、グリーンランドに限らず、すべての「文明崩壊」に部分的もしくは全面的に共通する問題だとする。あたかも人間の知恵で崩壊が避けられるかのように。確かにそういう面はある。同意。

しかし、である。著者も本当は知っていると思うけれど(なぜなら所々で、あの悪名高きイギリス人経済学者の引用があるから)「文明崩壊」の本当の理由とは、人口過剰なのである。グリーンランドにせよ、たまたま移住をはじめたときに気候が温暖化していたから5000人も連れてやって来たのであるが(それだけの人数が食べて行けるだけの自然状況にあった)、寒冷化してしまうと「収納可能能力」が小さくなってしまったのだ。これはイースター島などのほかの例でも同じこと。最終的には、地球上ではあの悪名高イギリス人経済学者の「マルサスの原理」が貫徹するのである。

著者は比較的上手く行った例として江戸時代の日本を挙げているが、これも、人口の間引きや木材・食料資源取得を蝦夷地に広げることでアイヌ人の犠牲のもとに達成されたことも忘れないでちゃんと書いている。

現代日本も資源を海外から輸入することで、森林資源などの国内資源の温存に成功しているが、それがいつまで続くものなのか、興味深い。少なくとも野放図にマグロや鰻蒲焼きを食い散らして「ニッポン人が地球の資源を食い尽くしてしまった」などと後世の歴史家に書かれないようにしたいものである。

2013年8月30日金曜日

ケネス・ポメランツ/スティーヴン・トピック『グローバル経済の誕生: 貿易が作り変えたこの世界 』

たいへん怖ろしい本である。アメリカ歴史学会の会長を務めるポメランツ氏(中国近代史の研究で名高い)とカリフォルニア大学歴史学部教授のトピック氏(植民地支配下のラテンアメリカの研究者)の共著。15世紀以降、悪辣なヨーロッパ商人が世界に進出し、他国を植民地化し、世界がグローバル化する中で、海賊行為、略奪、奴隷貿易、植民地の搾取、農業の商業化によるモノカルチャー、そして暴力的戦争などが繰り返され、如何に巨大な貧富の格差を生み、如何に悲惨な出来事を引き起こしたかということを、これでもかこれでもかと示してくれる。これはすべてあらゆるものを商品化する「グローバル貿易」がもたらしたものであるという。記述が具体的であり、きっちりドキュメンテーション化されているので、とても説得力がある。「TPPハンターイ」派がこれを読めば、身を捩らせて喜ぶこと請け合い。

グローバル経済の誕生: 貿易が作り変えたこの世界 (単行本)

確かにあの時代の搾取には目を背けたくなるものが多く、マルクスならずとも資本主義・市場主義を弾劾したくなることは事実。上記は表紙の写真だが、ついこないだまでのブラジル金鉱山で奴隷労働を強いられていた労働者の群れだ。気持ちが悪くなる。

いちいち例を挙げないが、始めから終わりまで、この手のお話しでいっぱい。西欧の資本主義の発展もこうした植民地搾取による原始的資本蓄積があってはじめて可能になったという。ヨーロッパ人は本当にワルイ奴らだという気がしてきた。

しかし、である。話を15世紀以降に限定するのではなく、もっと長いスパンで歴史を振り返ってみるとどうだろう。例えば「栄光の時代」といまだに崇められているギリシャ・ローマ時代でもいい。当時の奴隷制度はどんなものであったのか。人口の半分が奴隷であったのだ。奴隷の中には家事労働に従事するめぐまれた奴隷もいたことはいたが、大部分は上記の写真のような凄惨な状況で働かされていた。戦争は勝者による敗者の略奪と奴隷化であった。アテネの将軍はミーロス島に行って、アテネはあなたたちより強いのだから、あなたたちはみんなアテネの奴隷にならねばならない。それはものの道理であると言い切った(ミーロス島住人は抵抗したため老若男女を問わず全員虐殺された)。シーザーがガリアでいかほどの大量虐殺をやったかはシーザーが自分で書いているとおり(ガリア戦記)。アッシリア、エジプト時代まで遡るともっとひどいし、植民地化された方の歴史を見てみても新大陸のアステカ帝国は狂気の殺戮を日夜儀式化して繰り返した。中国においても日本に於いてもいくらでもこの手の例を挙げることが出来る。狂信と暴力はグローバル貿易とは関係のない人間の本性なのではないか。大航海時代はたまたま航海術と造船技術がヨーロッパで飛躍的に進歩したおかげで、いままでは西欧ローカルスタイルのこの種の略奪と暴力が世界に広がりグローバル化して、今までのそれぞれの地域固有のローカルスタイルの略奪と暴力の伝統に置き変わっただけの話ではないのか。

もちろん、彼ら(ヨーロッパ人)の残虐行為を正当化するつもりなぞさらさらないけれど、ヒトという動物は放っておけば必ずこうした行為に走るものであるとの印象を今さらながら強くした。だからこそ牽制機能が必要なのである。個人の暴走は法律で牽制する。国家の暴走は憲法で牽制する。企業の暴走は独占禁止法で牽制する。人類はヒトのこのような性向を知った上で、数々の牽制システムを完成させてきた。それが文明というものであろう。ヒトの知恵もまんざら見捨てたものでもないのである。

2013年8月26日月曜日

ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』(講談社学術文庫)

タイトルが面白そうだったので読んだら、きわめて真面目な本であった。貴族社会の放蕩息子たちの女性誘惑のために行った際限ない浪費と、カッコヅケと見栄と顕示欲に基ずくアホらしい贅沢消費パターンが、徐々に大衆化(ブルジョワ化)していったことこそが、現代資本主義を発展させる鍵となったという分析。具体的詳細なデータが散りばめてあって、その意味では楽しいけれど、マックス・ウェーバーの言うプロテスタンティズムの勤勉さこそが資本主義を発展させたという「正しい」理論とはまるで逆ではないか。著者はウェーバーと同時代のドイツ人だというのだから恐れ入ります。でも言っていることが一理も二理もある。資本主義というものが急に胡散臭いものに見えてきてしまった。考えさせられる一冊である。

恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)

贅沢消費が経済を発展させると言うことは事実。安倍のボクちゃんも同じことを目指している。ヴェブレンがいうように中世から近代にかけて急増した経済的生産物とはそのほとんどが衒示的消費のための贅沢品だったから、現代社会で言う「消費」とは当時の「贅沢消費」と変わらない。それが経済全般を引っ張ったことも事実だろう。贅沢品の製造には手間暇が掛かる。雇用も生みだした。しかし逆に河上肇が言うように、それは経済全体の生産資源の配分を歪な形にしてしまったことも事実。でも結果オーライだったこともまた事実。頭が混乱してくる。

しかし重要な点が残されている。いくら贅沢をやろうとしてもおカネがないと贅沢は出来ない。原資となるおカネはどこから来たのかと言うこと。著者によれば当時の贅沢消費の担い手は、1)王侯貴族、2)地代収入を得ている地主階級、3)税金を回して貰っている公務員階級(僧侶、司法関係者なども含め)、3)国債金利収入を得ている資産家・金利生活者、4)香辛料・砂糖などの贅沢品貿易と奴隷貿易で儲ける貿易業者、5)最後に(意外と小さい割合で)製造業者、商人ということ。国の借金が膨らめば膨らむほど贅沢消費が活発になり経済が発展するという理屈だ。まるで現代ニッポンを見ているようではないか。しかし一般庶民におこぼれが回るのは遙か先のこととなる。そのくせ、一般国民は、税金と地代の支払いに追い立てられ、宣伝に惑わされ必要以上に高い物を買わされ、必要あればお偉方の海外利権を守るための戦争にかり出されるのだから、たまったものではない。なんだか胡散臭いシステムである。

経済学とはまことに陰鬱な学問なのでありました。

2013年8月22日木曜日

ニコラス・ウェイド『宗教を生み出す本能 進化論からみたヒトと信仰』

とても真面目な本。こんな本を読むのは普通真面目な人に限られるので、おいらみたいないい加減なオッサンが読むのは場違いだが、最近この世の中に蔓延する合理性のない集団心理や「空気」、それに他集団に対する攻撃性なんかに辟易することが多く、この集団心理はひょっとしてホモサピエンスに生まれつき遺伝的に備わっている思考回路じゃないかと思ったのがこの本を読み始めたきっかけ。読んでまさにその通りだと言うことがわかりました。ヒトはもともと集団的で狂信的なのだ。

下にあげた表紙の写真をご覧あれ。これこそホモサピエンス〔ヒト)の集団の姿。その勇敢さと強さと野蛮さを雄弁に物語っているではないか。「宗教は人類生存のために(このように)進化してきた」ことを、著者は生物学、社会科学、宗教史を縦横に駆使しながら説明する。科学ジャーナリストが書いた本だけあって、一つの分野に閉じこもることがなく、異論が存在する学説〔仮説〕も公平に客観的にそれぞれ紹介して行く。裨益するところ多大。
宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰
印象深かった点は多々ある。例えばアフリカを少人数で脱出したホモサピエンスは身体能力的に同等以上の力を持ち圧倒的多数でヨーロッパに君臨していたネアンデルタール人を如何にして食い尽くすことに成功したのかなど。考古学の成果。35000年前のホモサピエンスの遺跡〔ドイツ〕から角笛が発見されたのだ。当時のホモサピエンスは既に音楽を持っていた。音楽はすなわち舞踏であり、舞踏は狂信的高揚(トランス)による集団の結束をもたらす。それが宗教。それでもって上の写真のように結束し一気にネアンデルタール人を壊滅させたのだ。宗教の力はすごい。現代社会でも〔旧日本帝国軍隊の例をとるまでもなく〕狂信的原理主義的集団は強いのである。

同時に宗教は集団内部の福祉にただ乗りする「フリーライダー」を排除したり〔厳しい戒律と通過儀礼、さらに村八分〕、商取引のベースとなる集団内部の信頼を生み出したりして〔ユダヤ人のダイヤモンド商人〕、資本主義商取引社会の発展をもたらすという平和的メリットもあった。

このような宗教の特性はヒトが文化的に後天的に修得したものではなく、原型は類人猿の時代から存在し〔道徳〕、それが遺伝学的に進化してきたものであるという。少なくともそういう学説が現在では主流であるらしい。ダーウィンの「集団選択」理論の復活だ。また無神論者のリチャード・ドーキンス〔『利己的な遺伝子』の著者〕に対する痛烈な批判ともなっている。とても知的刺激に富む本で、大いに勉強になりましたです、ハイ。

2013年8月18日日曜日

ツヴァイク伝記文学コレクション2『ジョゼフ・フーシェ』

フランス革命からナポレオン帝政、更に王政復古まで、めまぐるしく大変化が続いたあの時代、僧院教師でありながら教会を裏切りそれを破壊し、穏健主義の地盤で議員に選ばれたに拘わらず王党派を大量虐殺し、熱烈な共産主義者のくせにフランス一の富裕な公爵に成り上がり、ナポレオンに徹底的に疎まれながらも最後までナポレオンの側近であり続け、しかも最後は恩人のナポレオンを裏切り、ルイ16世の斬首の責任者でありながら弟ルイ18世が王政復古しても大臣に居座るなど、裏切りと変節の限りを尽くし最後まで政治の中心部に居残る。いまだに無節操極まりない冷酷の悪漢、嫌なやつの代表と思われているジョセフ・フーシェの伝記だが、何度も訪れた絶体絶命の修羅場で、冷徹な判断と恐るべき生存本能で「危機一髪」斬首を逃れるフーシェの生き様は、まるでスリルいっぱいのサスペンス小説を読むようだ。鹿島茂も同じテーマで本を書いているが〔『情念戦争』)、こっちの方が格段に面白い。ツヴァイクと鹿島茂の筆力の差だろう(鹿島先生ごめんなさい)。

マルクス、エンゲルスの『共産党宣言』の半世紀も前に、フーシェは、それ以上に完璧な「フーシェ版共産党宣言」を発表していた。これはちょっと驚き。フーシェには理想とか理念というものは一切なかった。だから共産主義も便法でしかなかったはず。だからこそ雄弁になれたのだろう。人生は舞台、人間は役者。役者の方が本物らしく見えるという実例。

同時にこの本で雄弁に描写されるのは、ナポレオンのすごさ。ナポレオンの偉大さは戦場での勝利にある以上に、緻密な数学的緻密さと勤勉さでナポレオン法典などの制定を通じてフランスを近代国家として建設したことにあることがわかる。ナポレオンは並の人物ではないだけにフーシェの有能さは理解していた(だからこそ大嫌いだったけれど使い道があるフーシェを、敵に回さないためにも最後まで自分の部下として抱え込んだ)。

タレーランも基本的に「勝ち馬乗り」御都合主義者である意味でフーシェと同じであるとの記述も面白かった。でもタレーランはネアカだったために、いまでも評判のいい偉人である。フーシェはネクラ。人生、ネクラは常に損をする。さすがのフーシェも晩年は惨めだった。これ人生訓。

ナポレオンもロベスピエールも、あれだけの大天才だったにも拘わらず、最後の土壇場で一瞬の優柔不断が運命を分ける。フーシェを追い詰めギロチンにかけようとしたロベスピエールは最後の土壇場で大逆転され、逆にギロチンに掛かる。ナポレオンも最後の土壇場で列強との妥協のタイミングを逃し、フーシェに裏切られる〔フーシェによればナポレオンはフーシェに裏切られたのではなくワーテルローに裏切られたらしいが)。出来過ぎみたいな話だが、これまた人生訓としても面白い。

感心するのはあの時代、あれだけの物的破壊を繰り返し、数百万人の人的犠牲を払いながら、フランスが経済的に急速に発展したこと。パリを中心とした全ヨーロッパにまたがる文化的帝国主義圏〔文明〕が完成するのだ。まさにシュンペーターの言う「創造的破壊」である。古くさいものを大切にするだけでは国はジリ貧に陥るのである。これは経済史的教訓。


ジョゼフ・フーシェ―明日の歴史 (ツヴァイク伝記文学コレクション2)

2013年8月16日金曜日

河上肇『貧乏物語』〔岩波文庫〕

これはわが国が誇りうる経済学の古典ですよ。外来理論の翻訳に終始してきた「ニッポンの経済学」の伝統のなかで、はじめて世界的にもユニークな独創性のある経済理論が生み出されたのだ。さすがは京都学派である。しかし〔今もそうだが〕外来理論翻訳こそ命と信ずる当時の日本の経済学者の間では極めて評判が悪く、河上はさんざんに冷笑と嘲笑をあびた。岩波文庫本で解説を書いているわが国マルクス経済学の大御所大内兵衛もその解説の中で「極めて未熟な理論」とバカにしている〔バカにするぐらいなら解説なんか書くな〕。でも彼らの河上批判の根拠は河上理論は「十分にマルクス的じゃない、マルクス理論をもっと勉強しろ」という程度のものだから、無視していいようなもの。むしろ勲章みたいなもんだ。

さて河上肇の『貧乏物語』だが、当時わが国及び世界で蔓延していた労働者の貧困問題をどう解決するべきかという問題を、河上肇が長年に渡り真面目に真剣に考え考え抜いた結果の労作なのである。西欧の理論はもとより東洋哲学の考え方も濃厚に反映されている〔この辺がハイカラなマル経学者が気に入らなかったところだろう〕。解決策として河上は所得再分配政策や、国家社会主義的な産業政策も検討するが〔これらの政策にはかなりの魅力は感じながらも〕一番現実的で効果的な政策は別にあると提案するのだ。なんとそれは「金持ちが贅沢しないことこそが貧乏退治の第一の方策」という有名な命題だったのである。ハイカラなマルクス経済学信奉者たちがこれを聞いて拍子抜けであんぐり口を開けてしまった表情が目に浮かぶようで実に愉快。

河上は言う。貧乏人は生活必需品の購入が十分に出来ない。貧乏人でも生活必需品は潤沢に買えるようにしなければならない。でもそれが出来ないのは生活必需品の生産が十分に行われていないからだ。需要があるのに生産が行われないのは、社会の生産能力が生活必需品以外の贅沢品の生産に向けられてしまっているからだが、これは金持ちがカネに任せて贅沢品を需要することから起こる。金持ちをして質実剛健の生活を送らせるべきである。そうすると贅沢品の需要は急減し、社会の生産能力は生活必需品の生産に向けられることになり、貧乏人は安い値段で生活必需品を十分な量だけ購入することが出来る。これこそ貧乏退治の秘策である、と言うもの。

合理的である。理屈が合っているから。河上理論を現代経済学的に解説してみるとなお一層その合理性と整合性がわかる。つまり経済全体の生産量はコブ・ダグラスの生産関数で決まる。全要素生産性が一定であれば資本と労働の投入量が総産出量を規定する。資本と労働は無限には存在しない有限〔稀少〕生産要素である。よってその生産要素の「合理的配分」がなされるべきである。もちろんレオンチエフの行列式〔産業連関表〕を活用し、人為的に各生産部門への生産要素の配分を行うことでもそれは可能だが、これはあまりに社会主義的であり望ましくない。よって需要サイド〔それも一番多く購入する金持ち階級〕の消費パターンを道徳的・倫理的指導により改善することで〔贅沢品を買わないようにさせることで〕稀少な生産要素を望ましい生産部門に誘導することが一番望ましいと言うもの。

この処方箋は日本の特殊文化に非常にフィットしたものでもあった。この河上論文は最初大阪朝日新聞に連載されたものだが、連載中から異常に大きな反響を呼んだ。本に出版されるとたちまち大ベストセラーとなった。大阪商人の「始末始末」の精神に合致している以上に、徳川時代からの武家の伝統文化にも合致するものであったからだろう。直江兼嗣とか徳川吉宗の政治はこの河上理論の実行にほかならないではないか。

河上が対象とした当時の「絶対的貧困」はもはや現代日本では見あたらない。でも河上理論を「無駄なものの生産に稀少な生産要素を投入するのではなく、有意義な価値のある分野に生産能力を振り向けることこそ経済発展に必要なことである」と読み替えれば、河上肇の処方箋は病める現代ニッポン経済にほぼ100%そのまま使える有効なものだ。テレビのCMを見ても実に下らないなくてもいい商品でニッポンは溢れかえっている。単に生産性の悪いだけの旧態依然の商品を「拘りの手作り」とかいって有り難がる風潮も蔓延している。ああいう無駄を省くだけで十分に効率的で競争力のある経済に再生させることが出来るだろう。

日本では社会のエリート〔サムライ〕が質実剛健生活スタイルをよしとしてきた歴史がある。このような文化は〔少なくとも産業革命以降では〕日本だけだ。日本は江戸時代からずっとこんなやり方で経済を成長させてきた。このやり方では産業革命のような革命的ブレイクスルーは無理だが、そこそこ凌ぐことは出来る。日本ではニッポン人の分限を弁えたこんな地味な経済政策が望ましいのかも知れないと最近考えることがある。

大正時代にして、既に日本にもえらい経済学者がいたということを知って、大いに心強く思った。量も少なく読みやすいので寝転がって読める。楽しい。


貧乏物語 (岩波文庫)

2013年8月15日木曜日

ブランコ・ミラノヴィッチ『不平等について ーー 経済学と統計が語る26の話』

非常に興味深いデータがいっぱい詰まっている本。著者は世銀のエコノミストとして25年間にわたり「不平等」について研究を続けてきた人。最近の統計学の進歩には目を見張るものがあり、同一国国内の所得分布に限らず、いままで不可能とされていた地球規模での、更に時系列で歴史的にも、細かい実質データが明確になりつつあるのだ。この本では、1)特定国国内での所得資産の不平等、2)各国所得水準の国際比較での不平等、3)さらにグローバルに地球レベルで個人間の所得資産の不平等〔1と2を合わせたもの〕について現状と傾向が明らかにされる。裨益するところ多大。

特に興味深いのは上記3〕のグローバル個人比較での不平等である。地球に住む個人の豊かさは、ほぼ100%その出身地によって規定されることが明らかになる〔インドに生まれた人はどんなに努力して国内で裕福になろうともアメリカ人の低所得者層よりリッチになれないとか。同じことが日本とバングラディッシュでも言える〕。従来「不平等」を取りあげて問題視する人は常に「国内での」不平等を問題にしてきた。国際間の不平等は「これは市場が決定するもの」として逃げるのが通例。国内では「格差をつくり出すもの」として市場を否定し、グローバルには市場を肯定するご都合主義がまかり通っているのだ。この本で明らかになるのは、有り体に言えば先進国の労働者が低開発国の労働者を搾取しているという構図である。これは我々にとってはまことに寝覚めの悪い「厳然たる事実」である。

「不平等是正」とか「格差是正」問題についての議論は往々にして毒を含む。必ず嫉妬心にもとづく再分配の議論に繋がるからだ。国内にだけ目を向けて「格差是正」を叫ぶことで「正義の味方」を気取れても、グローバルに同じことをする勇気のある人が少ないだろう。しかし、グローバル化がこれだけ進行しているなか、世界人口の大部分の人たちが「不平等」問題に過敏になりつつある。自分が再分配を受けるつもりになって「格差是正」の世界を実現させれば、再分配を受けるなんてとんでもない見当違いで、自分は再分配をしなければならない立場であることに気がつく人がなんと多いことか。

経済理論としても、過去の格差問題に関する経済学分野での成果が要領よくまとめて紹介されている。この本はお薦め。


不平等について―― 経済学と統計が語る26の話

2013年8月11日日曜日

井野瀬久美恵『大英帝国はミュージック・ホールから』

これはとても楽しい本。なんせ19世紀末のロンドンの娯楽の殿堂「ミュージック・ホール」について、その始まりから終わりまでを、その人気のスター、流行った歌と曲目、客受けを狙い頭を絞る興行主の成功と失敗、その客筋の構成と変化、愚かな大衆を善導しようとするインテリ・ミドルクラス・エスタブッシュメントによる規制、むしろそれを利用しようとするイギリスの政治家連中、当時のイギリスがおかれていた国際情勢、社会階級分化の実態など、もちろん有名な「ジンゴイズム〔衆愚的おクニ意識、絆意識とでも言うか〕」の分析も含め、実に盛りだくさんの領域にまではみ出しみごとな分析がなされます。めちゃくちゃ面白い。古い本なのでも古書でしか手に入らないけれど、十分楽しませてくれること請け合い。

なんとなく現代ニッポンのバカテレビ放送に似ていると思った。テレビは大衆が望むものを常に提供すると同時に当局の規制の下にある。当局は基本的に無知な大衆を啓蒙善導するのだとかと言っているが、やがては無知な大衆こそが世論の空気を支配し、政府はそれに引きずられることとなる。事実、ロンドン民衆のジンゴイズムが大英帝国を無益な泥沼の戦争に追い込み、やがて大英帝国の没落が始まるのだ。それにつれてミュージック・ホールも衰退し、タレント芸人はアメリカに移住し、やがてハリウッドがロンドンに代わり新しい帝国規模の「ミュージック・ホール」へと選手交代する。それに較べればニッポンの「クール・ジャパン?」なガラパゴス的ミュージック・ホールはまだまだ可愛らしいものだが、閉鎖社会であるだけに結構な影響力を持っている。他山の石とするべきだろう。


大英帝国はミュージック・ホールから (朝日選書)

2013年8月7日水曜日

ツヴァイク全集16『マゼラン、アメリゴ』

ツヴァイクを読むのがこれがはじめてだが、実に面白かった。いままで読んだことがなかったことは人生の損失だったと思うくらい。 マゼランの世界一周航海は有名なので航海者としての偉大さはよくわかっているつもりだったが〔あのマゼラン海峡を海図とGPSなしで通過できたことは奇跡に近い〕、それ以上にプロジェクト準備と全員の統率に実に緻密で果敢な判断力を発揮した戦略家であったこともこの本でわかった。母国ポルトガルで国王に疎んじられ、ライバルのスペインに企画を持ち込み成功するが、母国からは裏切り者扱いされ、スペインでは成り上がり者だとして既得権階級から徹底的にいじめられ、サボタージュと妨害行為が横行する四面楚歌の中で、マゼランは着々と出発の準備を進める。積荷の詳細リスト作成から荷積みの際に樽一つ一つまで自分で点検した。乗組員も自分では決めることが出来ず、信頼できるものはほとんど居ない状況のなかで、いい加減な天文学者がでっち上げた全く誤った海図だけを頼りに非常に過酷な航海をはじめるのだ。しかし彼の企画のベースとなっていた秘密の海図が間違っていたことがわかる。お目付役のスペイン人貴族たちは秘密海図の公表と針路についての公の議論を要求する。マゼランは絶体絶命。その中でマゼランは天才的な統率力を発揮し土壇場での大逆転に成功するのだ。まるでサスペンス小説のよう。不幸にして成功を目前にしてマゼランはフィリピンで死ぬ。彼の意志は生存できた乗組員〔マゼランに最後まで非協力的だった〕によって貫徹されるが、しょせん死んでしまったらお終い。栄光は裏切り者たちが独占することとなる。歴史が勝者によって書かれるのは現代と同じ。でも天網恢々疎にして漏らさず。いまやマゼランの偉さは誰でも知っている。何世紀かかるかわからないけれど、やがては真実が明らかになるのだ。

細かいこと。マゼランは積荷の中に大量の釣り具と漁網を入れている。当時の船員たちの「主食」は魚だったとのこと。これは意外だった。塩漬け肉と乾燥豌豆、それにビスケットだと思っていたから。マゼラン艦隊は太平洋を横断中にひどい飢餓に陥る。マストに巻いた牛皮まで食ったというからすごい。海の真ん中で漁具を持ちながら餓えるとは、当時の人たちはきっと釣りが下手だったのだろうと思う。

アメリゴの話も面白かった。「アメリカ」という名前の元となったあのアメリゴ・ヴェスプッチである。コロンブスの失脚後一躍アメリゴが新大陸の発見者と言うことでヒーローとなり、その後しばらくして、今度はコロンブスこそえらかった、アメリゴはコロンブスの栄光を盗みとった悪者であると弾劾される。しかしアメリカの生みの親という超有名人でありながら、歴史上ほとんど彼の記録が残っていない。このアメリゴとはどういう人物であったのか、ツヴァイクは浩瀚な考證を積み上げながら明らかにして行く。結論は驚くなかれ、いわゆる英雄とはほど遠い実に平凡極まりない人物であったのだ。しかしこの人物にツヴァイクは好感を抱いているようにも見える。平凡な商館傭われ人に過ぎなかったけれど、真面目で公平な人間であったらしい。彼の栄光の元となった新大陸発見のパンフレットも出版業者が勝手に印刷したもので、彼の意図でもなかった。こんな普通の人を周囲が勝手に英雄と祭り上げ、その後勝手に悪者扱いをして、世間の毀誉褒貶に翻弄された人物なのである。ただ、決して新大陸に一番乗りはしていないけれど「新世界」という言葉を最初に使用したことは事実のようだ。その点自分が発見した島を最後までインドの一部であると主張し続けたコロンブスとは大きく異なる。「最初にそれを発見したコロンブスと最初にそれを認識したアメリゴ」というツヴァイクの評価は重い。


ツヴァイク全集〈16〉マゼラン,アメリゴ (1972年)


ツヴァイクの伝記には、この他に「ジョゼフ・フーシェ」、「マリー・アントワネット」、「メリー・スチュアート」などがある。当分楽しめそう。

2013年7月31日水曜日

ジェイン・ジェイコブズ『発展する地域 衰退する地域 地域が自立するための経済学』

これは古典的名著。1984年に書かれた本だが、いまだに新しい。いや、いまこそ新しいと言うべきか。日本についても詳しくこの本で日本についての記述も多い。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と日本人が舞い上がっていた時代であったが、著者は日本の発展を素直に高く評価すると同時に日本列島に内在する問題として「自立できない地方の中央への依存体質」を鋭く指摘する。この問題は今後の日本にとっての最大の発展阻害要因となるであろうと日本経済の長期衰退入りを予測するのである。それに対する処方箋も的確に書かれているが、残念ながらこの処方箋は政治的な理由によりほとんど実施されなかった(解説を書いている鳥取県知事片山善博氏が彼女の処方箋に沿って努力はしておられるが如何せん地元へのご配慮から隔靴掻痒の感がある)。やっぱり日本経済はその後20年以上衰退を続けることになった。

著者はその道では超有名な人。高等学校しか出ていない独学の市民運動家であるが、都市問題の権威であり、黒川紀章も翻訳を手がけている。孤高の経済学者でもありアダム・スミス以来の経済学をこてんぱんに批判しながら宝石のようなユニークな真理をどかどか提示する。日経センターの重鎮香西泰氏も彼女の本の翻訳を手がけている。近年89歳で亡くなられたのでもう彼女の本は出ないし入手も難しくなるであろう。幸いこの本はちくま学芸文庫入りしたので当面大丈夫。おすすめ。

内容をかいつまんで紹介すると、著者は「国民経済」という平均値的概念を真っ向から否定する。経済を支えるものはあくまでも「都市経済」であり、国家の経済発展を持続的に出来るかどうかは都市経済とその周辺地域の関係がどうなっているかが問題となるという。つまりマクロ経済学は役に立たないと言うこと。ほとんどの場合、都市経済は外的要因によって発展し、発展の成果は都市及び国内地域で浪費され、輸入代替が進まず、発展の要因となった外的要因が消滅すると同時に都市と国の経済が衰退に向かうという。いかなる開発計画も不毛の結果を生むだけで〔TVA はみごとな失敗例〕なんの役にも立たない。役に立つのは自己消費分についての不断の輸入代替努力だけだと(東京周辺の山村「シノハタ〔仮名〕」の例を挙げて〕分析する〔彼女は「輸入代替(Import substitution)」という言葉を使わず「輸入置き換え(Import replacement)」」と言う言葉を使う。理由は書いてないけど輸入代替と言う言葉は過去の経緯から印象が悪いからであろう〕。要は少しぐらい品質が悪くて値段が高くても我慢が大事という。この辺TPP反対論者が大喜びしそうな議論だが、彼女が言っているのは生産性の悪い地域では生活水準をそれに応じて落とさないといけないと言うこと。地方が補助金・交付税に頼って身の程を超える生活を送ることは、その地域ばかりか国家経済全体にとっても破滅的な結果になるという。誤解なきよう。一番いいのは地域がそれぞれ為替レベルを決定できるように地域ごとに独自通貨を持たせることだが、これは政治的に難しくようやらんだろうし、細かい政策を「場当たり的〔インプロビゼーション的)に積み上げて行くしかないと、これまた大人の現実的な処方箋。

日本ばかりでなく、最近のEU問題〔ギリシャ、ポルトガルなど〕をみても彼女の言っていることは重みがある。EUについては「フランスの後進地域へ払う補助金を誰が負担するのかが問題。フランスは先進工業地帯であるドイツと北欧と北イタリアがそのカネを払う仕組みを作りたいが、イギリスはそれに真っ向から反対し、ドイツなどから搾り取ったカネはイギリスの後進地域に回すべきだとしている。これが英仏対立の根本原因だ。」と分析。彼女には20年前から真理が見えていたのである。

発展する地域 衰退する地域: 地域が自立するための経済学 (ちくま学芸文庫)

2013年7月28日日曜日

アザー・ガット『文明と戦争 (上・下)』

たいへんな本である。人間はなぜ戦うのか?戦争とは人類共通の自然状態にもとづく現象なのか?それとも文化が発明したものなのか?文明の誕生、国家の勃興によって戦争はどう変化したのか?21世紀社会が直面している戦争の脅威とは何か?どう対応するべきなのか?……これらの根本的問題に対して著者は、生物学、人類学、歴史学、社会学、経済学、政治学の最新成果を自在に引きながら懇切丁寧に解明して行く。博覧強記ぶりは驚くばかりだが、同じページに紀元前5世紀のメーロスとアテネの戦争と20世紀のアルジェリア戦争の話が混在したりして、翻訳も文章がこなれておらず、かなり読みにくい本ではある。しかし一読の値打ちあり。現代人がいままで信じていた思い込みがまるで間違っていたことに気づかせてくれる個所が多々あるのだ。裨益するところ多大。

まず著者は「動物は戦争をしない、ヒトも文明に毒される前は平和に暮らしていた」とする、いまだに多くの信奉者を有するルソー的思想を、木っ端みじんに論破する。動物も同種で殺し合いをするのだ。原始的な狩猟採取民族は現代人以上に殺し合いをする〔暴力による死亡率は大量殺戮で悪名が高い20世紀の世界大戦時期よりはるかに高い〕。これは進化論に沿った自然の現象なのだと過激な発言も。考古学と人類学の最近の著しい発展がこれらを明らかにしたとのことだが、ポリティカリーコレクトじゃないこと甚だしい。なかなか邦訳が出版されなかったわけじゃ。

以後、延々と古代から現代にわたり戦争形態の推移を分析して行く。いちいち述べないけれど、興味深い。国家があってそれ故に戦争が生じたと言うよりも、戦争をするための権力機構として国家が形成されていったという過程がよくわかる。

ヘンなことで感心した。戦争時、人口の1%が徴兵動員の目途となるとアダム・スミスが書いており、それがいまだに鉄則である由。非生産部門での雇用が1%を超えると国家経済は戦費〔兵員のお給料〕を持続的に負担できなくなるとの計算。例外はナポレオン戦争当時のイギリスだがこれは借金でカバーできた。イギリスの信用力(イギリスは戦争に勝つだろう、それで十分儲けるだろうとの市場の予測)が低利での債券発行を可能にしたらしい。ひるがえって現代日本のケースを考えると兵員数でこそ1%に満たないものの、税金や補助金で食っている非生産部門の雇用は優に人口の1%を超える。それら部門は将来儲かるとも思えない。こういうことからもバラマキ行政はもうサステイナブルじゃないのだなと、感心した次第。

20世紀になり先進諸国は豊かになり、戦争で失うものの方が得られるものより大きくなり、また人道主義が広がるにつれて、大きな戦争をすることは難しくなったことも分析される。一方で、貧しい国では依然として昔の価値観が支配している。大国が強力な武力を用いて小国を蹂躙するという歴史的なやり方が通用しなくなっていることも加わり、大国が小国に勝てなくなった、加えて最終兵器としての大量破壊兵器の普及、テロリズム、21世紀は難しい局面となるだろう、国際的なセキュリティー情報交換を地味に積み上げて行くしかないという著者の説明は、とんでもない隣国を抱える国の国民の一人として、素直に納得できる。

文明と戦争 (上)


文明と戦争 (下)

2013年7月24日水曜日

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか〔"Why Nations Fail")』

副題は「権力・繁栄・貧困の起源」。大力作である。ノーベル経済学賞の歴代受賞者が絶賛。ワシントン・ポストやエコノミスト、フィナンシャル・タイムズの年間ベストブックに選出されている。名指しで痛烈な批判を浴びたジャレッド・ダイアモンド〔『銃・病原菌、鉄』の著者〕でさえも「実に読ませる本」と褒めているぐらい。昨年出版されたばかりの筈だがもう邦訳版が日本で手に入るようになった。明快で読みやすい日本語。おすすめ。

世界にはなぜ豊かな国と貧しい国が存在するのか? これがこの本の基本的なテーマ。著者は15年に及ぶ詳細な実証研究を積み上げ、その答を提示する。厳密な理論と実証による堅固なものだ。答は、地理的なものでも、気候的なものでも、文化でも、あるいは為政者の無知でもなく、ましてや病原菌などによるものでもない。「政治・経済制度」なのだ、という。

アフリカやラテンアメリカ諸国でどうして経済発展が進まないのか〔逆に退歩していったのか〕多くの実例を挙げて「彼ら〔支配階級〕にとって進歩しない方が合理的な判断だったから」ことを説明する。現場で働いたことのある人間ならものすごく納得するだろう。説得力ありすぎ。とても悲観的になる。ルソー信奉者やリベラルな博愛主義者は真っ赤になって怒ること必定。でも彼らも反論できないだろう。真実は真実であるから。

同時にこの本は極めて楽観的にも見える。問題は政治・経済制度にあるのだから一発クーデターをやって憲法を変えればいいだけの話、と見えるのだ。ところがそうは簡単に行かない。古い制度(著者は「収奪的制度 (Extractive institions}と呼ぶ〕」には強固な自己再生能力があり、表面的な変更はすべて無駄になるように出来ているのである。

著者が言う良い制度は(「包括的制度 (Inclusive institions)」と著者は呼ぶが)多元的な市場主義とでも思えばいいが、具体的にその包括的制度のもとで発展を遂げた国はアングロサクソン諸国しかない。著者はフランスが革命後包括的な制度に移行したと言うが厳密に考えれば旧制度はあまり変わっていない〔トクヴィルもそう書いている〕。日本を旧制度から脱出に成功した例として挙げているが、明治維新は確かに革命的であったにせよ、社会制度はより多元的になるどころか一元化し、中央収奪的な経済発展が志向された。現在でも既得権を握る集団による収奪的制度が堅持されている〔日本の場合に収奪が意識されないのは収奪する方が多数派であるため。人口の54%が既得権受益者との計算もある。しわ寄せは若年層と将来世代に集中する〕。

収奪的制度下でありながら短期間は生産要素投入量依存型〔技術進歩なしで〕の経済成長を実現させることは可能。これはソ連とナチスドイツ、さらには最近の中国だという。著者はこれは永続できない経済発展型式であると断定している。さすれば日本を成功例として挙げるのはどうかとも思う。著者の理屈をそのまま援用すれば、日本のバブル後の長期停滞は、必然性のある歴とした筋が通った話ということになるからである。

さらに、著者はイギリスの発展〔産業革命〕の転機は1688年の名誉革命だと何度も述べるが〔あたかも名誉革命を真似すればすべてうまく行くかのような錯覚を与える表現だが〕、著者も十分承知しているようにイギリスの制度改革は13世紀のマグナカルタに始まるものであり、そのベースには少数のノルマン征服王朝に支配されたアングロサクソン貴族の自立心がある。イギリスの制度改革は一朝一夕になされたものではなく、また人類史的に見ても極めて例外的な事例なのである。真似しようとしても真似できるものではない。

要は、この本の結論は、一見楽観的に見えるものの、アングロサクソン文化を共有しない地域では著者の言う包括的制度の確立による好循環の経済発展は無理だということとも十分に読めるのである。あらら。

最近の歴史統計学の進歩により、ローマ時代から現代までの世界の一人あたり所得の推移がわかるようになっている。一人あたり実質所得では18世紀前半までほとんど変わらなかった。つまり歴史的に人類史においてはこの「収奪的制度」が長く支配的であり、いまでも支配的なのである。産業革命とそれに伴う所得の激増は極めて例外的で一時的な突発事件として考える方がいいのかも知れない。まさに議論を呼ぶ本である。

国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源


国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源



2013年7月21日日曜日

臼田昭『ピープス氏の秘められた日記 ー17世紀イギリス紳士の生活ー』

時は17世紀。クロムウェル共和制が終わりチャールズ2世の王政復古が始まったイギリス。海軍省で働く一人の役人が、日常生活と当時の世相について実に克明な日記を綴っていた。当時の社会風俗世相を知る上で欠かすことの出来ない第一級の史料として非常に有名な本であるが、邦訳で全部で10巻。一巻だけでも数千円以上の価格が付いておりちょっと手が出にくい。この本〔掲題〕はこの膨大な日記を要領よく時代別に整理し、解説を加えたもの。わかりやすくとてもオモシロイ。

日記と言えば、いくら秘密の日記と言えど、ある程度読者に読まれることを想定して書かれているのが普通。事実をねじ曲げないにしても、自分に都合の悪いことや恥ずかしいことは意識的に書かなかったりする。永井荷風の『断腸亭日乗』なんかはその最たるものだが、このピープス氏の日記はそういうことが全くない。なにせ全文暗号で書かれていたのだ。なぜ暗号だったのかというと、まず奥さんに知られてはとても困ること〔内容は想像が付きますね。彼はとても恐妻家だった〕が延々と書いてある。次に自分の仕事〔海軍省の資材調達)で公にされるととてもまずいことだ(役得がすごかったみたい。でも彼は細心の注意を払い帳簿のつじつまを合わせ、業者と口裏を合わせ、万全の手はずを整える〕。

最初の奥さんに知られるとまずいことは置いておいて〔彼のケースは現代の常識からするとちょっと桁外れにスゴイとは思うが、武士の情けじゃ〕、海軍省の公務関係の話がとても面白かった。当時のイギリスは貧乏国。そのくせオランダと戦争ばっかりして〔いつも負けて〕水兵に払う給料さえまともに払えないほどの財政事情だった。そのくせ王室は贅沢な生活を続け、宴会や賭け事なんかで大金を浪費する。議会は腹を立てて増税には一切協力しない。公務員のお給料も滞り、ピープス氏でなくともたいていの公務員は俸給外収入がないとやっていけない状態だったのである。高級公務員はたいてい貴族出身で、実務はまったく知らない無能ばかり。収賄だけが生き甲斐だったような連中が大部分だったようだ。

その中でピープス氏の有能ぶりは飛び抜けていたと思える。仕立て屋の息子でありながら大学に進み、成績優秀で海軍省に取り立てられ、だんだん出世。彼以外はみんなそうそうたる貴族で構成される資材調達担当委員会の下っ端となるが、他の連中の尻ぬぐいから全部、実質的な仕事は彼がやることになる。ピープス氏は女狂いの悪癖があるがとにかく仕事は出来たようだ。オランダにボロ負けした責任を海軍省に押しつけようとする「政治的な動き」にも、ピープス氏は単独で立ち向かい、3時間に及ぶ議会喚問証言を切り抜ける。〔ちなみにここで書かれている議会証言のコツは現代にも通じるものがある。議会には決して肝腎の事実を伝えない。雄弁に説得力ある証言をしなければならないが、肝腎のことは断固としてしゃべらない、というもの〕

ピープス氏はこの議会証言で国王にエラク褒められる〔それを自慢たらたら日記に書いている〕。最後は海軍大臣にまで出世したのだからえらいものである。こういう能力主義が、当時弱小国に過ぎなかったイギリスを世界の強国に育てていったのかも知れないと、妙に納得。

1665年のペスト大流行、1666年のロンドン大火を、実際に現場で経験した人物による詳細な記録としても、この日記は価値がある。


ピープス氏の秘められた日記――17世紀イギリス紳士の生活 (岩波新書 黄版 206)


2013年7月20日土曜日

鹿島茂『情念戦争』

前回は「情念」についてであったが、この「情念」が具体的に爆発するとどういうことになるのか。それが結構オモシロイのである。鹿島茂の掲題の本を読めばわかる。帯にはこうある:
ナポレオンの熱狂情念。タレーランの移り気情念。フーシェの陰謀情念。
三つのパッションがであったとき、世界史は動き出した!
月刊「PLAYBOY」誌に連載されたもので、とても読みやすく、内容も適度にきわどくどぎつく、史実も詳しく、とても勉強になった。まさに鹿島茂節全開。頗る妙。

情念戦争

ナポレオンの熱狂情念はよく知られているところ。灼熱のアフリカから極寒のロシアまでの戦場で、300万人に上るフランス人兵士を死なせてしまってもナポレオンの熱狂情念はおさまらない。そんな皇帝のエルバ島からの帰還を「皇帝万歳」と叫んで迎えた当時のフランス人も皆この熱狂情念に燃えていたのだろう。げに恐ろしきものは原理主義ナショナリズム。

タレーランの情念はこれとはかなり異なる。名門貴族で、放蕩の限りを尽くし、せっせと収賄とインサイダー取引で蓄財に励み〔なんせ外務大臣だったから条約締結前にその国の国債を売り買いすれば馬鹿みたいに儲かった。おまけに敵国のスパイとなって報酬をせしめていた〕、しかしながら抜群の外交的才能でもってフランスに多大の利益をもたらし、自分の親玉に将来性がないと知るや否や次の「当て馬」に乗り換え(なにせ革命後のすべての政変で皇帝、国王のキングメーカーとなった)、かくして長い政治生命と物理的長寿を全うしたタレーランの情念は「移り気情念」と言うらしい。鹿島茂はかなりこの人に肩入れをしている。性格が似ているからであろう。

フーシェはタレーランと全く異なりすこぶる謹厳実直な堅物。趣味も理想も持っていない。ただあるのはものすごい生存本能。革命後に吹き荒れたロベスピエールのギロチンの嵐もいつもすれすれですり抜け、ルイ16世の処刑では決定的な賛成票を投じたり(彼の一票で処刑が決まった)逮捕した王党派を大砲の葡萄弾で「能率的に」大量処刑するなどめちゃくちゃをやりながら〔これらすべて彼の保身のためというのだから恐れ入る〕、自分を中心とした巨大な私的スパイ網を築き上げて〔なんせナポレオンの愛妻ジョセフィーヌまでがフーシェの情報源だった〕みんなの弱みを掴むことで、王政復古の時代まで政治生命を失わなかったのである。彼のは「陰謀情念」と言うらしい。

この三人の「情念」が絡み合ってヨーロッパを爆発させる。とにかく面白い。来るべき21世紀の乱世を生き抜く上でもとても参考になる。若い人は読んでおくべきであろう。

圧巻はナポレオン戦争で敗戦国となったフランスから一人オブザーバーの資格でウィーン会議に乗り込んだタレーランの活躍ぶり。会議での発言権はないものの列強の利害対立を巧みに利用し「ナポレオン戦争はナポレオン一人のせい。フランス王家は革命の被害者である、ルイ18世のフランスは革命で失ったものを取り戻す権利がある」といってあれだけ悲惨な戦争を引き起こしたにもかかわらず、フランスは戦争賠償金は一銭も払わず、逆に領土を広げることに成功するのだ。廊下鳶(ろうかとんび)・耳打ち外交だけで。

タレーランがウィーンにフランスの高名な料理人を連れて行き毎晩うまいものを客に振る舞ったことも成功の要因だったらしい。各国代表はおフランス料理にコロッとやられてしまった。世界一流の文化とはときとして大砲よりも有効な武器となるのである。

2013年7月17日水曜日

ハーシュマン『情念の政治経済学(”The Passions and the Interests")』

「貪欲は善である("greed is good")」というのは映画「ウォール街」でのゴードン・ゲッコー〔マイケル・ダグラス〕の名〔迷)言。いまでもファンドマネージャーなんかの間ではこの言葉の信奉者が多いみたいで、現代資本主義の金儲け主義を表すまさに「21世紀的」表現だと思っていたが、17世紀から18世紀にかけてヨーロッパの知的エリートの間でも広まっていた概念だったことをこの本で知った。フランスのモンテスキューとイギリスのジェイムズ・スチュワートだ。彼らは本気で資本主義の貪欲な金儲け主義こそが専制政治の暴走の抑止となり国家を救うと信じていたのだ。

つまり専制君主は貴族的で高尚な目的を絶対視する傾向があり一般国民はその都度多大の犠牲を強いられることになる。それを防止するには、経済的利益を前面に打ち出して「そんなことをやれば損をしますよ」とか「そんなことをするお金がないですよ」と言って目を覚まさせる必要がある。貪欲な金儲け一番主義こそが専制政治の情念の爆発を抑止するというもの。考えてみればアレキサンダー大王の「英雄的」な世界征服は母国マケドニアには何らの経済的利益をもたらさなかったし、多くの国民は無惨な死に方を強いられた。経済的な利益などもともとアレキサンダーの眼中にはなかったのだ。まさに情念戦争。それに較べれば貪欲資本主義の方がよほど平和的。

しかしこのモンテスキューらの考え方は、「貪欲も情念の一種」と見なして経済モデルを構築したアダム・スミスなどの登場により、一般的にはならず、いつしか忘れられてしまっている。でも現代社会を考えるにあたり、こういう考え方があったという事実を知っておくことが思考の幅を広げるとハーシュマンは述べるのである。

正直おいらにはちょっと難しい本。でも昨今の世界情勢を見るに、この「情念の政治」が再び支配的になりつつあるような危惧を覚える。原理主義に基ずくテロリズム、過激な環境保護団体による暴力行為、有無を言わさない自称「正義の味方」信者集団。それに較べればゴードン・ゲッコーの「貪欲こそ善である」の方がよほど可愛らしいのかも知れない。

ちなみに翻訳は佐々木毅。東大総長も務めたニッポンの政治学の世界で一番エライ人。少しはニッポンの政治にこの本から得た知見が反映されたのかを考えると、少々心許ない気もする。

いろいろ考えさせられました。

情念の政治経済学 (叢書・ウニベルシタス)


おまけとしてゴードン・ゲッコーの「貪欲は善である」スピーチのさわり部分を紹介。演じたマイケル・ダグラスはファンドマネージャーから英雄視されてレストランなんかで追っかけ回され、実生活では「リベラル」な彼は迷惑したそうだ。

2013年7月12日金曜日

キャロル・グラハム『幸福の経済学』

著者は世銀やIMFで働いてきた国際経済・開発問題の研究者。職業柄、社会の「幸せの尺度を測る」ということを熱心に研究してきた。この本では考えられるほとんどすべての尺度が紹介される。同時にこの人はとても正直な人物でもある。「そんなものはない」というのが結論であるからだ。自分たちの仕事のメシの食い上げにつながる事実を勇気を持って公表したのは、エライ。

幸福の経済学―人々を豊かにするものは何か


人間の幸福とは、最低生存レベル所得水準さえクリアすれば、後は所詮、比較の問題にしか過ぎない。一番先に来るのが隣人との比較〔虚栄と嫉妬〕。それに加えて過去将来との比較〔懐古と願望〕。経済文化のグローバル化で隣人の範囲が飛躍的に広がり、且つゼロサム的な伝統的低成長時代に復帰すると〔そうならなければ逆に地球は人間の重さだけで破裂してしまう〕、ヒトは常に不機嫌とならざるを得なくなるのだ。人間とは罪深い生き物である。

そんなことを考えたら昔の人の知恵はすごかったことがわかる。釣り人が好む格言に次のようなものがある:
  一日幸せになりたければ酒を飲みなさい 
  三日幸せになりたければ結婚しなさい
  七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい
  一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい
中国の古裡だというがみごとに幸せの本質を述べているではないか。酒も結婚も豚肉飽食も、すべての物質的なものは永続する幸福には繋がらないのである。斯くして人間は釣りみたいな「暇つぶし」に幸せを発見する。

釣りと言えばアイザック・ウォルトンの『釣魚大全』。「穏やかなることを学べ ("study to be quiet")」という名言で知られるが、最近この言葉もウォルトンの言葉ではないことを知った。原典は聖書「テサロニケ人への手紙1」:
4:11 また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。
繰り返して言う。昔の人は偉かったのである。

完訳 釣魚大全 (角川選書)


2013年7月11日木曜日

グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』

一万年の次は10万年かよ」と辟易することなかれ。この本は読むべし。良書である。第一章〔概論〕に示されたグラフを見るだけでもこの本〔上下〕を買う値打ちがあることがわかる。紀元前1000年から19世紀の初頭まで、世界の国々の一人あたり実質所得はほとんど横ばいで推移したのだ。それが19世紀の産業革命で劇的に変化する。先進諸国で一人あたり所得が激増するのだ。一方でその他の国々では逆に紀元前に水準以下にまで逆戻りしてしまう。なぜこんなことが生じたのか?著者はマルサスやダーウィンの理論を実証する形で、さまざまな統計データを駆使しながら、非常に緻密に検証して行く。これは職人芸。

それにしても邦訳タイトルはあまりに真っ正直でつまらない〔例によって出版社は売上を気にしたのだろう〕。原題は "A Fairwell to Alms"。ヘミングウエーの『武器よさらば』じゃないかと空目してしまうが、よく見ると "Arms〔武器〕" ではなく "Alms(援助)" となっている。つまりこの世界の富の格差問題には有効な解決策は見あたらないという著者の悲観論が結論になっているわけ。これもあまりに真っ正直な話ではあるが、偽善を信じ続けるよりは遙かに建設的。結局、今後も先進諸国への貧困国民の大量移住が続くし、これしか世界の貧困問題の解決策はないと言うことかも知れない〔ゲルマン大移動の21世紀版か〕。買う気がしなくなったかも知れないけど、分析手法自体〔及びそれが明らかにするディテール〕が非常に興味深いので、心からおすすめ。

10万年の世界経済史 上


10万年の世界経済史 下

著者〔グレゴリー・クラーク〕は、日本に住んでいて房総半島に「俺様キングダム」を建設してしまったグレゴリー・クラーク教授とは別人物。英国とインドの経済史を研究してきたアメリカ人である。

ちなみにやたらとジェーン・オースティンの『高慢と偏見』が引用されている。エリザベスの家族は「貧しい」とはいいながら当時の英国社会では上位1%に入る富裕層家族だったとか、お金持ちのミスター・ダーシーは召使いを50人は傭っていたはずだとかいろいろ。確かにあれは面白い本なので女性専用にしておくには勿体ない書物である。小説を読むのが面倒な人にはBBC製作のドラマDVD版がお奨め。やたらお金の話が「普通の家庭」の会話に出てくる。これこそ産業革命の原動力だったのか〔とはおいらの新説〕。


高慢と偏見 [DVD]

2013年7月10日水曜日

ダニエル・コーエン『経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える』

なんとも長ったらしいタイトル。原題の直訳『悪徳の栄えー〔不安になる〕経済学入門』("La Prospérité du vice: Une introduction (inquiète) à l'économie")そのままの方がよほどよかったと思う。著者はオランド大統領のアドバイザーでもあるフランス人だが、名前からしてユダヤ人。頭脳明晰、博覧強記。マルサス、アダム・スミス、マルクス、シュンペーター等などを的確に引用しながら、現代社会とはなんと狂気に充ち満ちた世界であるかを説得力ある形で分析する。説得力ありすぎ。読んだら将来について悲観論者になることを保証します。特に巨大新興国に隣接する日本は過去の経緯から見てとてもやばいと思う。

経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える


思い出したのは、チャーチルのこの演説。必要となるときが來ないことを希うのみだ:

ウィンストン・チャーチル - Wikiquote: we shall fight on the beaches, we shall fight on the landing grounds, we shall fight in the fields and in the streets, we shall fight in the hills; we shall never surrender,

2013年7月9日火曜日

ポール・J・ザック『経済は「競争」では繁栄しない」(The Moral Molecule)

邦訳版の題名は『経済は「競争」では繁栄しない』というものだが、優しさ一辺倒の現代ニッポンの風潮に乗じてカネ儲けようとする出版社の助平根性が垣間見えた感じで、いやらしい。原題は "The Moral Molecule" 。「道徳的分子」とでも訳すべきか。あるいは『経済は「協調」だけでは繁栄しない』との題名にしても著者の言いたかったことと大きくは違わなかっただろう。著者が明らかにしたのは血液中には人間の協調・信頼をもたらす物質〔オキシトシン〕と暴力と競争をもたらす物質〔テストステロン)の二つが微量含まれており、それらは人間行動に大きな影響をもたらすということなのだから。

攻撃性に特化したチンパンジーも協調性の権化であるボノボも共にジャングルから脱出することが出来なかった。ジャングルを脱出し新天地の王者となったのは攻撃性と協調性の両方を適度にバランスよく保有していたホモサピエンスなのだ。著者も両者のバランスの大切さを何度も言っている。人間万事バランスが大事。

もっともすべての商取引の原点は信頼関係にあると言うことは、太古の昔から変わらない。現代社会はちょっと金儲けの方にぶれている感じもする。

著者は20年間もあらゆる機会に人々を注射器片手に追っかけ回し、膨大なサンプルを集め、ついにこの微量血液物質を発見し「神経経済学」という新しい学問分野を切り開いた特異な人物。アダム・スミスの『道徳感情論』を高く評価する経済学者でもある。

感心するのは、こんなへんな研究にお金を出し続けてきたアメリカの大学。ニッポンとは懐の深さが違うわ。

経済は「競争」では繁栄しない――信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす 愛と繁栄の神経経済学

2013年7月8日月曜日

ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』読んだ!

目からウロコ。ホモサピエンスは本質的に合理的な判断なんか出来ないことが多いのだ! この新理論でいままで説明が付かなかった多くの社会現象がみごとに説明できてしまう! 著者〔カーネマン〕はこれでノーベル経済学賞を受賞。人間は全体では必ず合理的な判断をする生き物であるというアダム・スミス以来の「経済学」とはいったい何だったんだろうね? 世の中理屈通りには動かないと「うちのおばあさん」がいっていたことがやっぱり正しかったということ。裨益するところ多大。 

それでも分からないことがひとつ。こんな「アホ」なホモサピエンスがどうしていままで生存し続けてきたのだろうかと言うこと。きっと他の動物がもっとアホだったからに相違ない。


ファスト&スロー (上): あなたの意思はどのように決まるか? ファスト&スロー (下): あなたの意思はどのように決まるか?